第39話:まやかしと覚悟
袖のないデニムのジャケット。やたら短い、デニムのスカート。出かけた時の格好は知らないけれど、いかにもルナらしい服装だ。
千五百円で買えたと喜んでいたスニーカー。気に入ってそればかり履くので、さすがにそろそろ買い替えたほうがいい風合いだ。
「ルナ、無事だったのね。迎えに来たんだよ――って、今は私がやばいかもだけど」
痛みは治まりつつあった。それを堪えるのと、両方の意味で苦笑いになってしまう。
「ねえ、ルナ。ポーも来てるの。追われてて、早く助けてあげなくちゃ」
私の友だち。ポーの慕う姉。で、あるはずのルナ。彼女は私の言葉に、なにも反応しない。
視線はずっと、私のそれと向かい合っている。なのに、なにも読み取れない。
毎日顔を見るだけで、ごはんを食べたのか、バスは混んでいなかったのか、一目瞭然の人なのに。
「あなた――ルナじゃない?」
「……おや、もう少し騙せると思ったけど。意外と察しがいい」
声もまるきりルナとしか思えない。抑揚の特徴もそっくりだ。けれどもそこにも感情がなくて、一音一音をただ組み合わせただけのような、薄っぺらいものと感じる。
どこから取り出したのか、ルナの姿をした何者かは、小さなボトルを手にした。
よく化粧水が入っているような、プラボトル。それを傾け、反対の手にあるコットンに中身を染み込ませる。
「まあ、こういう、ことでね」
スッ、スッ、と。言葉の合間に軽く撫でると、見せかけの顔が剥がれて正体が見える。
「ホント――なんでもありなのね」
「女王さまの思うままだからね」
「ドロシーは、そんなことを望んでるの? あなたみたいな人形を使って、人間を無理やりに連れてきて、ここでたった一人朽ちていくのが望みなの?」
現れたピエロの顔は、かくかくと動いて口角を上げた。笑っているのだろうけれど、見かたによっては怒っているようにも、頬の涙滴を見れば、泣いているようにも見える。
「お前の身に起きていることが、なによりの証拠だ」
ケイトはボトルをしまって、一本の化粧筆を取り出した。反対の手にコンパクトもあって、そこから色を取る。
筆を無造作に、顔の何箇所かに這わせると、またそこにルナとそっくりの顔が描き出される。
「待ちなさい、どこへ!」
ケイトは答えない。口元だけをにやと笑わせて、ポーたちの消えた扉を通って出ていった。
すぐに錠の締まる音も聞こえた。どうやら閉じ込められたようだ。
「く、くぅ……」
追いかけたかったのに、まだ身体がうまく動かない。残った痛みに耐えながら、どうしたものかと手足を眺める。
えぇ……なにこれ。
いつの間にか、そこらじゅうが毛だらけだ。まとわりついたとかでなく、私の身体が毛むくじゃらになっている。
手の平は真っ黒で、人間の手に近いけれど少し違う。これはきっと、サルの手だ。私の身体は、おサルさんになってしまったらしい。
不幸中の幸いは、ベンのようなリアルな人形ではない。あくまでデフォルメされた、サルのぬいぐるみだ。
「おとなしくしてても、どうにもならないよね」
ぐったりとしたままの、ダイアナを拾い上げる。小さな身体が、とても熱い。触った瞬間は、火傷をするかと錯覚したほどだ。
脈があるわけではないので、生きているのか確認する方法が分からない。でもきっと大丈夫。そう信じて、リュックのポケットに入ってもらった。
「…………ねえ、大丈夫なの」
どうにか壁を登れないだろうか。石壁の隙間に手をかけると、ソーダがおずおずと話しかけてきた。
「まだ痛むけどね。じっとしていられないわ」
「ごめんなさい、私のために」
「いいよ。気にしないで」
自分のせいで、私がこんな姿に変えられてしまった。そして女王は、やはり怖ろしい存在だ。
たぶんそんなことを感じて、肝をつぶしているのだろう。
全身をぷるぷると震わせて、どうしていいやら戸惑っている様子だ。
「気にしないでなんて……」
「あなたのせいじゃないもの。私がこうなったのも、じっとしていられないのも、私の都合よ」
精一杯、にこりと笑ったつもりだ。おサルさんで、ぬいぐるみでは、どんな表情になっているだろう。
スマホの内カメラで見ればいいのだけど、その勇気もなかった。
「分かった……じゃあせめて、なにか手伝わせて。なんでも、本当になんでもするから」
「うん、助かる。着いてきて」
ソーダがしがみつくのを確かめると、私は壁を登って格子窓をくぐりぬけた。リュックもどうやら、凹ませたりすればなんとか通る。
おサルさんで、助かったのかもしれない。
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