第4話 まさか肉をこんな柔らかく焼き上げるなんて!

 さて、何を作ろうか。浅葱あさぎは食材を前に考える。


 これだけあれば、何でも作れてしまえそうな気がする。


 調味料を見てみると、オリーブオイル、塩と胡椒こしょう、乾燥ハーブ各種にスパイスなど。ビネガーや砂糖もある。だが当然ながら、日本ながらの醤油や味噌などは無い。


「アサギ、ブイヨンは昨日から仕込んであるから、良かったら使ってくれ」


 カロムが4口あるコンロの、右奥に置かれている鍋を指す。


「あ、それは助かります。ありがとうございます」


 浅葱の世界にあるブイヨンやコンソメの素などはやはり無い。浅葱が仕事でしていた様に、玉葱たまねぎなどを使っていちから作らなければならないのである。


 オリーブも毎日ブイヨンを作っていた様で、毎食味付けの違うスープが食卓に出た。煮込み料理も多かった。


「カロムさん、この世界では食事はスープや煮込みが多いんでしょうか?」


「ああ、そうだな。大概たいがい毎日ブイヨンを取るからかも知れんが、確かに多いな。肉や魚を焼く事もあるが、どうにも硬くてパサパサしちまって、あまり評判は良く無いんだ。食堂でもあんまりメニューに無いし、あっても人気は無いみたいだな」


 ふむ、火入れの問題だろうか。焼く時間が長過ぎれば、確かに肉も魚も水分を失ってパサついてしまう。それともこの世界の食材の問題か?


 少し試してみよう。浅葱は冷暗庫から鶏のもも肉と鯛を出す。両方とも既にさばかれているので、後は切るだけだ。


 両方に鼻を近付けてみたところ、臭みは無い様だったので、臭み取りは必要無いだろう。浅葱はそれぞれを1口大に2切れずつ切り、塩と胡椒を軽く振る。


「ん? 何をするんだ?」


 浅葱の動きを見ていたカロムの問いに、浅葱は「ちょっと実験を」と応え、作業を続けて行く。


 鉄製のフライパンを火に掛け、温まったらオリーブオイルを引く。そこに鶏もも肉と鯛を並べた。中火でじっくりと火を通して行く。


 鶏もも肉と鯛では火通りの時間が違う。先に鯛をひっくり返し、鶏もも肉を返す頃には鯛が焼き上がる。


 鯛を1切れ小皿に取って、カロムに渡す。


「塩胡椒で焼いただけなんですが、食べてみて貰えますか?」


「ん? 焼いた平目か。さて」


 カロムが鯛にフォークを入れると、身の端がほろりと崩れる。カロムは「お?」と驚いた声を上げた。


「何だ? この鯛柔らかいな。たまに食うやつと全然違う。味はどうだ?」


 口に運んだ途端、カロムはカッと眼を見開いた。


「やっぱり柔らかい! ふわふわしてる! 何でだ、アサギ、お前何か特別な下処理でもしたのか?」


 浅葱も食べてみる。するとやはり新鮮だと思われる身に臭みは殆ど無く、柔らかなそれは口の中でほどけて行く。


 味付けを薄めにしているので素材の味もしっかりと判る。甘みもしっかりとあり、これはなかなか上質だ。この世界の海は豊かなのだろう。


「多分なんですけども、今まで火を通し過ぎていたんだと思います。そうすると硬くなってしまうんですよね」


「はあぁ、そんな簡単な理由だったのか」


「次は鶏をどうぞ」


 感心するカロムの小皿に、焼き上がった鶏もも肉を乗せてやる。浅葱の小皿にも。


 ほぼ同時に口に入れる。すると続いてまたカロムは眼を見開く。


「凄い良い弾力だな! 口に何か旨い液体も広がる。何だこれ」


「肉汁ですね。鶏が元々持っている水分と言うか脂と言うか。それを残す様に焼いているんです」


「成る程な。俺らは焼き過ぎてそれを失くしちまってたって事だな。あれ、でも煮込んだ時は、長くても硬くならんよな?」


「煮込みは周りに水分もありますからね。浸透圧しんとうあつというものでしょうか。煮込みの時に周りの味が濃すぎると、特に塩を入れ過ぎてしまうと硬くなってしまうと思います」


