第15話:森の主の正体は
「分からぬことを、恥じる必要はない。分からぬならば、そう言えば良い。戒めから逃れ、また何度でも挑めば良いのだ」
手足を動かそうとしても、ぴくりとも出来ない。縛られているのは手首と足首なので、指は動かせるけれど、それではどうしようもなかった。
ええと。世界中にたくさん居て、名前が――なんだっけ。
首が絞められることに焦ってしまって、考えがうまくまとまらない。
何度やってもいいと言うなら、そうしたほうがいいのだろうか。また次は謎かけの中身が違うのかもしれないけれど、この事態を想定していなかった今よりはましなはずだ。
そうだ一度、気持ちを落ち着けたほうがいい。ポーだって怯えているはず。マギーもハンスもダイアナも、あれきり声を発していない。同じくポーも。さっきの表情から、今はどれほど不安を増していることか。
動かせない首をなんとか捻って、視線を強引に下へ向ける。
「――ぅぅぅぅ」
口を真一文字に結んで、恐怖に耐えているのかと思った。それで唸りが漏れているのだと。
けれどよくよく見れば、違うらしい。真ん丸な目は、まばたきもせずに泉へ向けられ、その上にあるふわふわの眉が下がっている。
考えているんだ。諦めることなんて、きらきら輝く金髪の中にはこれっぽっちもない。
そうだね。再挑戦するのだって、もう少し粘ってからでもいいよね。どんなことがあってもって、言ったのにね。
――順番に考えよう。
世界中にたくさん居る。または、ある。それぞれ名前が違うことも、同じこともある。人間が生み出したもので、そこから生まれたものも人間の中にある。
すぐに分かるのは、人間の赤ちゃんじゃない。だから人間が作ることの出来る、物だ。
服、だろうか。シャツとかスカートとか、名前が同じでも形が同じとは限らない。
いやそれなら、靴でも食べ物でも同じだ。答えはそれしかないと、納得出来るもののはずだと思う。
「無理をすることはない。汝らも己が第一だ。己を整えてこそ、互いを思うことも出来るのだ」
なんだろう、この諦めさせようとする誘惑は。物語に出てくるような、こういう門番的なキャラクターは、余計なことをしゃべらないのが相場だと思うのだけど。
うん? 待って。たしか、問うのは二つだと言っていなかった? なのにどうしてこんなことばかり言って、二つ目を言わないの?
よくあるパターンだと、言葉として言っていないだけで、問いは既にされている。だとすれば、ここまで言われた中にそのヒントがある。
思い出せ、私。
森の主は、なにを言った? 謎かけと、降参しろってことと……それだけ?
ああ、思い出した。女王の命令は、この森の葉を、一枚も外へ出さないこと、だった。でもそれでは、私たちへの問いにならない。
「そろそろ頃合いだろう。答えが出せぬのであれば、息絶えるのみ。分からぬと認めよ、女王の意思は我が下にある。汝らに理解出来ることなど、なにもない」
「……そんなことない! ドロシーと、お友だちになったもの! なにも分からないのは、お手伝いさんよ!」
ポーが叫んで、ぐっと一気に首が絞まる。そのせいで咽そうになったのに、咳も出せなかったほど。
我慢しきれなかったのだろう。カゴの鳥みたいに、家の中へ閉じ込められたドロシー。その気持ちまで、誰にも分からないと決めつけられるなんて。
女王の意思が、こんなところに……。
…………そういうことか。
声を出そうとしたけれど、押し潰された呻き声が僅かにこぼれるだけだ。これでは答えられない。もう時間切れで、絞め殺すと決定したのだろうか。そんなのは嫌だと、手を扇ぎ、顔を左右に振った。
擦れて痛かったけれど、答えたいのだと伝わるように懸命だった。それは叶ったようで、蔓が緩む。
「諦めがついたか」
「げほっ――違う。分かったの」
「ほう」
咳がたくさん出て、うまく話せない。ようやく落ち着くまで、森の主も急かさなかった。
「聞こう。我は、誰か」
「あなたは、本よ。本は、世界中にたくさんある。例えば同じニュートンの伝記でも、著者が違えば中身が違う。本は人間が作って、読んだ人はそこから知識を得る」
波打っていた泉が、静まる。ひとつ大きく、ため息を吐くような波紋が広がった。
「あなたは言った。『女王の意思は、この森の葉、一枚たりとも外へ出さぬこと』だって。最初は、葉っぱ一枚も出さないというくらい、なにも通さないって意味だと思った。でも本当は、この森の葉っぱの一枚一枚が、女王の意思なんでしょう?」
「ヒナ、どういうこと? ここにドロシーが居るの?」
確証があったわけじゃない。そうと気付いたら、ぴたりと話が合って動かなかったというだけ。
私も半信半疑であったものを、ポーがすぐに理解出来ないのは当然だ。
「私も想像なんだけどね。森の主は水でしょう? だから森の木は、彼の下にある。彼はそれが、女王の意思だと言ったの。ここは誰にも届かなかった、ドロシーの気持ちが繁る森なんだよ」
「ドロシー……」
見渡せば見渡すほど。どこまでが果てか、想像もつかないほどに広大な森。頭上は抜け、光がさんさんと降り注いで、風も淀みない。
それはまだ見ぬドロシーの、人となりを表しているかのようだった。
なのに。どの樹木にも、葉が生い茂る。青々としたものも、枯れて今にも落ちそうなものも、混ざり合っている。
「あなたは本。そして、この森の全て。おまけに題名も言えば、ドロシーの心。そんなところよ」
言ってすぐには、泉に変化はなかった。彼、と言ってはみたものの、性別や人格があるのだろうか。あるのなら、なにか考えごとをしているのかもしれない。
少し待っていると、泉が残らず宙へ浮いて球状になった。それがまた形を変えて、分厚いハードカバーの本の形になる。
「見事だ、賢き者よ。汝は我の問いを、二つ答えた。汝にならば、女王への道を開いてやれる」
触れれば凛と冷たそうな水の塊が、そう言って弾け散った。霧のような水の粒子が遠く散らばって、周りの木々たちを濡らしていく。
やがて霧は周囲を覆って、ある一方だけが晴れている。その霧のトンネルが、森を抜ける道なのだろう。
「行くがいい、優しき者たちよ。人の声に耳を傾くこと、ゆめゆめ忘れるな」
「ありがとう、森の主。きっとドロシーを助けてみせるから」
「忘れないわ、森の主!」
拘束していた蔓は、とっくに消え去っていた。私たちはみんなで顔を見合わせて、トンネルの奥へと進む。
静かな平面を取り戻した泉は、もうなにも語ることはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます