第11話:ポーとドロシー

「ノヨーロレーシリェー」


 陽気なハンスの歌声で、ポーはかなり気分を持ち直したようだ。でも真面目な話をする雰囲気でもないので、「ごめんね」と演奏をやめてもらった。


「この子たちを、ドロシーが持ってるのを見たの?」

「ドロシーの部屋に入ったの。一度だけ」

「その時に見たの?」

「うん。ドロシーが一人ずつ、名前を教えてくれたわ」


 またハンスがポンチョを広げてくれたので、私たちはそこに座った。ポーは膝の上にマギーを乗せて、ハンスはその隣に座る。ダイアナはポーの頭の上へ勝手に乗って、そこから彼女の顔を、覗きこんだ。

 まだもう少し、難しげな表情の解けないポーを、みんな気遣っているらしい。


「一度だけ? お友だちなのよね?」

「……ドロシーは、病気なの。町から来て、ずっと一人なの」


 私の質問に、そのままは答えがなかった。答えにくそうに見えたので、私も急かしはしない。

 代わりに病気とはなにかを聞いても、病名やどんなものなのか、ポーは理解していなかった。でもよく咳をして、部屋の外に出ることも、住み込みのお手伝いさんがいい顔をしなかったそうだ。


「ドロシーのパパとママは、二人とも町でお仕事をしてるの。夜もドロシーが眠ってから、帰ってくるんだって言ってたわ」

「それで寂しいから、ぬいぐるみを?」

「きっと、そう。パパとママは、ドロシーがぬいぐるみを好きだから、よく買ってきてくれるんだと思うわ」


 ドロシーの両親が働いているという町に、元々はドロシー自身も住んでいたのだそうだ。ポーの住む町からは、車で一時間以上もかかる。

 その間に信号機のひとつさえもない、かなりの遠方だ。


「学校にも来れないから、毎日遊びに行ったの」

「毎日?」

「毎日よ。窓から湖を見ているのは知ってたから、その下に行ったの。最初はあっちへ行けって言われたけど、一ヶ月くらい経ったら返事をしてくれた」

「そっか。毎日呼びかけたんだ」


 一ヶ月もの間、無視されたり罵声を浴びたりしたのかもしれない。それなのにポーは、返事をしてくれたと、とても嬉しそうに言った。

 そこに嫌な思い出なんて全然なくて、ドロシーが自分のほうを向いてくれたと、それがとても幸せそうだった。


「それからも毎日、窓の中と外でお話したの。マギーはすぐに見せてくれたわ。軽いものね。ハンスやジョーの名前も聞いて、会いたいって言った」

「ダメだったの?」

「お手伝いさんが怒るから、ダメって言ってた」


 都会から田舎に療養に来ているのだとしたら、喘息とかだろうか。そうだとしたら、あまり長く人と話すのも、負担をかけると心配されるのかもしれない。

 分かるけれど、そこまで管理されて、両親とも顔を合わせない。心の負担はどうなのだろうと思う。


「でもね。お手伝いさんがどうしても足りない物があるって、買い物に出かけたの。その時に、お部屋に入れてもらったわ」

「なるほど、冒険だったね。それでみんなと会ったんだ」


 大人の立場で言えば、よその子が勝手に入ってきて、と不快に思うのかもしれない。でもドロシーは、ポーと遊びたかったのだ。

 どれだけ邪険にしてもしつこく訪ねてきてくれる、唯一の味方くらいに思っていたのだろう。

 だから悪者の居ないちょっとした隙に、囚われの塔へ招き入れたのだ。


「思ったより早く、お手伝いさんが帰ってきて、私は追い出されちゃった。それからは、ドロシーが窓から顔を出すこともなくなったの」

「そこまで? ひどい……」


 ポーを部屋にまで入れたことを、お手伝いさんは叱ったのだろうか。両親に報告して、指示を受けたのかもしれない。

 どうであれ、自分の部屋から窓の外を眺めることまで制限するなんて。そんなこと、許されていいことじゃない。


「そんな大切なお友だちなのに……」


 また、ポーが喉を詰まらせる。

 ドロシーの境遇を思い出して、感極まったのか。それともなにか、別の想いがあるのか。彼女の頬に、ひと筋だけ。たったひと粒の水滴が通っていった。

 それきりポーは、耐えていた。泣くのを我慢する必要なんかないのに。私では頼りないだろうか。泣いてくれれば、背中をさすってあげられるのに。

 傍に寄りかけた私を、強い意志を持った目が押し止める。


「ポー。優しい気持ち、私にも分かるよ。私はドロシーを知らないけど、会って遊びたいって思うもん。戻ったら、会いに行ってみよう?」


 会わせてあげられるかは分からないけれど、頼んでみるくらいは出来る。難しそうだからと、やってみるけどダメだったらごめんなんて、保険をかける気にはならなかった。


「違うの――」

「うん? どうしたの」


 すう、はあ。と、何度も大きく息をして、ポーは苦しげに話す。

 まだなにかあるの? 私はポーのことをなにも知らなくて、すごく、すごく、申しわけなくなった。


「私ね。さっきハンスに目を覚ましてもらうまで、全部忘れてたの」

「――お菓子の家で? そんなこと、私もそうだったよ。ルナを迎えに来たんだって、忘れちゃってた。でもそれは、この世界のせいなんだよ。ちゃんと覚えていれば大丈夫だって、聞いたでしょ?」


 そんな風に言ったものの、それでは慰められないかもと思った。ポーはドロシーのことを、思い出したと言っていた。

 ルナのこともだとすれば、実の姉と友人と、二人ともを忘れてしまって。楽しくお菓子を食べて過ごしていた、私の恥ずかしさが、単純に言っても二倍なのだ。

 案の定、ポーは首を横に振る。ぶんぶんと、私の言葉をはねのけようとするみたいに。


「私のせいなの。ルナが居なくなったのは……」

「ポーの?」


 八歳の小さな女の子は、今度こそ堪えきれなかった。肩を震わせて、両手を握りしめて、微かに声をあげる。

 私はそっと傍に寄って、両腕に小さな身体を閉じ込めた。

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