「へぇぇ。いや、しかし勉強になるわ」


 浅葱もじっくりと鶏もも肉を咀嚼そしゃくする。肉の色が淡いピンク色だったので想像は付いていたが、これは浅葱の世界のスーパーなどで、特売などでも売り出される事がある、一般的な鶏肉である。


 鶏は勿論、豚も牛も、その味や食感は育て方や飼料しりょうで変わる。この鶏はごくごく普通の育てられ方をしているのだろう。


 それは決して悪い訳では無い。あっさりして脂もくどく無いと言う事は、殆どの料理に合うと言う事だ。


「じゃあ、お昼ご飯は鶏もも肉をローズマリーでソテーしましょうか。それにスープを付けて」


「お、いいなそれ。焼いて旨いなんて、絶対みんな驚くぜ」


 カロムも賛成してくれたので、浅葱は早速調理に取り掛かる。


 まずはスープ。玉葱を大量に、繊維せんいに垂直にスライスして、オリーブオイルとバターを引いた鍋で炒めて行く。塩を振ると水分が出てしんなりして、旨味も凝縮される。


 中火で良く混ぜながら炒め、玉葱が色付いたら、ひたひたにブイヨンを入れて煮込み始める。


 次にソテーの付け合わせの準備。シンプルにサラダにしよう。サニーレタスを千切って水にさらしておき、プチトマトはくし切りに。


 玉葱とブラックオリーブは微塵みじん切りにして、ワインビネガーと塩少々、オリーブオイルを混ぜた中に加えて、ドレッシングを作っておく。


 さて、鶏を焼いて行こう。フライパンを弱めの中火に掛け、少し多めのオリーブオイルを引き、そこに生のローズマリーを入れる。


 しっかりと香りがオイルに移ったら取り出し、そこに塩胡椒を振った鶏もも肉を皮目から入れる。


 パリッとさせたいので、動かさずにじっくりと焼いて行く。


 鶏の側面が白くなって来たらひっくり返す。皮は見事に香ばしく焼き上がっていた。その上に先程引き上げたローズマリーを乗せる。


 そこに白ワインを振り入れる。じゅわっと音が、そして湯気が上がったらふたをする。


「お、それは何だ?」


 横でスープを見てくれているカロムがフライパンを覗き込む。


「蒸し焼きです。ふっくらと焼き上がりますよ」


「へぇ、いろんな技があるんだなぁ」


 スープは玉葱がとろとろになっている。適宜てきぎブイヨンを足しながら煮込んで貰っている。


 さて、鶏はそろそろ良いだろうか。蓋を開けるとふんわりとハーブと白ワインの香りが上がって来る。


「お、良い匂いだ」


「はい」


 これで中まで充分に火が通っている。後はもう少し皮目に火を通す。


 スプーンで肉の周りのオイルをすくい、ローズマリーと皮にそっと掛けて行く。すると皮から細かい泡が立ち、蒸し焼きで少し軟化した皮のパリパリ具合がよみがえる。


 良し、焼き上がりだ。皿にローズマリーとともに乗せ、その奥に水気をしっかり切ったサニーレタスとプチトマトを盛り付ける。ドレッシングは別添えにして。


 スープの味を見て、塩と胡椒で味を整え、こちらも完成だ。スープボウルと、ロロアの分はサラダボウルに注ぐ。


 鶏もも肉のハーブソテーと、オニオンスープの完成である。


「おお、こりゃあ旨そうだ。早速運ぼうぜ」


「はい」


 ほかほかと湯気を上げる料理を大きなトレイに乗せ、ふたりでダイニングに運んだ。


「待たせたな。昼飯だ」


 ナイフとフォーク、スプーンを添えて、それぞれの前に並べて行く。


「おや、焼いた鶏肉かい? 肉は焼いたら硬くなるからと言って、オリーブもあまり作らないから久々だね」


「そうですカピね」


 ふたりとも興味深げに鶏もも肉を見つめる。


「まぁ、まずは食べてみてくれよ。あ、ロロアの分はカットするから少し待ってくれな」


 カロムが楽しげに言うと、ロロアは「よろしくお願いしますカピ」とぺこりと頭を下げ、レジーナは「ふむ」とナイフとフォークを手にした。


「では早速いただこうじゃ無いか」


 フォークで鶏肉を押さえながら、ナイフを入れる。すると皮がサクッとした音を立てた。


