第3話 お昼ご飯、僕が作っちゃ駄目ですか?

 数日後の午前中、浅葱あさぎとロロア、レジーナは隣村の外れにある家の前に立っていた。


 しっかりとした煉瓦れんが造りの家で、建てられたばかりと言う事だった。


 この場所には元々、先代の錬金術師が住まう家が建てられていた。その家がどんなものだったのかは不明だが、ロロアが新たに来る事になり、村人が建て替えてくれたらしい。


 建物の大きさに限界はあるものの、当の錬金術師の希望を聞いて、間取りなど出来る限り沿ってくれるのだそうだ。


 ロロアの場合、これまでもレジーナの家で暮らしていただけあって、部屋数さえある程度確保出来ていれば、人間が住まう家と同じで大丈夫なのだと伝えていた。


 世話係は人間なので、その人がやり易い方がロロアも助かると言う事だった。


 その代わりと言う訳では無いが、各ドアにロロアが手を使わずに出入り出来る口を着けて欲しいと頼んだ。お陰で正面に見える玄関の下の方には、上部を蝶番ちょうつがいで繋がれたドアがあった。


 錬金術師が来ると言う事は、その村にとってそこまで大事な事なのだ。錬金術師は薬剤師の役割も担うので、いるのといないのとでは、村人の日々の安心度に雲泥うんでいの差が出るらしい。


 生活に必要な家具なども造り付けや、既に運び込まれたりしていて、生活必需品や錬金術に必要な器具も、まずは最低限揃えてくれているとの事で、浅葱とロロアは身の回りの物を持ち込むだけで良かった。


 浅葱は元々持っていたボディバッグと着替え、ロロアは修行時代に師匠であるレジーナから与えられた器具や書籍を運んで来ていた。


 ちなみに浅葱の着替えは、レジーナの家に世話になっている時に、オリーブに村に案内して貰い、自分で見繕ったものだ。


 錬金術師はこうして村の外れに住まう事が慣例なのだそうだ。万が一の実験失敗で、村人に被害を出さない様にする為だ。


 とは言え、錬金術師になれる程能力の高い人間や動物は、そう大きな失敗をしないそうなのだが。


 実際、レジーナも修行中であったロロアも、殆ど失敗など無かったらしい。1度だけロロアの調合した液体が泡を吹いた事があったらしいが、些細な程度なのだそうだ。


「ではアサギさん、そろそろ荷物を運び入れましょうカピ。お師匠さまはゆっくりなさっていてくださいカピ。アサギさん、申し訳無いのですカピが、僕の背中に荷物を乗せて貰えますカピ?」


「うん、解った」


「ゆっくりしていても暇だから、私も手伝うよ。何、3人で取り掛かればあっと言う間さ」


 最初、小さなロロアが背中に物を乗せて、器用に運んでいるのを見た時には驚いたものだ。重いものは難しいが、ある程度なら問題無く運べるのだそうだ。


 レジーナの家でともに暮らしている間に、ショックもどうにか薄らいだ浅葱もすっかりと打ち解けて、ロロアに対する丁寧語は解けていた。流石にレジーナに対してはそうは行かなかったが。遠慮では無く目上だからである。ロロアは誰に対しても丁寧語なので最初から変わらない。


