第32話:カメたちのわな

 ダイアナが帰ってこない。

 時間に正確なマギーによれば、城の外をぐるり回るだけなら、既に十分な猶予を待ったらしい。

 三十分経ったら帰ってくるようにとか、きっちりとした約束が出来れば良かった。しかしこの国で、それは不可能だ。

 心配を。いやそれは最初からしているが、残った面子で顔を見合わせ、より不安が増してから、さらに十分ほど待った。

 十分という時間に意味はない。大丈夫か、と疑念を持ってすぐにというのは、信頼していない証拠のように思えたのだ。


「ダイアナは捕まったわ。そうでなくても、隠れて出てこれなくなってる。助けに行きましょう」

「そうね。いつまでも待っていられる余裕があるわけでもないし」

「そうするしかないようだね。手筈は、さっきのでいいのかな?」


 ポーは決断を下した。物語の中の偉い人たちは、そういうのにも理論がある。けれど自分のは勘に過ぎない。

 いやもっと程度が悪くて、そうに違いないと決めつけであるかもしれなかった。

 それでもマギーとハンスが同意してくれたのは、ありがたい。ヒナがいつまでも無事ではあり得ない。これ以上を待つ理由がなくなった。


「私が捕まって、中に連れていかれればいいのよ。内緒で入ろうとするから難しいんだわ」


 ポーの考えた作戦は、そういうものだった。相手は迷い込んだ人間を捕まえて、城へ連れ込みたいのだ。その通り、従ってやればいい。

 もちろんこれに、マギーたちは揃って反対した。それでヒナもポーも人形にされてしまえば、もう終わりだと。


「ううん、そうはならない。だって私を捕まえるのは、あなたたちだもの」


 そう告げると、マギーたちはやはり揃って、どういうことかと面食らっていた。「順番に話すから、聞いて」と、ポーは説明する。

 するとまた揃って、「天才じゃない!」と褒め称えられた。嬉しくはあったが、そこまで言われると逆に不安にもなる。なにか穴があるのではと。


「痛くない?」

「平気よ。緩んでるとおかしいから、きつくして」


 付近の小屋からロープを拝借して、ポーは腕と胴をぐるぐる巻きにさせた。結び目の一端はポーの手の中に隠して、いざとなればすぐに解けるように。

 そんな状態のポーを、またロープで繋いで引き連れるのはマギー。獄吏としては迫力不足だが、考えようによっては逆の意味での怖ろしさがある。

 その後ろを、ハンスがビウエラを鳴らして歩く。曲は静かなもので、歌うのは子守り歌。

 準備が整って、通りを城の門に向かって歩く。薄目を開けて、つまずかないように。眠っている風に、頭をぐらぐらと揺らしてだ。

 門番の兵隊は、なかなか反応しない。あと五歩ほどになって、ようやく動いた。門の両脇に居た二人は、それぞれ持っていた槍を俊敏に差し向ける。

 一方はポーに。一方はマギーに向けられた。


「女王さまの命令で、今日から役目をもらったわ。早速、人間を連れてきたのよ。通して」


 ハンスは言っていた。ドロシーの部屋に居た数体の兵隊は知っている。けれどもそれ以外に数が増えすぎて、どれだけ居るのか分からない。

 ハンスが知らないのなら、向こうだってハンスを知らないはずだ。もちろんマギーのことも。

 だからその二人が、ポーを捕まえた役をすればいいのだ。


「ああ、この歌? うるさかったらごめんなさいね。でもこの歌で眠らせているの。やめたら起きてしまうわ」


 マギーに向けられていた槍は、ハンスに向け直されていた。その意図にマギーが答えると、二人の兵隊は視線を合わせる。

 言葉はないが、あれで相談なのかもしれない。少しの沈黙のあと、槍が降ろされて門が開いた。

 長いトンネルをくぐる間も、ふらふらとした演技は忘れない。しばらくして、門の閉じる音が背後から響く。やはり怪しまれてはいたのだ。


「やあ、うまくいったようだね」

「ダメよハンス。もうしばらく歌っていて。少なくともお城の中に入るまで」


