第3話 輝かしい日

「とりあえず飯や、せやなぁ、今日は何にしよか?」


「えっと、シェフのおすすめコースとかどうですか?」


「それや! って言うと思ったん?」


 滅相もございません。ただ、エセ太さんがつくれる料理のジャンルを知らなかっただけなのである。結局彼は私の要望を聞くことなくキッチンに行ってしまった。


「火ってつくんですか?」


 ちょっとした疑問点。猫の支配によってこの社会はどうなったのか。


「インフラは大体生きとるが、いかんせん外にでれんからナァ。ガス管が壊れたらジ・エンドや。」


 そう言う彼の手付きは、不良とヤンキーを足して二で割った見た目にそぐわない丁寧なものであった。音をたてないようにコンロに置かれたフライパン。油汚れがひどく目立つ――――むしろ油汚れがないところを探す方が難しい――――コンロは、一般家庭に普通に置かれているものとは若干違うように思われた。


「何かお手伝いしましょうか?」


 答えはすぐに帰ってきた。新幹線よりもずっと速い。単純計算だが、音は新幹線の五倍は速い。考える時間を合わせたってこれはいくらなんでもおかしいのではないだろうか。


「ええって。南条さんは客で、こっちはシェフなんや。料理人が客に料理を手伝わせるんは常識的にありえんやろ。」


 確かに、その理論は正しい。だが、ここはレストランではない。それに、エセ太さんはシェフですらない。実は調理師免許を持っている可能性はないとは言えないし、誰も否定も肯定もしていないが、ここではないということにしておこう。


「なら、私は何をすれば……」


「暇ならそこら辺でも見とき。自分、記憶喪失とちゃうん。なら、その辺のモンがなんかの手掛かりになるかもしれん。」


 記憶喪失。自覚はないが、自然とその言葉は今の私にしっくりとくる言葉であった。


「ありがとうございます。お言葉に甘えてその辺にいるので、何かあったら手伝います。」


 布団が置かれている和室から出て、そこの電気を消す。タッチパネルのようなハイテクなものとは程遠い壁のスイッチを押すだけ。その壁の近くには、使われていないであろうインターフォンがあった。


 リビングに無造作に置いてあるのはテレビのリモコンだろうか。ちょうどその近くにブルーレイがついた液晶テレビが置かれている。


 試しに赤くて丸い電源ボタンを押す。砂あらしが吹き荒れることもなく、正常に電波を受信した。


 お昼のニュースの時間だったらしく、なんのとりとめのない話がスピーカーから流れる。


「本日未明、福岡県●●●市で殺人事件が起こりました。犯人は未だ逃走中ーーーー」


 チャンネルを変えてみる。当然だが、ダイヤル式ではなく、リモコンのボタンを押すだけでチャンネルは変わる。


「今日の四色コーデは!」


 バラエティー番組の気分じゃない。迷わずチャンネルを変える。


「●●議員の汚職問題が話題になってますねぇ。」


「はい、では、その流れをパネルで見ていきましょう。」


「●月●日、●●議員は秘書の友達である●●に電話を掛けたんですね。」


「その時点でおかしいんじゃないのか?」


「まぁまぁ、最後まで聞いてくださ――――」


 リモコンの上の方の赤いボタンを押す。そうした刹那、テレビはただの無機質な機械へと姿を変えた。


「普通の、番組です……」


  情報番組、バラエティー、料理番組、何もおかしいことはない。おかしいことがないのがおかしいのであって、それ自体がおかしいのにおかしなことにおかしくないニュースがこのおかしな状態に――――


 こっちの頭までおかしくなってしまいそうだ。溢れ出すクエスチョンはやはりとどまることを知らない。壁に無造作に貼られた千葉県の地図には、至るところに赤でばつ印がつけられていた。私はその地図をじっくりと眺める。


「川、つまり県境ですか。えっと、こっちは線路、こっちの方は橋――――」


 海ほたると呼ばれているサービスエリアに向かう高速道路も、海上のばつ印によって寸断されていた。これじゃあまるで、「陸の孤島」じゃないか。江戸川と利根川に挟まれた立地上、橋を絶たれたら、交通手段は激減する。むしろ激減どころか零になってしまう。


「テレビで普通の番組をやっていたのは、千葉県を犠牲にして、とりあえずの平穏な暮らしを得たから、ですね。」


 誰にも聞こえないひとり言、それが合っている確証なんてどこにもない。どこにもないのだが、現実はそうなっている。


 千葉県の人口は確か約六百万人だったはず。政府は、六百万の命を切り、捨てた――――


 大を取って、小を切り捨てる。四捨五入だって、選挙のシステムだってそうだったじゃないか。首都圏の人口は約四千万人。その内、千葉県の人口はたったの十五パーセントでしかない。被害拡大を恐れた日本政府が彼ら、我々を切り捨てたとしても、なんのおかしな点はない。ない、はずはないのだが、ないことにされてしまったらしい。


