勧誘


 目も綾な緞子の打掛、鉄線蒔絵の手箱、黒漆に金箔であしらわれた将棋盤、それに南蛮の柱時計などが俺を取り囲んでいる。寝覚めにはちょいと華美に過ぎる光景である。


 夥しい宝の山。どれも盗品に違いない。

 竹林の七賢人を描いた瀟洒な屏風から透徹した視線が降り注ぐのを俺は疎ましく睨み返した。後ろ手に縛られて転がされている俺だけが、この豪奢な座敷でひとつだけみすぼらしかった。どうやら抵抗虚しくここへ攫われてきたらしい。

 猫目の女盗賊が横ざまに顔を突き出した。

「盗人のヤサなんざ、あばら家か荒寺かと思ったかい?」

 縦長の瞳孔に潤んだ光が見える。呪法で俺を捕縛した女である。蠱惑されまいと俺は声を張った。

「江戸は丸焼けだってのに、手前らは景気がよさそうだな」

「あたしらだって大打撃さ。方々のお宝をいっぺんにここへ集めたから、それなりにゃ豪華に見えるけど、なけなしの蓄財でね」

「頭領を早く連れてこいよ。金はねえ、殺すなら殺せ」

「ふん、威勢がいいが――あんたはとっくに死んでるようなもんさ。火雷噬嗑からいぜいごうに噛み砕かれてあんたの身体は上下に千切れかけてたんだ。わたしらの呪法で辛うじて命を繋いでる状態。風前の灯だ」

「――ぬ」


 痛みは感じぬが、脇腹から胸にかけて大きな裂傷がある。布でぐるぐると覆われているが、赤黒くなった血が滲んでいる。


「放っておいても死ぬ」

「なら死なせろ」

 と、強がってみせたものの、俺自身を巡る数々を謎を突き止める前に死ぬのはどうにも心苦しいのであった。それを解き明かすために三浦――画号を曽我蕭白という――に会いに行く矢先だったのである。せめて胸に詰まった疑いを晴らしてから死にたかった。


 ――その疑いとはすなわち。

 俺は人であるのか、そうでないのか? たったそれだけが問題であった。

「ただの人間ならとうに死んでいる」

 冷酷な響きが場を凍らせた。芋虫のごとく身をよじらせて見れば、そこには鼬小僧と呼ばれる男の年齢不詳の人相があった。

「なぁ、人斬りさんよ。あたしらの仲間にならねえかい? 借金は勘弁してやる。薊野を斬ったことも許してやろう。大火からこっち不運続きでね。仲間は減ったし、吟狐ぎんこが言ったように貯め込んだ財もあらかた散逸しちまった。それにお上の取り締まりもきつくなってきやがった」

「弱り目に祟り目ってやつかい。勢力を盛り返すために人斬りの外道までも引き込む算段なら、お生憎様だ。こう見えて盗みは不得手なんでね」


 屍者から刀を失敬したことをすっかり忘れて俺は堂々と言い張った。


「あんたに盗みを手伝ってもらおうとは思わねえさ、仕事は他にもいろいろある。迷宮で盾となってヤッパをぶん回してくれるだけでもいい」

「おめえらも虚空権現とやらの御伽噺を信じてるのかい?」

「馬鹿なことを言うねえ。五十五階の地の底まで潜れるなぁ、人の姿をした化け物だけだ。あたしらはさ、ただ迷宮に自分たちだけの国を造りてえのさ。あんたも魍魎街を見たろう」

「日陰者が大手を振って暮らせる根の国さ」吟孤と呼ばれた猫目の女が言を添えた。

「そら大層な企てだな」と俺はまんざら賛同しないでもない気持ちになった。地上で隅に追いやられた者たちがこぞって地下に暮らせる無縁所。逃れの聖域である。こいつらの如き無法者には居心地がいいだろう。かく言う俺も魍魎街で覚えた親近感はいまだ記憶に新しい。寺田や廻鳳の面影がよぎる。


「おめえらは最初から俺に借金を背負わせるつもりなどなかったんだな?」


 無理に身を起こした俺は漆塗りの将棋盤の上にあぐらをかいた。怪我はひどいが見下ろされるのはまっぴらだった。


「ああ、たったひとり裸同然で迷宮を這い上がれるタマなら、仲間に引き込もうと思ったんだ。腕と度胸がありゃ、うちの連中の誰も文句は言わねえ。ただ、おとなしく着いてこねもんだから、少々荒っぽいやり方になっちまったがね」

「悪いが俺は迷宮に用なんざねえんだ。借金をチャラにしてくれるってんなら、こっちも恩義を感じねえこともねえが、またぞろ迷宮に戻ろうなんざ、そんな正気とは思えねえ沙汰ぁ、よしとくぜ」


 口の中の血の塊をペッと吐き出すと、俺は片膝を立てて、改めて座敷を見回した。鼬の手下が揃っている。ひい、ふう、みい、と数えてみたが両を指では足りぬ人数である。だたの群盗ではない。どれも一騎当千の凄味がある。


「そうかい。なら、あの時と同じだ。あんたの命運は天に委ねることとしよう。あたしらは救命と治癒の呪を解いてあんたを放置する。縁はそこまでだ、もうちょっかいは出さないし助けることもしない」

