第36話:猶予なき私たち
一日目?
時間が経っていない。全く。あれから、あれだけのことをやってきたのに?
「一日目って――そんなの、おかしいよ。マギーだって、二日分歩いたとか言ってたじゃない」
ポーはなんのことだか、分かっていないようだ。首を傾げて、私とマギーとを交互に見比べる。
「言ったわ。ただし、あっちの世界の感覚でなら、と言ったの」
「えぇ……それはだって、ここには夜がないから」
時計がなければ夜明けもない。そんなでは、一日の区切りなんて分からない。そういう意味だと思っていた。
「それって、時間の進み方が違うってこと? ゆっくり進んでるってことかな」
推測して言うと、マギーは頷いた。大切なことなのに、黙っていて申しわけないと頭を下げる。
「ごまかしたかったわけじゃないの。女王さまが怖ろしくて、なにを言ったらいけないのか、なんだったらいいのか分からないの……ごめんなさい」
「ううん、謝らないで。こんな世界を創り上げて、支配するような人だもの。なにがあったか知らないけど、それは怖いと思う」
「――ねえ、ヒナ。マギーはなにか失敗してしまったの? 私にはまだ分からないわ」
ポーの小さな手が、私の腕を掴む。それはマギーを責めないでと、押し留めているようにも思えた。
大丈夫、そんなことは考えていないから。そんな気持ちを持って、反対の手でポーの手を取った。
ふとそれが、白い花のように見えた。
マーガレット……パンジー……。ああ、菊の花だ。長く、しなやかに、柔らかく。優雅な曲線で伸びるのが、彼女の指とよく似ている。
私はその白菊を大切に両手に包んで、優しくキスをした。
それからポーにも分かるように、もう一度マギーの言ったことを話す。ドロシーのことであり、ルナのことであり、知っていなければならないのは彼女なのだから。
「……見つけた」
お城の中でどんなことがあったのかも、ついでに概ね話し終えたころ。どこかから、そんな声が聞こえた。
それは聞き覚えのあるもので、きっとあのピエロの声だ。
探すまでもなく、城門に近い方向へ立つ彼女を見つけた。その後ろ――だけでなく、私たちの周りはぐるり、木の棒の兵隊たちに囲まれている。
「お前たち、おとなしくするんだ。素直に女王さまの手下になれ」
「女王は私になんて、興味がなくなったって言ってたわ。元の世界に帰れって言われたもの」
「そんなはずはない! 女王さまは人間が嫌いだ、だから人形にして言うことを聞かせるんだ! それが女王さまの望みなんだ!」
ケイトだったか。ピエロは、ヒステリックに叫ぶ。穴があるだけの眼に、うっすら怒りの色さえ見える気がする。
私たちは互いを庇うようにしながら、ゆっくり立ち上がる。でもどこを見ても、逃げ出す隙がない。
「チッ、ベンは着いてきていないのか! 役に立たない奴!」
それが合図だとでも言うように、ケイトは手を振って前進を指示する。兵隊たちはそれに従って、じわりじわりと包囲を縮め始めた。
手にある槍は、本物だろうか。木製だったとしても、十分に痛いだろう。
「ヒナ。なにか聞こえない?」
「なにか? ――あっ」
ポーが言ったので、辺りに耳を澄ませてみた。ざわざわと、なにやら賑やかな声。その中にまた、聞き覚えのある声があった。
私たちが抜けてきた、城壁の隙間からそれは聞こえる。
「取り押さえろ!」
「助けにきたぞ!」
ケイトとミントが言ったのは、ほとんど同時だった。
兵隊たちが走り出すところへ、ネズミたちがなだれ込む。兵隊は二十人くらいだろうか。そのそれぞれに、二、三匹ずつでまとわりついていく。
彼らは硬い物が齧れない。だから牙で戦うのでなく、小さくて柔らかい身体を武器にした。
兵隊たちの関節にねじ込んで、動けなくしていくのだ。
「ミント! パイン! そんなことして大丈夫⁉」
「全然問題ないぜ! 今のうちに逃げろ!」
そうだった。彼らは兵隊の足止めをしてくれているだけで、私たちがこのまま居れば意味がなくなってしまう。
「ど、どういうことだ。おまっお前たち! 女王さまに逆らって、ただで済むと思うのか!」
「怖いことしかしない女王さまなんて、嫌になっちゃったよ! オイラたちは、優しい仲間を助けに来たんだ!」
呆然としていたケイトは、ようやく怒声を上げたところだ。この場はネズミたちに任せて、走って逃げる。
かと言って、どこへ逃げればいいのか。当てもなく走っていると、また別の隙間が壁にあるのを見つけた。
「あそこ! あそこに入ろう!」
ちらと後ろを見ると、追ってくるものは見えない。でもケイトは必ず来ているだろう。私たちは勢いそのままに、穴の中へ駆け込んでいった。
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