第16話:女王のお膝もと

 森の主の、二つ目の問いとはなんだったのか。ポーに聞かれて、なんと答えるか少し迷った。

 八歳の彼女に、どう言えば理解出来るか。私自身でさえ、こんな感じとあやふやにしかつかめていないものを。


「たぶん、なんだけど。何回も諦めるように言ってたでしょ? そのことじゃないかと思うの」

「諦めないことが答え?」

「うーん、私も最初はそう思ったんだけど。違うかもしれない。なんでかっていうと、諦めろじゃなくて『分からぬと言え』って言ってたでしょ」


 軽く握った指先を唇に当てて、ポーは首を傾ける。視線は過去を辿っているようだ。


「うん、そうね。そう言ってたわ。でもそれは違うことなの?」

「そこがはっきりしないの。もしかすると、私の考えすぎなのかも」

「構わないわ。ヒナの考えを教えて」


 誰か、分からない人が居るのだと思う。

 具体的にはドロシーに対して、なにも分かっていない誰かが居る。そうドロシーは思っているのだろう。きっとそれは、お手伝いさんであったり、ドロシーのお父さんやお母さん。

 人形だけを従える世界に閉じこもったドロシーは、自分を理解してくれない人を寄せつけたくないのではと考えた。


「そうかもしれないわ。かわいそうなドロシー……」


 聞いたポーも、同意らしい。マギーやハンスはそこまで難しい感情は、よく分からないと言う。


「つらい時や悲しい時、寂しい時は、僕たちが居るんだ。そう言ってくれればいいのに」

「言ってたじゃない。でも私たちはぬいぐるみで、返事が出来なかった。だからこんな世界が出来上がったのよ」


 ただのぬいぐるみとして見聞きしたことも、覚えているようだ。でもそれなら、やはり私の推測は正しいということになる。

 でもなんだか、どこがとは言えないけれど、すっきりしなかった。


「おや、出口だよ」


 ハンスの声に前方をたしかめると、森の端があった。霧はいつの間にかなくなっていて、向こうに平坦な草原が見える。

 草原も広かったけれど、町はすぐそこだった。雑多な草花はやがて花畑になり、むきだしの地面は石畳になる。

 ここからが町だと、はっきりとした区切りはなかった。門とか壁とか、そういったものが見当たらない。

 色鉛筆で精密に描いたような、色とりどりの可愛らしい街並み。全体的に丸みのある形ばかりで、直線や鋭角はほとんど見えない。

 広々とした通りには、マギーやハンスと似たような大きさの住人たちが、ちらほら見える。

 姿は牛であったり猫であったり、ネズミだったり。さまざまだ。


「誰に聞けばいいかな」

「なにを聞くんだい?」

「ここに連れてこられた人間が、どうなるのか。知ってる人が居ないか、探しに来たの。忘れちゃったの?」


 ビウエラが音を外して、びぃんと鳴らされた。その音色は、しまった忘れていたと私には聞こえる。


「もちろん覚えているとも。お嬢さんこそ、ちゃんと覚えているか試したのさ」

「へぇ」


 調子の良さに、もちろん呆れた。でもそれほど、悪くも思わない。

 彼はきっと、目の前にあることに没頭してしまうタイプだ。その周り、前後になにがあるのか、うっかり忘れてしまうのだろう。

 少し――いや、かなり度を越しているけれど、そういう性格そのものは嫌いではない。


「▲▲▲……」


 家と家の間をすり抜けたり、街の景色を楽しんでいたダイアナ。相変わらずなにを言っているのか分からないけど、びくっとした様子で私の肩に乗った。


「どうしたの。なにかあった?」

「△▲△」


 ガラス細工のような目は、感情を顕さない。しかし私の長くもない髪に紛れるようにする辺り、なにごとか怖れているように見えた。

 怯えている。とまでではないけれど、かなり慎重に様子を窺っているという感じ。

 肩に乗る直前は、結構な高さを飛んでいた。だから私たちには見えない、通りの向こうになにかあったのかもしれない。

 それならばもうすぐ差しかかる辻で、そちらが見えるだろう。


「――お茶会?」


 私も言ったけど、ポーも全く同じことを言った。絵本の中に飛び込んだような、可愛らしい造形であっても街は街だ。

 その只中に、二十人ほども座れそうなダイニングテーブルが置かれている。レース編みのクロスが掛けられて、その上には空の食器が所狭しと並ぶ。銀の燭台には、クレヨンみたいなキャンドルが立つ。

 でも席はほとんど空だ。唯一座っているのは、貴賓席の一人だけ。見覚えのある燕尾服にシルクハット。

 黒いウサギの顔を持った、ベンがそこに待ち受けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る