第9話:ある日の森の中
びぃん、びぃん、と。ハンスがビウエラを弾きながら歩く。深緑と紅葉と、黄色も茶も混ざる賑やかな森は密度が濃い。なのに暗くはなくて、妙な感じではある。
夜もそうだけれど、女王さまは暗いのが嫌いなのだろうか。
暗いといえば、ポーの元気がないままだ。
もう随分な距離を歩いたから、疲れてないか聞いても返事をしてくれない。手を繋ごうと言っても、マギーを両手で抱いたまま、応じてくれない。
その態度が寂しいというのももちろんあるけど、そうなった原因が分からなくて心配が募る。
「ところで休まず歩くのかい?」
「えっ。あ、そうね。それほど感覚はないけど、どのくらい歩いたのかな」
「あっちの時間で、五時間ほどは歩いてるわ」
「えぇ、そんなに?」
ハンスが聞いてきて、マギーが時間を教えてくれた。自分で言った通り、それほど歩いたという気はしない。
でもだとすると、もう向こうでは朝になっているだろう。私たちまで居なくなって、心配をかけているだろう。
ルナが永遠に帰ってこないよりはいいだろう、と思って来たのだから、仕方がないとは思う。でもほかになにか、いい方法があったのかもしれない。考える時間もなかったのが悔やまれる。
「ポー、眠いでしょ? 少し休もう」
目の前にしゃがんで聞いても、やはり返事はない。ぶんぶんと首を横に振って、休むのが嫌なのかというくらいに否定さえあった。
もしかして、寝ぐずりだろうか。自分が平気だからと、配慮が足らなかったかもしれない。ポーはまだ、小さいのだ。
下を向くポーの両腕を持ったまま、辺りを見回した。少し先に、泉が見える。
「ポー。私、疲れたからあそこで休みたいの。いいかな」
顔が下を向いたままだから、それ以上には頷けない。でもポーは、上体を揺するようにして肯定を示してくれた。
良かった。完全に嫌われたわけじゃなさそう。
◇◇◆◇◇
ハンスがポンチョを下に敷いてくれて、ポーはすぐに眠ってしまった。マギーをぎゅっと握ったまま、ダイアナも隣に寝転がせて。
泉に吹く風が気持ちよくて、私も眠ってしまった。ほんの少し、うとうととしただけのつもりだったけど、目が覚めた時には熟睡した感じがした。
でもそれで起きたのではないようだった。ああよく寝たなどと、伸びをする空気では全くない。
肉食獣の唸り声。それがかなり近くから、いくつも重なりあって聞こえてくる。
「ポー! ハンス! みんな起きて!」
ポーはすぐに目を開けた。寝ぼけた様子で、マギーを握ったままの手で目をこする。
ダイアナは飛び上がって、近くの茂み辺りをぐるっと回って帰ってきた。
「▲▲△! ▲▲△!」
なにを見たのだろう。大変だ、みたいな風に慌てている。
そしてハンスは――まだ寝ていた。ご丁寧に、鼻ちょうちんまで膨らませて。そもそもあなたたち、人形でしょう。眠る必要あるの?
「ちょっとハンス!」
「んあ……」
彼が軽いのをいいことに、私もかなり激しく揺すった。ひっくり返りそうなくらい左右に揺られて、ようやく起きたらしい。
彼の目は黒い樹脂パーツが縫い付けられているだけなので、顔を見たのでは起きているのか分からない。
「おやおや、これは囲まれているね」
「なんとかならないかな」
「どうしたものかな」
この事態にも、彼の気楽な口調は変わらなかった。それが頼もしくはあるけれど、策がないではどうにもならない。
「石でも投げたら、逃げてくれないかな」
「どうだろうね、やってみなければ分からない」
手ごろな石はそれほどない。でも他に武器になりそうな物は、枝きれの一本さえも見当たらなかった。
手近な石を集めて、足元に置く。姿勢は低く、ポーを私の後ろに座らせた。ダイアナも自分の半身ほどもある石を、持ってきてくれる。
ハンスは、ビウエラを構えた。
「イッホーレ! イホーレ!」
弦がかき鳴らされる。また彼の演奏に救われるのだろうか。だとしたら、言動はともかくとして、とても頼れる仲間だ。
「彼。なんてこった、やべえ、って言ってるだけよ」
「え……」
ぽつりと、ポーに握られて苦しそうな体勢のマギーが言う。それが聞こえているのかいないのか、ハンスの演奏はますます熱を増した。
いやその音で怖れてくれるなら、それでもいい。意図がどうであれ、襲われないのが第一だ。
――しかし効果はないようだ。とうとう茂みの中から、唸っていた動物たちが姿を現す。
「どうしてこんなところにライオンが……」
それだけでなく、トラや狼も居る。数は全部で二十頭ほど。もちろんどれもぬいぐるみなのだけれど、大きく開いた口に鋭い牙が覗いている。
いちばん先頭に居たライオンの鼻先に、ダイアナが飛びかかっていく。武器も持たずに素手で、お姫さまみたいな姿に似合った平手打ち。
「ダメだよダイアナ! 戻って!」
ライオンはうるさがるだけで、効き目はそれほどないらしい。噛みつこうとするのを、ダイアナはひらりひらりと避ける。
一頭がそうやって足止めされている間に、それ以外がこちらに向かってくる。じり、じり、と。一歩ずつ慎重に距離を詰める。
「来ないで!」
握っていた石を先頭のトラに投げつけた。上手く当たって、顔が背けられる。
けど、それだけだ。逃げはしない。そのトラが怒って、本物みたいに吼えた。お腹の底にまで響き渡るような声に、身体が動かない。力が抜けて、ぺたんとお尻が地面に付いた。
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