Interlude 01
第13話:招かれたルーナ
一年以上を離れていた我が家に帰って、ルナの最初の夜は、両親の歓迎に遭った。
「おかえりなさい。たくさん食べてね、好みが変わってないといいけど」
ローストビーフとヨークシャープディング。フィッシュアンドチップスに、アップルパイ。シェパーズパイもある。
いくらイングランドの田舎町でも、そんな型にはまったような物ばかりを、普段から食べているわけではない。
求めればパスタだってポトフだって、作るのは容易い。
けれどもあえて、このメニューなのだろう。格別にどれが好きということもないが、日本では決して食べられない味ばかりだ。
あえて言うなら、全部好きだった。ママの心遣いが身にしみる。
「研究は進んでいるかい? 時には振り返ってみることも大切だよ」
パパはと言えば、ひと抱えほどもある箱を渡してくれた。なにやらひどく重たくて、これもまた型にはまったような、美しい包装に赤いリボンがかかっている。
中にはたくさんの、絵本が入っていた。どれもこれも、見たことがある。おそらくは、まだそのまま残してある自分の部屋か、ポーの部屋に残っている物も多いだろう。
英語で書かれた新品の絵本。きっと日本でも、手に入れることは出来る。大学生で留学をするような娘に贈るのに、ふさわしいとも言えない。
だが言葉としては言わない、パパの想いが伝わって、また日本に向かうときには持っていこうと誓った。いや実際には貨物として、別便とはなるだろうが。
「絵本なんて、もうそんな歳じゃないわ」
ポーが眠るのには、久しぶりにお話を読んで聞かせた。幼くないと言いながら、その目は輝いていた。
読んだのは当然に、パパが新しくくれた絵本だ。昔から持っている物とは、微妙に内容が違っている気がする。
ポーの寝顔を見ながら、あとで比べてみようと思った。しかしまずは、両親のところへ置き去りにした、ヒナを救出に行かねば。
◆◆◇◆◆
二日目は朝から、ポーの友人であるドロシーの家に向かった。その家の大人が、家を出る前に会おうと考えたのだ。
しかし思った以上にその時間は早く、訪ねた時にはとっくに留守だった。
けれどもそれだけで終わらせはしない。応対してくれたお手伝いの女性に、問うてみなければ。
ドロシーは、いまどうしているのか。ポーが会いたがっていて、少しだけでも会えはしないだろうか。それが無理でも、手紙のやりとりくらいは出来ないだろうか。
「申しわけありませんが、家のことを勝手に教えられません」
お手伝いの女性は、冷然とした印象だった。邪険にというのも違うが、明らかに迷惑がっている。開いたままの扉の奥や、窓に向けた視線を、なんとなく身体で遮られた。
しかしその言い分は、もっともだ。認めつつも食い下がったが、ダメだった。
その場は諦めて、その家の父親か母親、どちらかでも良いからと、勤め先を教えてもらった。勝手に教えられないなら、教えられる当人に聞こうと思ったのだ。
もちろん携帯電話の番号などは、教えてもらえない。大切な話だし、電話で済ませるのもどうかと思って、会いに行くことにした。
「町まで? 構わんよ、たまには遠出させてやらなきゃ、舟も拗ねるからな」
湖の舟守をしているジャックを頼ると、二つ返事だった。湖から川を下れば、目的の町に着く。用事が済むまで帰りを待つとも、ジャックは言ってくれた。
だがこれは空振りに終わる。父親も母親も同じ勤め先だったが、どちらも外出していた。今日はそのまま、仕事が終わったあとに帰宅するらしい。
もとの町に戻って、ジャックに礼を言った。件の家の前を通り過ぎてみると、一階にしか灯りは見えない。
大人たちが帰るのは、深夜になってからと聞いている。どうしても会えなければその時間にという手段もあるが、いきなりそれは不躾だろう。
明日も来ることを誓って、家路に就いた。これは明日にも済まないかもと予測して、心の中でヒナに詫びる。
事情の説明は、全て終わってからだ。
その途中、妙な人影を見た。背がすらっと高く、燕尾服にシルクハット。教会のイベントでもある日だっただろうか。
おやとは思ったが、すぐに見失って、夕食のあとには見たことさえも忘れてしまった。
◆◆◇◆◆
昨日よりも格段に早く起きて、ドロシーの家に向かう。まだ太陽は顔を出していないが、待っているうちにすぐに明るくなるだろう。
朝の散歩と考えれば清々しいが、人さまの出発を呼び止めるのは、多少ながら気が重い。しかしポーのためならば、なんとかしてみせる。
どうということはない、頼みごとをして、失礼は詫びればいいのだ。
ドロシーの家を前にして、深呼吸をした。乗っていくはずの車もまだある。うまくいけばポーを喜ばせ、故郷をヒナに紹介することが出来る。
「よしっ!」
玄関に向かおうと、歩き出した。その視界のぎりぎりに、黒い塊がぼんやりと浮かぶ。
ぎくりとして、そちらを見た。すぐ横かと思ったが、三、四歩ほど先に人が立っている。燕尾服に、シルクハット。昨日の人物だろうか。
――いや違う。人、ではない。真っ白な頬に涙が青く描かれ、口元は笑う。ピエロだ。
それは仮面でなく、化粧でもなかった。そういう顔の、人形。
瞳のない眼窩に目を奪われたまま踏み出した足は、ついになにも踏むことがなかった。
ルナの身体は、深くドールの国へと滑り落ちていく。
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