第10話:思い出したポー

 狼たちがハンスに、トラが私に。唸り声をあげて、飛びかかってくる。

 後ろには退がれない。左右に避けては、ポーが無防備になる。それなら、正面で応じるしかない。

 集めていた中でいちばん大きな石を両手に持って、トラの顔面に叩きつける。でもひょいっと避けられてしまった。

 脇ではハンスが狼たちに踏みつけられ、四肢を引っ張られて「うああ!」と叫ぶ。

 そちらに気を取られた一瞬に、私の足をトラが咥えて引っ張った。逆らいようのない、ものすごい力。堪えることも出来ずに、尻もちをついた。


「いたっ!」


 声をあげると、トラがじろり私の顔を見る。あまりリアルでない可愛いトラだけれど、こういう状況では怖ろしく思える。

 足を咥えたまま、トラは私を引き摺って行こうとしているようだ。


「やめてっ!」


 この場でむしゃむしゃと食べられるのももちろん嫌だけど、誰も居ない場所でというのはおそろしすぎる。

 誰も――そうだ、ポーは。


「来ちゃダメ!」


 視線を向けると、ポーにはライオンが向かっていた。彼女はマギーを後ろ手に隠し、もう一方の手で、あっちへいけとやっている。

 その間にも私は、ずるずると引き摺られた。手の届いた草を握っては引き剥がされ、また別の草を握っては引き剥がされ。それもそろそろ握力が限界だ。


「来ないで!」


 ポーが背中を向けて、逃げ出し始めた。でもそちらは泉で、追い詰められるだけだ。ライオンもそれが分かっているのか、慌てた様子もなくゆっくり追いかける。

 ポーがライオンに囲まれて、泣いてしまうなんて。あまつさえ食い殺されるなんて、そんなのはダメだ。


「やめて! あっちへ行って!」


 咥えられていなかったほうの脚を振り上げて、思いきりトラの顔面を蹴りつける。がおと悲鳴があって、私の足は自由になった。

 もちろんトラには構わず、ポーを追いかける。

 一気に押し倒そうというのか、一頭のライオンがポーへと飛びかかった。

 間に合うか? 私もそのライオンを目がけて、飛び込んでいく。


「ヒナ!」


 恐怖に顔を引きつらせた、ポーが叫んだ。それに答える暇はなくて、ライオンのたてがみをむしるようにしながら、ごろごろと一緒に転がる。

 そうだ、このライオンたちもぬいぐるみなんだ。力が強くても、体重はそれほどじゃない。

 でもそこに別のライオンと、さっきのトラがやってくる。一頭に組み付いたまま、二頭に踏まれてはどうにもならなかった。


「ポー……ポー! 逃げて!」


 なんとか絞り出した声は、彼女に届いたはずだ。けれどもポーは逃げない。いや、逃げられないのか。囲んでいた別のライオンが、またポーに近付いていく。

 急に彼女は、隠していたマギーを正面に持ち替えて顔を覗きこんだ。なにか話しているのだろうか。

 青みがかった色のライオンが手を振り上げて、威嚇する。そこにポーは、きっと睨みつけた。


「あっ、あなた! こんなことやめて! あなたジョーでしょ!」


 また名前を知っている? 言われたライオンも、不思議そうにポーの顔を見た。


「あなたのこと知ってる。こんなことをしたら、ドロシーが悲しむわ!」


 一歩踏み出して、強く。ポーが叫ぶと、青いライオンは明らかに怯んだ。仲間と打ち合わせるように顔を見合わせて、最後に「がうっ」と、ひと声鳴いて去っていく。

 トラや狼たちも、残らず居なくなった。


「助かった……のかな」

「いやあ可愛いお嬢さん。君はとても勇敢だ。おかげで助かったよ」


 ハンスも全くの無事らしい。もうビウエラを鳴らして、なにやら軽快な歌を歌い始めた。

 ダイアナが、私の周りをくるくる回る。ずっとあっちへこっちへと飛び回って、けん制してくれていたのだ。小さな身体で、いちばん勇敢なのはダイアナかもしれない。


「ポー、ありがとう。ポーのおかげだよ」

「ヒナ……」


 彼女はなんとかそれだけを言って、口を引き結んだ。泣きべそを必死に耐えているようだ。


「怖かったね。ごめんね」


 立ち尽くすポーを、しゃがんで抱きしめた。ちゃんと守ってあげられなくて、ごめんと謝った。

 牛乳と石けんを混ぜたような、彼女の匂いが私の気持ちを落ち着かせてくれる。


「ヒナ――私、思い出したの」

「え? 思い出したって、なにを?」


 少しの間そうしていると、ポーが言った。顔を見ると、いつものポーに戻っている。笑顔こそないけれど、それはなにか理由がありそうだ。


「あのね。マギーもハンスもジョーも、みんなドロシーのなんだよ」

「ドロシーって――ああ。でもどうしてそんなことに?」


 湖岸にあった家の子。ポーのお友だちだと聞いた。その子の持ち物だというぬいぐるみが、どうしてここに居るのか。

 ポーは悩ましげに考えながら、話してくれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る