第7話:おじさんと少女

 ついさっき、ポーは連れ去られかけたのだ。それに聞けば聞くほど、女王さまとやらが好きに出来る世界らしい。

 そんな場所を警戒する、私が変なのだろうか。

 その答えがどうであれ、もう遅い。ポーの呼びかけに、小屋の前に居た誰かが気付いてしまった。


「やあ、可愛いお客さまだ。こっちにおいでよ」


 つばの広い帽子。ええと――そう、ソンブレロだ。オレンジ色に、赤い差し色の入ったポンチョ。浅黒い肌。くるんと巻いたヒゲ。

 いかにもメキシカン、という感じのおじさん。の、ぬいぐるみ。

 クレーンゲームに入っていそうな感じ。でも身長は、私の半分ほどもある。


「なにをしてるの?」

「ようこそ、可愛いお嬢さん。お腹が空いたんでね。おやつを作っているんだよ」


 おじさんの前には、焚き火があった。そこには鉄板がかけられていて、ポーなら座布団として使えそうなほどの、大きくて平たいなにかが焼かれている。


「パンケーキですか?」

「こんにちは、綺麗なお嬢さん。これはクッキーだよ」


 クッキーなんだ。

 甘い匂いだし分厚いから、パンケーキですかと私も聞きはしたけれど。トルティーヤとかじゃないんだ。


「おいしそうね。私もお腹が空いたわ」

「それはちょうどいい。家の中で焼いてるのを、食べていくといいよ」

「えっ。食べられるの?」


 そう聞いたのは、おじさんのお菓子作りの腕を疑ったわけではない。お腹が空いたと言ったのが、マギーだからだ。


「食べられるわ。この国ではね」

「ねえハンス。私も、私も」

「もちろんさ可愛いお嬢さん。そろそろ焼けているはずだから、見てくるよ」


 ポーもねだり始めて、ハンスは嬉しそうに小屋の中に入っていった。

 というかこの人、ハンスというのね。ミゲルとかホセとかじゃないんだ。

 ――え? どうしてポーが、この人の名前を知っているの。適当に言っただけとも思えないけれど。


「ねえ、ポー。あの人、ハンスっていう名前なの?」

「そうよ。ヒナは知らなかった?」

「え、ええ。誰かに聞いたの?」

「うーん? そうだったかな……分からないわ」


 細い鼻と小さな額に皺を寄せて、ポーは一所懸命に思い出そうとしてくれた。でも分からない、と。

 私は慌てて、指で皺を伸ばしてあげる。無理にでなくていいから、思い出したら教えてねと言って。

 ばきっ、と。唐突に大きな音がした。小屋の柱でも折れたかと思うような、なにかを壊す音。


「なに、どうしたの?」

「あそこじゃない?」


 ハンスの座っていたイスに陣取ったマギーが、視線を向ける。彼女は落ち着いていて、大したことじゃないという顔。

 私も大きな音に驚いただけで、慌てふためいていたわけではない。でも、原因が分かってそうなった。


「ちょ、ちょっとハンス! なにをしてるの!?」

「うん? 焼き上がってたから、また次のを焼くのさ」

「次のって、それは壁よ!」


 音がしたのは、小屋の壁をハンスが内側から蹴破ったからだ。私の背と同じくらいの板が、真っ二つに折れて倒れた。

 中を覗くと窯があって、たしかにその脇へ同じような物が置いてある。

 壁はいくら焼いても、食べられないと思う。それに壊してしまったら、住めなくなってしまう。


「あなたの家でしょ? 壊したらダメだよ」

「僕の家と言えばそうだが。勝手に住んでいるだけでね。最初からここにあったんだよ、このお菓子の家は」

「お菓子?」


 言われて、落ちていた壁の小さな破片を拾ってみた。匂いを嗅ぐと、たしかにクッキーみたいに思える。

 もう一度眺めて、ちょっとかじってみた。

 クッキーだ。


「慌てない、慌てない。それは焼き直したほうがおいしいんだ」

「いや別に我慢出来なくなったわけじゃ……壁がね、なくなると困るなって」

「壁はいま、外で作ってるところじゃないか」


 当たり前だろう? みたいに笑われても、そんな事情は知らない。というか新しく出来たほうを食べればいいのに、と思う。

 待っているように言われて、丸太に座った。でもこれも感触がおかしい。飴細工とかだろうか。

 座っているうちに、溶けてお尻に付いたりしたら嫌だなあ――。


「あれ。誰か来たわ」


 きょろきょろしていると、小屋の裏の森から小さななにかが飛んでくるのが見えた。マギーよりもう少し小さいくらいのそれは、人の形をしている。


「ん。やあ、ダイアナ。君も来たのかい」

「△△△!」


 背中に羽の生えたその子は、ロングドレスを着た女の子だ。薄い水色のチェッカー柄が、とても可愛い。

 なにごとか喋っているようなのだけれど、聞き取れない。小さな身体に見合って、声が小さいせいもあるだろう。しかしそれ以前に、彼女の顔の下半分は黒い布で覆われていた。

 赤い刺繍もされた布は、彼女の耳の後ろで留められているようだ。ダイアナが声を発する度に、もごもごと動く。


「そうかい。まあ、ゆっくりしていくといい」

「▲▲▲!」

「なにを言ってるか、ハンスには分かるの?」

「いいや? でもきっと、クッキーが欲しいとか、そんなことだろう」


 適当だなあ。

 でも当のダイアナは、もうポーと手を繋いで遊び始めてしまう。そこにはもちろん、マギーも加わった。

 ダイアナの肌は真っ白で、陶器みたい。ビスクドール、というやつだろうか。

 私はハンスの持ってきてくれた、香ばしい匂いのするクッキーをかじりながら、三人を眺める。

 ポーとダイアナは、金色の髪。マギーは首周りにたてがみのような、ピンク色の毛を振って、フォークダンスみたいに踊っていた。

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