第24話:私室の奥の扉は

 お茶を飲む。ダージリンだろうか、アッサムだろうか。それくらいの区別はつくはずなのだけど、分からない。

 それはそうだ。私の意識は、女王の顔を盗み見ることに傾けられている。


「それほど気になりますか」

「え、ええ。聞いていたのと、様子が違うので」

「それは残念でしたね」


 この視線にも気付かれていた。でももう気にしない。なんでもありの女王さまを前にして、なにを取り繕ってもムダなことだ。


「あの。名前を聞いても?」

「私の名は、ドールです。あなたは?」

「雛子です。友だちからは、ヒナと」


 女王の視線は、どこに向いているのか。カップの中か、テーブルだろう。伏せられていて、意識がどこに向いているのか、感情がどうなのか、まるで分からない。

 それを置いて見ても、穏やかという言葉がよく似合う人だ。飾りの少ない、すっきりとしたデザインの赤いドレス。

 避暑地のテラスで、日がな一日、読書をしているのが似合いそう。


「それではヒナ」


 まずは香りを堪能し終えたらしく、女王はカップをテーブルに置いた。中身はまだ、半分以上も残っている。

 自身を、ドールと名乗った。マギーがドロシーの名をごまかしたのと反対に。いや女王がごまかしているのかは分からない。本当にドールという名前なのかもしれない。

 今の時点で一つ分かるのは、それ以外の可能性を探っても、否定されることだけだ。


「あなたの友人が、私の部屋を訪れたと言いましたね。この部屋に人間が入ったのは、あなたで二人目です。そしてその一人目の名も、ポーリーンではありません」

「いや、それは違って……」


 静かな口調で、しかしはっきりと女王は言う。それが腹芸なのか、見抜く洞察力は私にはない。

 こちらの考えていることを、正直に話すべきだろうか。話したところで、損はない。ポーがこの世界に居ることは、きっと知られている。

 話さなかったら、どうなるのだろう。本当に女王には心当たりがないのだとすれば、私はわけの分からないことを言うだけ言った変な人だ。

 予想が立たないけど、意味のない賭けをする必要はないか。


「――三ヶ月か四ヶ月くらい前、なのかな。ポーは、新しい友だちに出会ったの。病気で部屋から出られなくて、最初はポーにもきつく当たってた。でも仲良くなって、部屋に入れてもらった」

「それがドロシー?」


 私は頷いた。女王の目が、ちろとこちらを見る。それがそのまま、動かない。

 ただそれだけの動作なのに、私はひどく疑われて、問い詰められたような気分になった。

 そこまでのことなのかな。私は嘘を言っていない。きっとポーだって。もしも嘘だったとして、なにかの仇のように言うことはないのに。

 ――違う。女王はなにも言っていない。私がそう感じただけだ。

 女王は両手を脚の上へ、自然に揃えて私を見ているだけだ。その視線だって少し上目遣いなだけで、なにもおかしくはない。


「そう。いい人が居るものね。でも三、四ヶ月前も変わらず私はここに居た。ねえキャンベル、ファッジ」

「そうなんだ――」


 同意を求められて、茶色のウサギとネコが頷く。女王の秘書みたいな二人の証言なんて当てにはならないけれど、わざとらしさはなかった。

 少なくとも、そんなのは嘘だと言うだけの根拠がなにもない。

 ダメだ。せっかく女王と会えたのに、これだけで引き下がるなんて。こんな機会は、もう二度とないかもしれないのに。


「あなたは私に、自分のことでなく友だちのことを話したわね。なぜ?」

「えぇ――なぜって、ポーからあなたとの話を聞いて、ポーの気持ちを伝えたいと思ったから」

「気持ち?」


 ああ、そうだ。肝心なことを言っていない。しらばっくれていても、この場がこれで終わったとしても、聞いたものをなかったことには出来ない。

 まずはそれだっただろうに、私はなんてぼんやりしているのだろう。


「ポーは、あなたが顔を見せなくなって、それからずっと会えなくなって、後悔してる。あなたがここに居るって聞いて、どうやってでも会っておけば良かったって」

「私。ではなく、ドロシーにね」

「ええ、まあ」


 また、さっきの目。

 この視線に晒されていると、なんだか気持ちが寒々としてくる。一瞬が過ぎるごとに、暖かい衣服を一枚ずつ剥ぎ取られるような気持ちになる。

 猜疑の目。きっとそうだろう。

 なにを疑っているのか。そこが見えなくて、どんな反応をすればいいのか見当がつかない。


「分かったわ。そんな人も居る、と。面白いお話だったわ」


 女王は席を立つ。茶色のウサギ、キャンベルが手を取って、部屋の奥にある扉に向かう。


「あっ、女王!」


 私も立ち上がって、呼び止めようとした。でもそれを、ファッジが腕を上げて制する。そこから一歩も近寄るなと、ボディーガードのように。


「あなたには興味がなくなったわ。元の場所に帰りなさい」


 振り向きもせず、女王はそう言い残して扉の向こうに消えた。どうも私は、人形としてこの国に置く価値もないらしい。

 ぱたん、と軽薄な音を立てて閉じられた扉が、また開く気配はない。なにも出来なかったという想いで、扉をしばらく睨みつける。

 と、妙なことに気が付いた。

 その扉は、やけに簡素な作りでのっぺりとしている。周りと色味こそ合わせてあるものの、この部屋の豪奢な作りの中で明らかに浮いている。

 バロックだかゴシックだか、そんな重厚な建築様式の中で、その扉だけが現代の大量生産品の臭いをさせていた。

 気付いたせいだろうか。ファッジが身振りで、帰れと急かし始めた。いやそれだけでなく、入ってきた扉に向けて、ぐいぐいと押しやられる。


「ちょっと、急にどうしたの! ねえ、ファッジ! あなたにも聞きたいの!」


 追い出されてしまった。最後には、蹴り出されるくらいの勢いだった。

 勢いよく閉められた割りに、やはりさっきの扉とは違って、こちらの扉は静かに閉まる。


「仕方ない――ポーたちと合流しなきゃ」


 帰れと言うくらいだから、自由にして良いのだろう。そう考えて、おそらくこっちだと適当に当たりをつけたほうへ足を向ける。


「……ベン?」


 その姿を見たとたんに、周りの照明が少しだけ暗くなった気がする。いやこの国に、照明装置なんてないのだけれど。

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