第20話:逆転のダイアナ

 窓から街は見えるけれど、遠くて行き交う人形たちの判別は出来ない。あのどれかが、ポーだろうか。

 私がルナのところへ連れて行くと言ったのに、現実はこのざまだ。脱走を試みようにも、鉄格子も扉も頑丈だ。

 待っていろと言われたのだから、また連れ出されるのだろう。でもその時には、身体の自由を奪われてしまう。


「助けてもらえるのを、待つしかないのかな――」


 私はこれまで、たとえば計算が速いとか体力があるとか。絵がうまいとか、料理が得意とか。そういう特技を得られなかった。

 もちろんそれは、自分がそうなろうと努力しなかったからだ。そんなことを考えなくても、人並みにやっていれば困ることはなかった。

 でも今は困っている。

 どんな特技があれば、この状況を打開出来るのか。それさえも分からないのが、情けない。

 ――そういえば、ルナは最初から物怖じしなかった。入学前はどうしていたのか知らないけれど、それほど余裕を持って日本へ来たのではなかったはずだ。

 こんにちは、くらいしか知らなかった日本語もどんどん吸収していって。それ以前に、会話が成立していなくても、どんどん話しかけていた。

 そんなルナと私が仲良くなったのは、どういうきっかけだっただろう……?

 思い出せない。


「ルナに怒られちゃうかな」


 心細いのだろう、私は。

 助けに来たはずの友人の名を出して、暗に助けてほしいと願ったりして。その自分の声が思った以上に弱々しくて、また気持ちを落ち込ませる。

 危うくこぼれそうになった雫を、手の甲で無理やりに押し戻す。


「こんなんじゃダメだ!」


 ルナは私が助けるんだ。ポーと約束したんだ。そこに理屈なんてない。どうにかするんだと、呪文のように自分へ言い聞かせる。

 なにかないだろうか。部屋の中を、外を、もう一度見回す。脱出のための道具。連絡手段。

 ――他に、なにが出来るだろう。

 毛布に文字を書くのはどうか。埃を集めて水分を加えれば、泥状になる。ここで水分と言えば唾くらいしかないから、かなり汚いけれど。

 でもどんな手紙を書いたところで、渡す相手が居ない。ポーたちに現在地を知らせるのは、良いことだと思うけど。

 うーん。なにかないかな……。

 窓の外を見ても、景色が変わるはずもない。街があって、森があって、丘や草原があって、山がある。


「あれ――」


 七本キャンドルの山は、ここからでも見えた。頂上にある巨大な燭台も。

 現実で見ることはないだろう、あり得ない光景なのはいい。それとは関係なく、おかしくないかと気になった。


「今日は、月曜日?」


 真ん中を起点に、一つ右へ火が動く度、示している曜日が変わると聞いた。その時には、真ん中から一つ右に火が灯っていたはずだ。そして今も。

 あれからちょうど、一週間が経ったのだろうか。時間や日にちの経過は、マギー頼みだったからさっぱり分からない。

 うん、まあ。そんな偶然もあるだろう。気にしないことにして、脱出の手がかりを求めて外を眺める。

 と、手がかりどころでないものを発見した。優雅に羽を動かして飛ぶ、ダイアナだ。


「ダイアナ! ここだよ!」


 彼女は私を探しに来てくれたのだ。見つかればなにをされるか分かったものじゃないのに、たった一人で。

 ポーはもちろんのこと、マギーもハンスも飛べないから、仕方がないけれども。


「▲▲△? ……△△△!」


 どこから声がするのか、きょろきょろしていたダイアナ。場所が分かると、ぎゅんっ! と擬音が付きそうな勢いで突っ込んでくる。

 そのまま格子をすり抜けて、私の胸に。


「ありがとう。心配してくれたの? 探しに来てくれて嬉しいよ」

「△△△! △▲△!」


 言葉は分からない。でも、当たり前だみたいなことを言ってくれているのだろう。私の両手に絡まりながら、四肢をじたばたと暴れさせる。


「どうにか逃げ出さないとね。ポーたちは街で待ってるの?」

「▲△▲。▲▲△?」


 肯定が二度帰ってくると思ったのに、ダイアナはどちらも否定した。その上なにか、疑問にも思っているようだ。


「えっ、私おかしなこと言った?」

「△△△!」


 言ったらしい。力強く頷かれた。

 言葉が通じないと、やはり細かなことが分からない。どうしたものか考えていると、ダイアナは私の手から離れて宙に止まった。


「なに?」

「△△△!」


 鉛筆みたいに細い両腕が、揃って床を指し示す。次は爪楊枝の先みたいな指で、私の顔が指される。

 と思ったら、両手で自分の頭をぽんぽんと軽く叩いて。最後はその手を握り合って、顔の左右で振る。

 ジェスチャー、かな。


「ごめん、もう一度やってくれる?」

「△△△!」


 ダイアナは片腕をガッツポーズに。お安い御用だ、みたいなことか。

 そこから続けて、さっきと同じことを繰り返す。


「床、地面? それで、私。いい子いい子。嬉しい、やったー」

「▲▲▲……」


 あからさまに、がっかりされた。全く違ったらしい。

 それから、もう一度、もう一度と。五回繰り返してもらって、ようやく分かった。

 七度目にジェスチャーするのに合わせて、答えを確認する。


「ここに来ると。私は考えてた。良かった良かった」

「△△△!」


 あはは……。

 そもそも目的地はここだったのだから、歩く手間が省けたじゃないか。そんなことを言っているようだ。

 間違ってはいないけど、そんな前向きな考えは思いもよらなかった。


「そうだね。女王さまに会わないわけには、いかないもんね」

「――△▲▲!」


 機嫌良く頷いていたダイアナが、さっと扉のほうへ視線を走らせる。そのまま扉に近付いて、外の音を聞いているらしい。


「どうか、したの?」


 気を遣ってひそひそと聞いてみると、ダイアナは扉に向けて指をさした。誰かこっちに来ている、ということだろう。


「ダイアナ、隠れて!」


 声は抑えたままそう言うと、ダイアナは空中で素早く身を翻し、私の襟元から服の中に入ってくる。背中でもぞもぞ動かれると――。

 く、くすぐったい。

 でももう場所の変更を頼む時間はないようだ。扉の錠を開ける音が、重く鳴った。

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