第19話:厚い壁の向こう
私とポーの身体を、頭から足の先まで。ベンは首を動かして、舐めるように見た。今さらそんなにしなくても、もういくらも見ているだろうに。
十分以上に勿体をつけたベンは、ウサギそのままのリアルな手を私に向ける。
「お嬢さん、もうお菓子を召し上がって召し上がっていますね。女王さまの下へ、お連れしましょう」
「お菓子? そんなの――」
食べた覚えはない、と言おうとした。けれどあった。
ハンスと出会った時、彼の出してくれたお菓子を食べた。あれもこの世界のお菓子には、違いないだろう。
でもそうすると、ポーもそうだ。
「あれはハンスが焼き直したから、食べても平気よ。ハッタリだわ」
「そうなのかい?」
自信たっぷりにマギーが言って、それを疑うのはハンスだ。
あなたがしたことでしょうに。わけもなくやっていたの? いやまあ、そのほうがおいしいからとは言っていたけれど。
「なんとなく、そうしないといけない気がして。それで食べてみたらおいしくて、どんどん壁を作り変えてたんだよ。いやまったく、あの家はおいしかったね」
「あ、そう――結果オーライよ。ともかくベン。ヒナもポーも、言う通りにはならないわ!」
まだ話し続けようとしていたハンスをあしらうと、マギーはベンに向かって胸を張る。
しかしそれは、鼻をもそっと動かして一笑に付された。
「細かいことは知りません。でもこのお嬢さんは、お菓子を食べた。それは間違いない間違いないのですよ。たとえちっぽけな欠片だったとしてもね」
「……あっ」
そうだ。私は食べた。ハンスが壊した、壁の欠片を。指先ほどの小さな物だったけれど、ハンスが焼き直す前だ。
「まさか、食べたの?」
「え、と。そうかも――」
ベンが手招きする。それを見ていたら身体が勝手に動き出しそうに思えて、目を閉じた。
「女王さまの命令です。お嬢さん、こちらへ来なさい。そして私と共に、城へ行くのです行くのです」
「ひっ!」
なにかが私の身体の中を、駆け巡った。手足や頭、指の先まで。電気治療器にも似ていたけど、あんなにじんわりとした感じでなく、ほんの一瞬だった。
別の言いかたをすれば、細いワイヤーを通されたような違和感。もちろんそんな物が本当には通っていないけど、気色の悪い感覚だけはまだ残る。
「さあ、こっちへ」
また手招きがされる。閉じていた目も、開かされた。自分で望んでいるかのように、脚が勝手にベンのほうへと歩き出す。
「ヒナ!」
「ポー! 脚が勝手に!」
「ハンス、ヒナを止めて!」
ポーが叫んで、マギーも叫んだ。ハンスはビウエラを置いて、私の脚にしがみつく。ダイアナもだ。
「邪魔立ては無用無用に願いますよ」
ベンの手が叩かれる。ウサギの手では、人間の拍手のようには鳴らず、ぺちぺちと控えめな音がするだけだ。
それでも意志は、伝わったらしい。狼たちがハンスとダイアナを引き剥がし、テーブルナプキンたちはナイフやフォークを持って威嚇する。
「そちらのお嬢さんも、またお迎えにお迎えに参ります。それまでご機嫌よう」
勝手に動く自分の身体を、もう人ごとのように言うしかない。私の身体は狼の一頭に跨って、歩き始めたベンのあとを着いていく。
ベンが走ると、狼も走る。振り返ることも出来ずに、私は情けなく声を上げるしかなかった。
「ポー! マギー! ハンス! ダイアナ!」
◇◇◆◇◇
町を抜けるのにも、随分と距離があった。それで辿り着いたお城は、壁に囲まれている。とても高くて、私の身長の五倍よりもまだ高いと思う。
重そうな門が開けられると、そこは長いトンネルになっていた。壁がそれだけ分厚いということだ。
その先は、お花畑だ。木々もまばらにあって、散歩をすればとてもいい気分になりそうな。
もちろん今は、散歩をしてもいいと言われたとして、しようとは思わないけれど。
かなりの距離を進むと、狼から降りてお城の中に入る。その扉も分厚い鉄製だった。
石造りのお城。その床も、同じく石に見える。だけど歩くと、ふわふわとしている。腐葉土を踏んでいるような、優しい感触だ。
「さてしばらく、ここでここで待っていてください」
複雑に折れ曲がり、上下移動もある通路を進んで、辿り着いた小部屋。私はそこに閉じ込められた。
覗き窓もない木の扉が閉められて、錠の音が無情に響く。
それと同時に、身体の自由が戻った。
部屋を見回しても、毛布が一枚あるきりだ。壁も頑丈な石壁で、外を眺められる小さな窓には鉄格子がはまる。
そこから見えるのは、もと来た方向の景色だ。ポーたちは、どうしているだろう。
格子をつかんで、深く長いため息を吐いた。
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