「捨てられた、のかな。私は、私たちは。」


 誰かに否定してほしかった。でも、誰も否定してくれなかった。


 そうなんだ。


 私たちは、孤独で、孤高で、ひとりぼっちなんだ。


 しばらくすると昼食ができあがったらしくテーブルに二つの皿がのせられる。うどんにゆで卵と塩昆布が適当に乗せられたもの。男飯というのだろうか。味は、うーん、いたって普通。美味しくもなければ不味くもない。男飯にしてはいい方だと思う。


「卵ってどうやって保存しているんですか?」


「冷凍保存や。二ヶ月はもつで。」


 なるほど、頭の中にメモっておこう。ちなみにゆで卵にすると消費期限は短くなるらしい。リゾチームという細胞壁を分解する酵素がどうたらこうたらという話を生物基礎の授業で聞いた気がする。ディフェンシンとセットで覚えさせられたような……。うーん、やっぱり思い出せない。


 ※ディフェンシン

 細胞膜を破壊するやつ。化学的防御ってやつだっけ? 詳細はグーグル先生に後で聞くことにしよう。


「二ヶ月ももつんですか?」


「せやなぁ、加熱処理すればセーフなんとちゃう?」


「結局それアウトじゃないですか……」


 私の呟きはエセ太さんには聞こえていないと信じたい。テーブルを挟んで向かい合っている彼は、どこか不安そうに私を見ている。


「南条さん、これからどうするん?」


「私は――――」


 言葉につまってしまう。もしこれが夢ならば、間違いなく悪夢の類いだと思う。でも、おそらく夢なんかじゃない。この、なんとも言えないトロッとした卵の舌ざわりも、塩気がまだ残っているうどんも全部本物、絶対に夢なんかじゃない。


「私は、私がやるべきことを見つけたい、です。」


「――――やるべきこと、かぁ。できる限り応援したる。」


 ただし、命の保証はできへんけどな。と、口にはしなかったがそう言っているように感じられた。


「まずは、ここ、千葉県から脱出する手段を探してみます。」


「止めはせんが、おすすめはできへんな。」


「だとしても、やってみないとわからないじゃないですか。」


 私にしては珍しく、身をのり出してしまう。


「せやなぁ、食べ終わったことやし、とりあえず南条さんには、この街の現状、みてもらおか。」


「ありがとうございます。」


 彼は、キッチンとダイニングをつなぐカウンターに置かれた鍵を手に取る。そして、丸い穴が空いているところに人差し指を通し、器用にくるくると回す。


「こんな野郎とタンデムとか南条さんもイヤやろ。でも、仕方ないと思ってくれや。」


 しばらく使っていないであろうインターフォンのカメラを起動させる。そこに写っている影はひとつもない。


「ほな、出発や。」


 納戸に放り込まれていた古いバイク。中古だと思われるそれは、彼が触れると嬉しそうにエンジンをならす。


 左側のレバーを握り、チェンジペダルを操作する。ちょいちょいと後ろの方を指差す彼に従い、エセ太さんの後ろに上品に腰掛ける。もちろんある程度の距離をとって。


 アクセスを少しだけひねる。ゆっくりと走り出すバイク、遠ざかっていく安息。時間が流れ、景色も流れる。ヘルメットをかぶっていないからか、長い髪が視界を遮る。だからといって髪型を整えることはできない。だって、バイクは止まろうとしなかったから。


 赤信号。


 横断歩道を渡る人なんていない。


 曲がりくねった道。


 何の迷いもなく突き進む。


 まるで、獲物を見つけた蛇のように。


 旧江戸川と書かれた看板が立っている。何の変哲もない河川敷だったはずだ。そうだったはずなんだ。だが、向こう岸は見えなかった。見えるのは冷たいコンクリートの壁だけ。川はいつものように流れ続ける。


「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」


 口から飛び出たのは、あの有名なフレーズ。つまりは、方丈記の冒頭文であった。


「淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」


 何故かすらすらと言えてしまう。


 常に同じものは、この世には存在しない。いや、そんなもの、存在し得ないのである。移り変わりの激しい世界、変わらないことなんてない。生まれるも死ぬも、私には追いかけることはできないのだ。


 なぜ、このフレーズが喉をついて出たのかはわからない。ただ、それが一番しっくり来ると思ったのだ。


「それ、なんや?」


「方丈記っていう古典の冒頭文です。」


 学校で習いませんでしたかという言葉はぐっと抑え込む。


「ほーじょーき? そんなん聞いたことないわ。これでも中卒からの就職組やからな。」


 日本での高校進学率は九十パーセント以上だとどこかで聞いたことがある。というか、威張りながら言っていいことではない。最終学歴が中卒とか、普通に洒落になっていない。ある意味アクセサリーとしての価値はあるかもしれないが。


 さっと周りを見回す。いつからか黒い瞳に抉られるような感覚を覚える。河原の至るところから視線を感じる。だが、それは、私が見た瞬間どこかに去ってしまう。なぜだかそれを懐かしいと感じてしまう私が、そこにはいた。

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一週間めもりーず 藤原アオイ @no_title_Aoi

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