Chapter 03:女王の名前

第23話:ベールの下の顔

「あなた、ドロシーよね。ポーが心配してる。会えなくなったのを、自分が悪いって後悔してる」


 まず話すべきか、目立たずにいるべきか。もう一つ、ポーの名前を出すべきか。

 それは慎重に判断すべきだったのだろう。けれども私は、なんの配慮もなく言った。ポーにも、ドロシーにも、私自身にも。


「……ポー?」


 女王が声を発した。

 風邪でもひいているのだろうか。粗いやすりをかけたような、ポーと同年代の少女とは思えない声。

 感じ取れる状況から、女王本人だと思っていたけれど、別人という可能性もある。侍女とか、そういう人かもしれない。


「女王さま?」


 ずっとアナウンス役をしている誰かが、疑問を投げる。窓を覗いている時間が、長いからかもしれない。

 その声に反応して、ベールの女性は振り返った。構うなというように、邪険な感じで腕を振る。

 やはりこの人が女王なんだ。

 でもある程度の背があって、十歳に満たない女の子とは思えない。大人だとすれば、低いほうだと思うけれど。


「ポーとは誰のこと?」

「――ポーを知らないの? あ、ポーリーンよ。あなたの部屋に、一度遊びに行ったって」

「私の部屋に?」


 女王はまた窓を覗いて、聞いてきた。その声は、風邪でないらしい。かすれるのを気にしたり、咳払いをすることがない。

 ポーリーンと訂正しても、女王は思い至っていないように見えた。光沢の綺麗な赤い手袋が、ベールの向こうの顎に触れる。

 そのまま沈黙が続いて、ふと女王はなにか思い付いたように、顔を横に向けた。屈めていた腰を伸ばし、優雅に腕を上げると、女王らしく下知をくだす。


「この木箱を、私の部屋に。他はいつものように」


 どうやら女王の私室へ、案内されるらしい。


◇◇◆◇◇


 小さな窓から覗くだけでは、複雑な通路をどう進んだのか分からない。扉もいくつか通り抜けて、行き着いた先の扉を兵隊はノックする。

 扉の左右にも兵隊がそれぞれ立っているけれど、まさしく人形らしく、身動き一つしない。

 それにしても、内装が豪華だ。さっきの部屋も緞帳やらなにやらあったのだけど、ここはもっと。扉一つにしても、漆でも塗ってあるような色合いで、細かな彫刻がびっしりとされている。

 その扉はすぐに開けられた。内側から招き入れてくれたのは、ハンスと同じくらいの大きさのネコのぬいぐるみ。二本足で立って、兵隊に手を振っている。

 扉の閉まる音がして、また木箱は進み始めた。ネコの姿が見えないので、きっとあの子が押しているのだ。

 広いのでここが部屋かと思ったら、まだ通路だったらしい。キャロル家の建物がまるごと入りそうなスペースを抜けると、ようやく絨毯が見えた。

 柔らかそうなソファ、ガラスのテーブル。奥には高そうなカップの並んだ食器棚があって、別の壁には炎を揺らす暖炉がある。

 そうやって下品に物色していると、木箱の蓋が開けられた。ネコは手を振って、出るように言っている。

 絨毯の上を、台車は押せないものね。

 納得して木箱を出る。そのためには片脚ずつ大きく振り上げないといけないのだけれど、見ている人も居ないし、まあ良しとする。


「やっと脚が伸ばせる!」


 身動き出来ないほどではなかったけど、やはり木箱の中は狭かった。屈伸をして、背を反らして腕も伸びをする――と。


「ようこそ、私の部屋へ。気が済んだら、座ってもらえると嬉しいわ」

「えっ」


 私からは死角になる位置に、女王は居た。一人がけのソファにゆったり腰掛けて、ベールがかかったままの顔はこちらに向いている。

 居たの? もう少し気配を出していてくれると、こんな油断した姿を見せずに済んだのだけど。

 いや別に女王は、かくれんぼをしていたわけではない。静かにそこへ待っていただけで、部屋の中をちゃんと見なかったのは私の勝手だ。


「あ、ごめんなさい」

「構わないわ、座って。お茶を淹れさせるから」

「あ、はい……」


 柔らかい物腰だけど、反論が出来る雰囲気でもない。まあお茶を飲ませてくれるのなら、それは歓迎だけど。

 女王の脇に控えていた、薄い茶色のウサギが壁際に向かう。ティーセットがそこにあるようだ。

 木箱を扉の外へ運び出して戻ってきた、ネコと同じくらい。小さなマギーと、背の高いベンのちょうど真ん中くらいの大きさ。

 女王は、ウサギが好きなのかな。


「えっ……と」


 女王の向かいのソファへ素直に座ったけれど、女王は黙して語らない。お茶の準備が済むまでは、静かに待つということか。

 でもなんだか、間が持たない。それは私がそう思うだけで、きっと女王はなんとも思っていない。

 私はなんのために、ここへ来たのか。ドロシーとルナを、助けるためだ。その想いが、気持ちを焦らせる。

 もう一つ気になるのは、女王の姿。

 やはりあらためて見ても、子どもの体格とは見えない。ちらちらとベール越しの顔を窺ってしまう。


「まあそう焦らずとも、お茶を飲む時には取ります」

「あ、はい――すみません」


 気付かれた。

 これ以上ないくらいに居心地が悪くなる。でもちょうど茶色いウサギが、お茶のトレーを持ってきてくれた。


「女王さま、どうぞ」


 出されたカップをソーサーごと手に持って、女王は口元に運ぶ。

 あれ、ベールは?

 私が訝しんだのとは関係なく、ネコが背後に回ってベールの結びを解いた。衣擦れの音さえせずに、艶やかな布地が取り払われて、女王の顔を私は見た。

 ………………これは、どういうこと?

 優雅にお茶を飲む婦人は、ポーと同年代などでは到底なく、シルバーブロンドの上品な、老婆の姿をしていた。

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