第5話:そこは人形の国

 ごつごつとした感触はあるけれど、全く痛みはなかった。大きな滑り台のように、さあっと下っていく。

 ずっと真っ暗で、土の壁が続いているのかも見えなかった。だけどなぜだか、抱きしめているポーの姿だけは見える。

 風を切ることも、水なんかに沈む感覚もない。長くそうしているうちに、下っているのか平坦なのか、もしかすると上っているのかさえ分からなくなっていく。

 ――ふと気付くと、私たちは草原の真ん中に寝転んでいた。刈ったばかりの芝生のように、揃って短い草。でも絨毯みたいに、ふわっとしている。

 見渡すと、遠くに建物が見えた。一つや二つではないようなので、街なのだろう。

 その背景の空に、違和感を覚える。絵の具の白と青を同じくらいに混ぜ合わせて、べたっと均等に塗ったみたいな水色。地面の近くも頭上の色も、全く同じに見える。


「えっ。ここ、地下なのよね」


 そうだ。色もおかしいけれど、いちばんおかしいのはそこだ。見た目の違和感を置いても、高い空はどういうことだろう。


「違うわよ」


 マギーの声がした。なんだかくぐもっているけれど、どこに居るのだろう。きょろきょろ探すと、「ここよ」と呼びかけがある。


「あっ、大丈夫?」

「ええ。でもちょっと窮屈ね」


 マギーはポーが両手で、しっかりと握っていた。ポーにしてみれば、私が彼女を抱きしめていたのと同じ気持ちなのだろう。

 でも胴と首がほとんど直角に曲がっていて、苦しそうだ。

 気を失っている様子のポーの手から、そっとマギーを救出した。ポーの呼吸も穏やかで、ただ眠っているだけのようだ。


「それで、ここは地下じゃないの? 私たちはどこへ来たの?」

「どこって聞かれると、私も知らない。でもよく言うでしょ、ウサギの穴はあらゆる世界に繋がってるって」

「あらゆる世界……」


 気付き始めていた。だって空には、雲の代わりにティーポットとカップが浮かんでいる。カップから溢れた紅茶が、この世界の雨らしい。向こうで、ざざっと降り注いでいるのが見えた。

 少なくとも地平が霞むくらいの、こんな広い空間が、今まで知られずにいたはずがない。ここは私たちの住む世界とは違う、別のどこかだ。


「それじゃあマギーも、この世界に住んでるの?」

「いいえ。住んでいるのはあなたと同じよ。生まれたのもね。でも私はぬいぐるみだから、それだけでここの住人でもあるのよ」

「ぬいぐるみだから? どういうこと?」

「すぐに分かるわ。ここは、ドールの国だもの」


 ドール。人形の国?

 住人が人形の世界というなら、ぬいぐるみも仲間だろう。それは分かる。

 でも、すぐに分かるって?


「そっち持ったか? 上げるぞ」

「ほいきた。よいさ」

「ほいさ」


 よいさ、ほいさ、と。リズムのいい掛け声が繰り返される。

 またどこから聞こえるのか、すぐには分からなかった。代わりに気付いたのは、まだ目を閉じたままのポーが、少しずつ動いていること。

 まるでカメが歩いているくらいの速度だけれど、確実に動いている。いやポーがそんな器用な移動方法を持っているはずはなくて、運ばれていると言うのが正しい。


「ポー!」


 彼女の腕と腰を取って引き寄せた。いくら速度が遅くても、勝手に運ばれるなんてぞっとする。

 すると彼女の居た下に、なにかが二つ。


「お皿――?」


 青いサラダボウルみたいな物が、地面に伏せられている。どう考えても怪しくて、じっと見つめた。

 やがて、と言っても十秒ほどで、二つそれぞれに頭と手足、尻尾が生える。カメだ。甲羅はつやつやとした樹脂っぽいけれど、ほかはふんわりとしたぬいぐるみ。


「やれやれ見つかったか」

「見つかったら仕方ない。帰るとするさ」


 運ぶ物がなくても、掛け声は必要らしい。また、よいさ、ほいさ。


「ちょ、ちょっと待って!」

「あん? なんだい」

「あなたたち、この子をどこへ連れて行こうとしたの」


 ぬいぐるみではあっても、屈強そうなゴリラとかなら怯んだかもしれない。でも相手はカメで、誘拐犯だ。私でも意図を聞くくらいは出来た。


「決まってる。女王さまのところさ」

「そうさ。迷い込んだ人間は、ほとんどそこに連れて行かれるのさ」

「えっ。じゃあ、ルナっていう女の子を知らない?」


 この世界には、女王さまが居ると彼らは言った。人間を運んで、どうするつもりなのか。でもその決まりは、それほど厳格なものではないようだ。

 この二匹のカメは、見つかったことで運ぶのを諦めてしまった。

 あ、いや。もしかすると怪我をしてしまって、治療のためとか、元の世界に戻すためとか、そういうことかもしれない。


「さあなあ、俺たちは運ぶのが仕事だからな」

「そうさ、名前なんていちいち聞かないのさ」

「そうなのね――じゃあ、そこに運ばれた人はどうなるの?」


 その答えも、彼らは知らなかった。運ぶのが仕事で、それから先は知らないと。


「知りたきゃ、女王さまに聞いてみるんだなあ。おっかない人だから、教えてくれるか分からないけどな」

「お、おい。なにを言い出すのさ。女王さまに聞かれたら、どうするのさ!」

「ああ、それはまずいなあ」


 顔を見合わせた二匹は、それまでカメらしく四つん這いだったのに、立ち上がった。

 そのまま二本の脚で、逃げていく。ものすごい速さで、私が全力で走るよりももっとだろう。

 でもルナを探すヒントは得られた。女王のところに、人間は集められる。当人に直接聞かなくても、他に知っている誰かは居るに違いない。

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