「ああ、そうしてくれると助かるぜ」


 俺は敵意を収めた。まわりくどい方法であったが、あの時も今も、こいつらが俺を助けてくれたことには間違いはない。


 俺は座敷をぐるりと見渡した。

 頭領の誘いを跳ねつけた俺をねめつける者もあれば、無関心に眼を逸らす者もあった。俺に負わされた刀傷が癒えぬままの薊野もそこに居た。


 西瓜頭が一歩俺に歩み寄った。


「もし気が変わったら出向くがよい。的屋のお縫という女に言付ければ、我らに連絡を取ることができよう」

「無用さ」

「――もうひとつ。老婆心から言わせてもらうなら、曽我蕭白、あの絵師には近づかぬほうがよかろう。やつの絵筆には強力な呪力が備わっておる。あれに描かれれば魂を一部を絵に封じられるぞ」 

「しかし、俺は――てぇっ!」

 だしぬけに痛みが戻ってきた。

「俺は知らねばならぬ。己が何者なのかを」

「ならば好きにするがいい。せいぜい野垂れ死ぬなよ」

「ありがたいねえ、割れた西瓜に心配されるなんざ」

 悪罵を投げつけるようとも西瓜野郎はどこ吹く風といったふうである。鉄面皮と言うのも馬鹿らしい無表情であったが、あれはあれでお節介で面倒見のいい奴なのかもしれぬ。


 しばらくすると俺は鼬の手下どもによって運び出された。茣蓙にくるまった俺を乗せて川を下ったのは、迷宮で出くわした猪牙舟とそっくりな一艘であった。迷宮での日々を思い出さずにはいられない。


 ――黒い大鳥居に人間離れした異人と防人。鬼と骸袋と無数の墓標。


「あれらが恋しいってのか?」


 俺は自嘲した。

 変わり果てた江戸よりもむしろ、仄暗い迷宮に俺は魅かれているであろうか。

 わからぬ。己の心すら定かならぬ身で川面を揺蕩う。果たして俺はこの先、どこへ往くのであろうか。うら寂しさと心許なさ。たったそれだけ、それだけがある。


 × × ×


「おい、眼を覚ましやがれ、貴様、どこでふんぞり返ってやがる?」


 翌朝、俺を叩き起こしたのは、野太い声であった。薄く眼を開けると辰巳の阿保面がなにやら喚いてやがる。堀沿いの番所に手負いの獣のごとく俺は身を丸めて眠っていたらしい。奴らめ、よりによってこんなところに置き去りにするとは――いや、俺が別の盗人に身ぐるみを剥がされぬよう気遣ってくれたのやもしれぬ。


「またしょっぴかれてえなら、お望みのままにしてやらぁ」


 朝っぱらから威勢がいい。いや、陽はもう高かった。俺は辰巳に蹴飛ばされてむっくりと起き上がる。身体を上下に引き裂くような傷はあらかた塞がっていた。鼬小僧は露禅丹を飲ませてくれたのかもしれぬ。盗人風情が至れり尽くせりのもてなしとは笑わせる。


「何をにやけてやがる! こちとら手前の面を拝むなぁ真っ平だってんだ。胸糞悪いったらねえ」

「うるせえ、耳元でがなるんじゃねえ」


 同心辰巳の手下の岡っ引きどもといえば、六尺棒にもたれかかって俺と辰巳の喧騒を物珍しそうに眺めていた。こちらも辰巳と揃いの阿保面である。


「言われねえでもご無礼させてもらうぜ、こんな忌々しい場所はよ」

「おう、去ね去ね! もぐらみてえに迷宮に引っ込んでろ!」

「唐変木の腐れ役人が。丸焦げになった江戸で何をいきがってやがる。手前らが取り締まる相手も守る相手もみんな煙と灰になっちまってんだろうが」


 きぃと猿のように歯茎をむき出しにして威嚇すると、ぷいと尻を向けて歩き出そうとした。が、ふと思うことあって立ち止まる。


「よぉ、辰巳。てめえ、まさか馬鹿のくせして気に病んでんのか?」

「何をだ?」辰巳は怪訝な顔である。

「江戸が燃えたのは手前のせいだなんて、おこがましいこと考えてんじゃねえのかい?」

「――樋口。おまえは何を知って?」

「俺にあの女を殺させておけば‥‥そんなふうに考えてるならお門違いだぜ。あの女を仕留めたらよぉ、俺が火を放ってたさ。殺しの後は血が滾って火が見たくなるもんよ。おめえはおめえの役目を果たしただけだろうがよ」

「貴様、己を憐れむのか」

「だからよ、おめえは悪かねえのさ」俺は言葉を区切った。「天地の成行きにゃ人は手を出せねえ」

「ふざけるのも大概に――」辰巳は拳を振り上げたが、それはまったく気の抜けた挙措であった。「貴様に慰められるほど落ちぶれちゃいねえ」


 憎まれ口にも覇気がない。拳を下ろすと、めっきり老け込んだように辰巳は項垂れた。こいつがしょぼくれちゃ張り合いってものがなくなる。


「人斬りが下手な激励をするのはよせ。まったく似合わぬ真似を」

「違いねえ。俺は行くぜ。またいつでもふん捕まえに来いや」


 確かに慣れないことはするもんじゃない。今度こそ後ろ足で砂をかけるようにして俺は往きかける。すると辰巳の方から呼ばわった。


「樋口。あの女に逢う気なら都合をつけてやろう」


 立ち止まって俺は辰巳を見返した。


月の兎つきのとか」

 俺が殺そうとした女。江戸を焦土に変えた女。


 月の兎つきのとはその名であった。

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