 暢気なハンスが下手なことを言わないように、歌わせておくというのはマギーの発案だ。

 この二人に力ずくでとは無理があるので、ポーも賛成した。

 広い庭園を、わくわくとは見られなかった。もうずっと心臓は、爆音を発し続けている。

 胸が破裂して、それで演技がばれてしまうのではないか。そんなネガティブな妄想が、また鼓動を大きくさせる。

 城の入り口を通るのも、先と同じ演技が通用した。今度は門番が四人居たが、問題はなかっただろう。

 だが問題は、そのあとすぐに起こった。


「まずいわ――あれ、ジョーよね」


 頭を揺らすのはやめたものの、ポーはまだ薄目で歩いている。離れた物は見えないので、マギーが言ってそれを知った。

 一瞬、目をぱちりと開けて確かめる。


「そうね、ジョーだわ」


 湖で出会った、青いライオンのぬいぐるみ。彼だけが二本足で歩き、彼の連れた他のライオンたちは四本足で歩いている。


「どうする? 道を変えましょうか」

「それは怪しいわ。押し通しましょう」


 これまで聞いたところによれば、人間も人形も同じに、女王の言うがままにさせられるらしい。

 であれば今日からそうなったと、ない話ではない。もう視界にある者が急に方向を変えるよりは、怪しくないだろうと考えた。


「あらジョー、しばらくね」

「ああ、お前らも来たのか」

「ええ。この子を連れて行くところよ」


 マギーは普段と変わらぬ調子で話す。妙な設定を加えるよりは、リアルに思えた。


「そうか。女王さまのところに行くんだな」

「え、ええ。そうよ、人形に変えてもらわなきゃね」

「…………そうか」


 ジョーの返答には、妙な間があった。だが結局は、そのまますれ違って歩き去る。

 マギーがほっと、ため息を吐くのが後ろ頭でも分かった。


「おい、お前たち」

「――な、なに?」


 歩き去ったはずのジョーが、振り返ってこちらを見ていた。連れのライオンたちも、首だけこちらに向けている。


「お城に連れてきた人間は、まず檻に入れるんだ。その先の左のほうだ」

「あらそうなの。初めてで知らなかったわ、ありがとう」

「いや。気をつけてな」


 危なかった。気付かれたのかと、冷や冷やしてしまう。しかしそのおかげで、貴重な情報が得られた。

 この先を左。そこに、ヒナが居る。うまくすれば、ルナも。

 言われた通りに進むと、雰囲気の違うエリアに出た。そこまでの豪奢な装いでなく、石壁が剥き出しの威圧的な感じがする。


「いたっ!」

「ポー! 大丈夫⁉」


 不意に転んで、思いきり膝を打ってしまった。柔らかい感触のおかげで怪我はないようだが、痛みまではないで済まなかった。

 マギーとハンスが駆け寄って、手で抑えている膝を見る。


「うん、傷はないわ。立てる?」

「ええ、平気よ。びっくりしただけ」


 なににつまずいたのだか、歩いてきた床を見る。するとそこに、青色のサラダボウルのような物が二つ落ちている。

 どうしてこんなところに?

 見ていると、それがむくむくと動き出した。


「見たぞ」

「聞いたぞ」

「お前たち、侵入者さ」

「捕まってる演技をしてたんだなあ」


 カメだ。甲羅の形こそ独特だが、手足と頭を出した姿は、カメ以外の何者でもない。直立しているのは、この国だと驚くところではないだろうし。

 それよりも、偽装が露見してしまった。今からでもごまかす方法は……あるはずもない。


「侵入者だあっ! 捕まえろ!」


 あちこちの小さな隙間から、サラダボウルが転がり出てくる。

 ポーたちは全力で駆けた。「カメだから、とりあえず走れば振り切れるわ!」と、マギーも言った。

 しかし速い。どれだけ走っても、全く距離が開かない。延々と続く、鬼ごっこが始まった。

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