第3話:ルーナの行き先

 キャロル家のパパとママは、ルナを探しに出ていった。私も探すと言ったのだけれど、この辺りの土地勘がなく、ポーを一人で置いておくわけにもいかない。だから待っていてほしいと言われた。

 

「入れ違いにルナが帰ってきた時に、誰かが居たほうがいいの。頼めるかしら?」


 と、ママ。

 それは分かる。でもだからと、なるほどそれならゆっくり待たせてもらおう、とは思えない。仮にも私は、彼女の友だちなのだ。

 もちろん勝手に探しに行けば、二重に迷惑なのも分かっている。だから、ポーが眠っているかもう一度確認したあとは、音を消したテレビ画面をずっと眺めていた。

 ポアロ、クイズ番組――チャンネルを変えていくと、最後にサッカーの映像になった。

 ルールも知らないけれど、そのほうが余計に感情を刺激しなくていいかもしれない。


「ルナ……なにしてたんだろ」


 昨日は何時に帰ってきたのか思い返すと、午後七時ころだった夕食に、ぎりぎりで間に合ったくらいだ。

 ママが言うには、それくらいならば毎度のことだったらしい。けれど友だちの家に泊まったりするのに、連絡もなかったことはないと。

 探しに行く前に、あちこち電話をしていたので、心当たりの友だちのところにも居ないのだろう。

 もしもこれが家出なら、口裏を合わせている可能性もある。でも昨日の寝る前の様子からは、そういう雰囲気は感じなかった……と思いたい。


「私、ルナのことなにも知らないな」


 ルナは中途でなく、最初から私と同じ大学に入学した。

 彼女はホームズもアリスも、ピーターラビットも大好きだ。その大好きな物が、他の国ではどんな風に見られているのか、知りたいと言っていた。

 けれどもそれはヨーロッパの他の国でも、アメリカでも、どこでも良かったはずだ。どうして日本だったのだろう。

 一緒に服を買いに行ったことが、何度かある。でもあちこち回った挙句に、彼女が買うのは決まってジーユーだった。それも、一枚か二枚くらい。

 他になにかあったっけ――。

 キャンパスの中や、行き帰りに、おしゃべりはたくさんした。でも彼女自身を知る情報が、思い出せない。

 別に彼女は、秘密主義ではなかった。聞けば大抵のことは教えてくれただろう。私が聞かなかったのだ。


「もっと話せば良かった……」


 呟くと、もうそれは叶わない事実のような気がして、涙がこぼれた。

 そんなことない。今はなにか事情があって、帰れなくなっているだけ。

 そう思い込もうとしても、窓から見える暗い空が不安を掻き立てる。イングランドにも、コヨーテとか居るのだっただろうか。

 ――ふと気付くと、時計が零時を回っていた。パパとママは、まだ帰ってこない。

 二階に上がって、バルコニーから外を眺める。静かだけれど、懐中電灯の光がちらちら見えた。きっと街の人も、探してくれているのだ。

 大人の私が家でのんびりしているのを見られると、体裁が悪いかもしれない。罪悪感を覚えて、すぐに家の中へ戻った。


「あれ……?」


 一階に戻ろうとして、話し声に気付く。この家の中には、私とポーしか居ないはずなのに。

 まさか泥棒でも入ってるの?

 私の体格は、日本人女性として概ね平均だ。白人の男性が力に訴えれば、どうすることも出来ない。

 そうでないとしても、やはり何者だか分からない相手は怖かった。びくびくしながら、話し声がどこから聞こえるのか、耳を澄ました。


「――んん?」


 なにを話しているかは分からない。でもなんだか、ポーの声に思える。

 窓から友だちが訪ねてきて、そのままおしゃべり? トムソーヤーじゃあるまいし、ここはイングランドよ。

 足音を忍ばせて、ポーの部屋の扉に耳を近付ける。

 相手の声は小さくて聞き取れなかったけれど、なんだか湖のことを話しているようだ。


「――そこにルナが居るの?」


 ポーが言った。居場所を知っている人が、そこに居る。そう思うと、聞き耳を立てていることなど忘れてしまった。


「ルナはどこに居るの!」


 ノブを捻るのももどかしく、扉を押し開ける。ベッドサイドのランプが点けられただけの暗い部屋に、人影が二つあった。

 一人はベッドに腰掛けたポー。もう一人は――一人と数えていいものか。淡いピンク色のウサギ。直立しても、ポーの膝くらいまでの背しかない。


「あら、あなたもベンに会ったのね。こんばんは」

「こ、こんばんは」


 声からすると、どうやら女の子だ。ウサギと言っても本物の動物でなく、少しデフォルメされたぬいぐるみ。背中には縫い目が目立つし、目が大きくて、耳もウチワみたい。


「ええと……」

「ああ心配しないで、私は怪しくないわ。そう言っても信じられないかもしれない。そうよね、でも信じてもらうしかないの。早くしないとまずいもの」

「あ、うん」


 たしかに怪しくはないかもしれない。気持ち悪いとか怖いとかも、なぜだか感じなかった。

 でもおかしくはある。だって、ぬいぐるみがしゃべっているのだから。


「今はね、ポーと話していたの。ルナの居場所を教えてあげていたのよ。ああ、ポーっていうのはこの女の子で、ルナはこの子のお姉さんよ。ちなみに私はマギー」

「あのね、ルナは穴に落ちたんだって」


 待って、待って。多い、情報が一度に多すぎる。

 いや半分は、どうでもいいことだったけれど。マギーと、ポーが言ったのとを半々として。


「穴、って言った?」

「そう。ウサギの掘った穴だ、って。でもそんな大きな穴、私は見てないわ。ヒナは知ってる?」

「おかしいのよ。ベンと出会ったなら、見ていると思うのだけど」

「えっと、そのベンって?」


 ウサギの穴。人が落ちてしまうほどの。心当たりはある。するとベンとは、自動的に彼のことだろう。

 なんだかとてつもなく良くない予感がして、認めたくなかった。


「背の高い黒ウサギよ。燕尾服を着ているの」

「ああ、会ったかもね……」

「それなら穴を見ているはずよ。よく思い出して、ゆっくりでいいわ。夜は長いもの」


 その言葉を証明するように、マギーはポーの座っている隣に飛び乗って、横になった。ポーもそれが嬉しかったみたいで、頭を撫でる。


「え、と。うん、分かってきた。あれ、でもさっき、早くしないとまずいって言わなかった?」

「ええそうね。あと一時間もしないで、穴は消えちゃうもの」


 穴が消える。すると、ルナの居る場所に行けなくなる?

 それが彼女を連れ戻せないのと同義ならば、まずいどころじゃない。マギーの態度からは、とてもそうは見えないけれど。


「じゃあ早くしないと、ルナを迎えに行けないってこと?」

「そうだったわ! 早くして、二人とも!」

「え、えぇ……?」


 マギーはベッドの上を跳ね回って、慌てて着替えるポーを急かし続けた。

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