第35話:今日は何曜日?

「私はずっと、ベッドに入ったきりのドロシーの、いちばん近くに居た」


 ポーに抱きかかえられて、マギーは話す。なんだか捕まえて無理やりに話させているようでもあったけれど、これはマギーが望んだのだ。

 彼女はドロシーを案じている。どういう事情だか、命が危ういと。

 けれども同時に、女王を怖れている。強大な女王の力は、どこまで及ぶか分かったものではない。今こうして話しているのだって、全て筒抜けなのではと怖くて堪らないと。

 だからせめてマギーの身体を両腕に持って、そうしているポーを私の脚に乗せて対面するようにすれば、安心ではないかと思った。なぜかダイアナまで、私のお腹のところに陣取っているけれども。


「そうだね、マギーの定位置は枕元だった。僕は窓際の椅子の上に居たよ」


 ハンスまでがなるべく近くに来ようとするので、ぐっと私の脇に引き寄せる。さすがに彼を乗せると狭いから、それで我慢してもらおう。


「だから、ここへ来ても私はドロシーの傍に居たの。ドロシーはなにをするにも、私を連れ歩いたわ」

「最初はそうだったのね。なのに、傍に居られなくなった。いったい、なにがあったの?」


 マギーは目を伏せて、考え込む素振りをした。迷っているのだろうか。だとしたら、なにをだろう。

 これまでこの世界で起こったあれこれを思うと、女王が隅から隅までを監視しているとは考えにくい。きっとそれは、マギーにも分かっている。

 ただそうやって理屈で分かるというのと、根付いてしまった恐怖とは別の話だ。お化けなんて科学的には居ないのだと証明されたとして、でも見てしまったら怖い、みたいな。

 彼女が悩んでいるのは、そのことだろうか。女王にどんな目に遭わせられるだろうと、案じているのか。

 それだけではないように思えた。

 マギーは女王――ドロシーのことが本当に、心から好きなのだと思う。助けてほしいと願う彼女の言葉には、後ろ暗さとか曇りとかが全く感じられない。

 だとしたら残るのは、女王を案じてだ。

 マギーが話すことによって、なにか不都合が起きる。そういうことだろうか。


「私の首には、いつも時計がかかっていたの。ドロシーと初めて会った時、可愛いって喜んでくれた。私はずっと、それが誇りだった」

「時計、今はないね」


 マギーの首にかけられるくらいなら、それほど大きな物ではないだろう。でもだからと、身一つでなにも持たない彼女が、隠しておける場所などどこにもない。


「いつしかドロシーは、時計を見る度にため息を吐くようになったの。だから私の首から外されて、だんだん私自身にも触れなくなった」

「時計を見て、ため息……」

「このお城のどこかに、女王の私室があるわ。私はそこに置き去りにされて、終いにはその奥の部屋へ押し込まれたの。とてもとても大きな、洋服タンスのある部屋」


 女王の私室。大きな洋服タンス。私はその両方を見た。どうやって行けばいいのか分からないけど、あのネズミたちに聞けば分かるかもしれない。


「そこに落ちてきたのがルナよ。ルナはドロシーの家を、二度も訪ねてくれたの。私は窓から、それを見ていた」

「窓から? うーんと、それでルナにドロシーを助けてって頼んだのね」

「そう。でもそれを、女王は怒った。なにに対してか、よく分からないけど。きっと勝手に、あれこれ話してしまったからだわ」


 ルナの名が出て、ポーがぴくっと身体を強張らせる。でもぎゅっと口を閉じて、真剣な顔でマギーの話を聞いていた。


「あなたたちにも、いま同じ話をしようとしているわ。だから女王は怒ると思う」

「それは聞かなきゃ分からないしね」

「もしも嫌だと思ったら、今からでも元の世界に帰っていい。私は恨まないわ」


 それは暗に、その方法があると言っている。けれど私は、その提案を受け入れる気になどならなかった。


「帰る? 冗談でしょう? 私はルナを助けたいの。ポーのお友だちは私の友だちだもの」

「――ううん、もう一つよ」

「もう一つ?」


 黙っていたポーがおもむろに、はっきりと言った。


「あなたがつらそうにしているのだって、放っておけない。私たち、友だちでしょ?」


 マギーを抱える腕をより一層、ぎゅっと強く抱きしめる。私も心からそうだと思って、ピンク色のふわふわのほっぺに触れた。


「ありがとう……でも逃げ回っているうちにはぐれてしまって、ルナがどうなったのかも分からないの。それで私は、ルナの落ちてきた穴を逆に辿って、あなたたちのところへ行ったわ。そんな薄情な私なのよ」

「それは、仕方ないよ……」


 誰になんと慰めを言えばいいのか、次の言葉が思いつかない。この場の誰もがきっと同じで、少しの間、沈黙が続いた。


「ええと……時計は?」


 女王が気にしていたということだけで、あらためて聞いてみた。それほど深い意味はない。沈黙を終わらせたかっただけだ。

 それに対して、マギーは力なく首を横に振る。


「どこにあるのか、分からないわ。捨てたのでなければ、ドロシーが持っていると思うけど」

「そうなのね。女王に取って、なにか意味がある物なのかな」

「それも分からないわ。でも、もしもまだルナが無事なら、時計を探してくれているはずよ。彼女もなにか意味があるんだろうって言っていたから」


 つまり、時計を探せば自ずとルナを探すことにもなる。そういうことだろうか。


「動き続けてる人間より、一カ所に置かれている時計のほうが探しやすいかもしれないね」

「ええ、そうね。でも早く時計を見つけなくちゃいけないのには、別の理由もあるの。こうなったら、正直に言ってしまうけれど」

「こうなったらって? なにかあったの?」


 問うと、まず言葉では返事がなかった。マギーの腕がすっと伸ばされて、一つの方向を指す。そちらには何度も見た、ある巨大な物体が屹立する。

 七本キャンドルだ。


「この世界に、正確な時を刻む物は二つある。一つは私が持っていた時計」

「もう一つは、あのキャンドルね」


 あのロウソクは、曜日を示していると聞いた。それが確かなら、時の経過を正確に計っていることになる。

 でも……。


「待って。あれはずっと、月曜日のままじゃない。本当に火が動くの?」


 最初に見た時。牢屋に入れられた時。そして今。どこに火があるのか、意識して見た時には、必ず真ん中の一つ隣に炎があった。

 それが偶然とは、考えづらい。


「動くわ。きっちりと、一日が経てばね」

「だって私たちがここへ来て、もう何日目? ちょうど八日目なの?」

「いいえ、違う」

「じゃあ、おかしいじゃない」


 マギーはまた、辺りを窺う素振りを見せる。女王に知られては、誰かに聞かれては、本当にまずい。そんな話らしい。


「今日は八日目じゃない。一日目よ」

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