Interlude 02
第22話:ちいさな案内人
ルナは意識を失っていた。気が付くと、周りは真っ暗だった。自分は間違いなく目を開けているのだろうかと、不安に思うほどなにも見えない。
倒れている地面は、硬くて平らだ。触れた心地からすると、木の板であるらしい。
起き上がって、腕を伸ばしてみた。なにも触れない。立ち上がって一歩踏み出し、同じようにする。やはりなにもない。
「ここはどこ?」
近くに誰か居ないだろうか。そう問う意味もあって、声に出した。
だが人間でないにしても、生き物の気配は感じない。もちろんワニあたりがじっとしていれば、存在に気付きようもないが。
「ワニは怖いなあ……」
たいていの動物は好きだが、日本の水族館で実物を見てから、怖れる気持ちが強い。爬虫類は苦手だった。
「ここはドールの国。ぬいぐるみのワニなら居るわ」
誰かの返事があった。少し離れていて、方向もどちらからだか、よく分からない。
「ぬいぐるみなら平気」
「そう、それは良かった。人形が苦手っていう人も居るものね」
「私は好きだよ」
どうやら声の主は、女性らしい。口調は大人びているが、声質は甲高い。
「ドールの国?」
「そうよ、人形しか住まない国なの」
「そんな童話みたいなこと――」
声が至近になった。目の前のようだが、位置は低い。寝そべって話しているのか、というくらい。
「あなたは? あなたも人形なの?」
「そうよ。とりあえずここから出たいんじゃないかと思って、迎えに来たの」
「出る? ここはなに? とても広いみたいだけど」
たとえば、ひと口に建物の中と言っても、普通の居室と体育館のような場所とでは、声の響き方が違う。それが屋内と屋外ということであれば、さらに。
そういう感覚で、ルナは現在地を屋外だと思っていた。ただし夜だとしても月も星もなく、風も感じない。そういう意味では、とてつもなく広い建物かもしれないと。
今の会話からすると、建物の中であるようだ。
「うーん。言っても、理解出来ないかもしれないわ。外に出れば、自分の目で確かめられる。私が案内するけど、どうする?」
「分かった。案内をお願い」
「いいわ。歩く速度が違うから、肩に乗せてもらえる?」
「肩に? え、いいけど……」
人形かと聞いて、迷いもなく肯定があった。だからなにかの冗談だと思っていた。
しかし肩に乗せろとは。人形ではないにしても、それくらいの体格ということになる。
「うっ」
「大丈夫?」
「ううん、ちょっとくすぐったかっただけ」
脛に何者かが触れた。そのままよじ登ってくる感触は、ふわふわと柔らかい起毛と思えた。それこそ、ぬいぐるみによくあるような生地だ。
肩に乗っていいと言ったのに、得体が知れないからと身を固くした。悟られたようだが、気持ち悪いからやめてくれとまで言う気にはなれなかった。
「じゃあまず、あっちよ」
「――うん」
どうやって案内をするのかと思えば、やや強引に顔の向きを変えられた。柔らかい、おそらく彼女の腕が頬を押す。それに従って身体の向きも変える。
全く光のない、真の闇の中では、自身の顔と体の向きが同じかも自信がなかった。
それは補正してもらえるとしても、足元はどうなっているのか。このまま平らな板の上ならば良いが、そうでないならつまずいてしまう。
「違う方向に進みだしたら、その時に言うわ。足元が見えなくて怖いと思うけど、私を信じて。絶対にここから出してあげる。障害物はないから、とにかくまっすぐよ」
「……分かった」
不安を汲み上げたように、的確な答えがあった。それはそれで、気持ちの悪い現象ではある。
だが疑っていても仕方がない。これが夜でないなら、じっとしていても明けることはないのだ。
――それから、どれほど歩いただろう。もともと、時間にこだわるほうでない。ヒナはいつも十分前には約束の場所に居て、怒られてばかりだ。
「早く戻らなきゃ、ヒナにも心配をかけちゃうね」
「誰?」
「私の友だちだよ」
「そう。早く戻れるといいわね」
やがて、うっすらと。糸のように細い光が、長く長く上に伸びているのが見えた。どうやらあそこが、向かっている場所らしい。
「あそこから帰れるの?」
「いいえ、ここから出られるだけ。元の世界に戻るのは、また別の場所よ」
「そうなんだ」
勘違いをしていたらしい。しかし物ごとには順番がある。それは仕方のないことだ。
「外が見える」
「この外は、建物の中だけどね」
「建物?」
「ええ。女王さまの城の中よ」
女王さまという存在には、親しみがあった。ルナの生まれた国も、女王の治める国だ。
しかしお城には、入ったことがない。隙間から外を覗くと、白い壁が見えるだけだ。さすがにそれだけでは、素敵とも面白いとも思えない。
「誰も居ないようなら、出てもいいわ」
「うん、誰も居ない」
隙間の周囲も、平たい板のようだった。この場所は、木造の建物の中だったらしい。
板を押して隙間を広げると、先の床とは段差があった。ちょうどルナの身長分くらいで、気を付ければどうという高さではない。
肩に乗せた相棒の姿も見えた。あらためて口には出さなかったが、ピンク色の小さなウサギだ。
聞いた通り、感じた通りに、ぬいぐるみとしか見えない。
「とりあえず、案内をありがとう。出来ればこのまま、続けてもらいたいんだけど」
「そのつもりよ。そういえば名前を聞いていなかったわね、私はマギー」
「ルーナ。ルナでいいよ」
ぬいぐるみだけに、マギーに表情はない。だがなんとなく、信用して良い気がした。
目の前には高い壁と果てしなく広い部屋が続いていて、一人で行くよりも二人のほうがいいとも思う。
「女王さまのお城って――それにしても広いね」
「この部屋は特別なのよ。後ろを見れば分かるわ」
後ろ。たった今出てきたばかりの、木造の建物。言われてみれば、その外観をまだ見ていない。
勧めに従って、振り返る。
「これ…………どういうこと?」
ルナは見上げた。どこまで高く伸びるのか、霞んで見えないほどの頂上を。
木造の建物と考えたのは、どうやら間違いだ。ルナの目が幻でも見ているのでなければ、そこにそびえるのは巨大な洋服タンスだった。
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