「やっぱり硬いのかな?」


「いやいやレジーナさん、そのまま身までざっくり行ってみてくださいよ」


「んん?」


 カロムの言葉に、そのままフォークを進めて行ったレジーナは、「おや」と驚いた声を上げる。


「さっくりとあまり抵抗無く入って行くぞ?」


「でしょう。ささ、食べてみてください」


 ロロアの分を食べ易い大きさにカットし、カロムも自分の分に取り掛かる。そんな様子を浅葱はやや緊張しながら見つめていた。


 1口大にした鶏肉を口に運び、噛み締めたレジーナは「んん!」と双眸そうぼうを開いた。


「何だいこれは! とても柔らかくてしっとりしていて美味しい! どういう事だい?」


「本当ですカピ……!」


 ロロアもかじり付いて、眼をしばたかせている。


「凄いじゃ無いかカロム! まさか肉をこんな柔らかく焼き上げるなんて!」


「実はですね、これを焼いたのはアサギなんすよ」


「ええ!?」


 レジーナとロロアの視線が浅葱に突き刺さる。浅葱はびくっと肩を震わせた後、「はい」と照れながら小さな笑みを浮かべた。


「どうして肉が硬くなるのかも教えて貰いました。アサギは凄い料理人ですぜ」


「へええ、そうなんだ! 凄いなアサギ! ハーブの香りも良い。これはとても美味しいぞ!」


「本当に美味しいですカピ!」


「あ、ありがとうございます」


 浅葱は安心して、ほっと胸を撫で下ろす。そこでようやく浅葱もナイフとフォークを手にした。


 切り分けた身からはじんわりと肉汁が溢れ出て来る。ふっくらと焼き上がったそれを口に入れると、ハーブの香りがふんわりと広がる。皮の香ばしさも絶妙だ。塩胡椒の加減もちょうど良く、美味しく焼き上がっていた。


「この切り口からしたたる液体は何だい?」


「肉汁です。お肉が元々持っている水分です。焼き過ぎてしまうと、それが失われてしまってお肉が硬くなってしまうんです。そうならない様に焼いたんです」


「へぇ、成る程ね。と言う事は、これまで私たちが食べていた焼いた肉は、焼き過ぎていたと言う事か」


「そうみたいです。いやぁ、今回は俺も勉強になりました」


「サラダもスープも美味しいですカピ。ドレッシングはブラックオリーブと玉葱が良いアクセントになっているのですカピね。スープは膨よかで優しいなお味ですカピ」


「本当だ。サラダなんて生野菜をバリバリ食べるだけのもんだと思っていたが、ドレッシングひとつでこうも変わるものなのだな」


 どうやらこの世界では、ドレッシングにあまり工夫は無いらしい。


「あの、ロロア、カロムさん、ご飯、僕に作らせてくれませんか? たまにで良いんです。僕、料理をするのが好きなんです。それで料理人になったんです。人さまが作る美味しいご飯をいただくのも嬉しいのですが、やっぱり自分でも作りたいなぁって」


 久々に料理をして、やはり自分は作る事が好きなのだとつくづく思った。何せ職業にするぐらいなのだから。数日に1度でも良いから、作らせて欲しい。


 浅葱がおずおずと言うと、ロロアとカロムはきょとんと眼を見合わせる。そしてカロムは「ははっ」と笑った。


「勿論ですカピ。アサギさんのご飯、楽しみですカピ」


「たまになんて言わず、いつでも好きな時に作ってくれよ。俺もまだまだ勉強が出来そうだ。そもそもアサギは専門家なんだろ? 俺は出来ると言っても素人だからさ。こっちこそ、良かったらいろいろ教えてくれたら助かる」


 そう言って貰え、浅葱は満面の笑顔を浮かべた。


「良かったぁ。ありがとうございます!」


 そう言い、ぺこりと頭を下げた。




 ともに暮らすロロア、そして通いで世話をしてくれるカロム。


 まだまだり合わせなども必要なのだと思う。だがこのふたりと一緒なら、余計な心配はいらなさそうだ。


 浅葱はこれで、異世界での生活が本格的に始まった様な気がした。

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