 浅葱が馬車の荷台から軽めの書籍を下ろそうとした時、「おはよっす!」という青年の声が届いた。


 浅葱とロロア、レジーナが揃って声の方を見ると、ひとりの青年が駆けて来た。青年は3人の元に着くと、はぁはぁと荒い息を整える様に深呼吸をした。


 浅葱と変わらない程の長身で、だが身体付きは浅葱と違い適度にがっしりとしていて、黒の硬そうな髪を短く刈り込んでいた。爽やかな印象である。


「遅くなって済まん。えっと、錬金術師のロロアと助手のアサギだな。俺はお前さんたちの世話をする事になったカロムだ。よろしく頼む。ええと、そちらさんは?」


 浅葱は表向き、ロロアの助手と言う事になっている。


 カロムの視線がレジーナに移ると、レジーナはにっこりと微笑んだ。


「私はロロアの師匠に当たるレジーナだ。ふたりの世話をお願いする人に是非挨拶をしておかねばと思ってね」


「ああ、隣村の錬金術師のレジーナさんっすね。おふたりの事はお任せください。こう見えても家事全般得意ですから」


 カロムは言い、ぺこりと頭を下げた。


 それは錬金術師の世話係になる為の、最低限の条件ではある。そこからのプラスアルファは世話係次第。


 ちなみにオリーブは、それはもう凄かった。家事どころか身の回りの世話まで甲斐甲斐しくしてくれて、それはむしろ居心地が良く無かった。


 それはどうやらロロアも同様だった様で。錬金術以外は不器用なレジーナだけが、甘んじていたものだ。


「勿論当てにしている。どうかよろしく頼むよ。このふたりは自分の事は自分でやりたがるタイプだから、世話もし易いと思うよ」


「そうなんすね。それは俺も助かります。いやいや、その辺りの折り合いは、様子を見つつさせて貰います。じゃ、早速引っ越し作業だな。荷物はこれだけか?」


 カロムの視線が馬車の荷台に移る。確かに人ひとりとカピバラ1匹にしては少なめの量だ。


 浅葱はこの世界に来て間も無いので、着替え以外の荷物は増えていない。ロロアは服はいらないし、趣味のものなども特に無い。錬金術に関するものばかりだ。


「そうですカピ。皆で運び入れればすぐに終わると思いますカピ」


「じゃあさっさと終わらせて、ゆっくりしようじゃ無いか。この人数だと往復する必要も無いかもだ」


「そうですね。僕は自分のものだけでも1回で運べると思います」


 何せ今も着けているボディバッグに、着替えは大きめとは言えひとつのバッグに収まっている。浅葱はそのバッグを「よいしょ」と荷台から下ろした。


 そしてレジーナが錬金術の器具が収められたケース、書籍全てを豪腕のカロムが抱え、ロロアは何も担ぐ必要が無く荷物の運び入れは終わった。


 家の掃除などは前もって、カロム始め村人が完璧にしてくれていたので、本当に浅葱たちは荷物を入れるだけで生活が始められるのである。本当に至れり尽くせりだ。


 2階部分は2部屋あったので、浅葱とロロアの部屋を決め、浅葱は自分の荷物を決まったばかりの自室、向かって手前の部屋に置く。ベッドや机など充分に整えられている部屋だった。


 元々はロロアひとりの予定だったから、2部屋のうちのどちらかは物置にする予定だった。だがロロアは「僕は元々物があまりありませんので、1部屋で充分ですカピ」と言ってくれた。


 器具や書籍は研究室へ。そちらも必要なものがきちんと揃えられている。


 そうして引っ越しはあっという間に終わった。


 今全員で1階のダイニングに掛け、既に持ち込まれていたハーブティを傾けて、一息吐いている。と言うものの、誰も疲れてはいないのだが。


「さぁてと、そろそろ昼飯の支度かな。何か食いたいもんはあるか? 食材たっぷり仕入れてあっから、大概たいがいのもんは作れると思うぜ」


 カロムはそう言って腰を浮かす。すると浅葱も弾かれた様に立ち上がった。


「食材! 食材見せてください!」


 するとその勢いに驚いたかカロムが「うおっ?」とたじろぎ、レジーナがおかしそうに「くくっ」と笑う。


「アサギは元の世界で料理人だったんだそうだ。だからこの世界の食材なんかに興味があるらしい」


「元の世界? ああ、もしかしてアサギって異世界の人なんか?」


 カロムは驚いた様に眼を瞬かせるが、やけにあっさりと受け入れるものだと浅葱も吃驚びっくりする。


「ロロアの前にいた錬金術師の爺さんが言ってた事があんだよ、異世界の話。俺は世話係じゃなかったんだが、人好きする爺さんでな、まだチビだった俺らを嬉しそうに入れてくれたもんさ。その爺さんは行った事も無ければ来た人を見た事も無かったそうだが、この世界とは違う世界があるってな。そっか、アサギはそうなんか」


「その様です。ほんの数日前にこの世界に来たばかりで。レジーナさんのお家で食材を見せて欲しかったんですが、レジーナさんのお世話係さんが「お台所は私のお城」と言って、ろくに入らせてくれなくて」


 オリーブは通いなので、いない間にこっそり見る事も出来た。だが何だかそれは申し訳無い気がして、躊躇ちゅうちょしていたのだ。


「ははっ、流石に俺はそんな事言わんさ。いくらでも見てくれ。そっちの世界との違いとか、俺も楽しみだ」


 カロムは快活に笑うと、浅葱を手招きしながらキッチンへと向かう。浅葱は有り難くそれに続いた。


 初めて入るキッチンは、充分な広さだった。見たところ機能としては浅葱の世界のものとかなり差はあるだろうが、充分だ。浅葱は眼を輝かせる。


「アサギ、食材はこっちだぜ」


 カロムは言うと、片隅に置かれてある2つの収納庫をばこっと開ける。


「うわぁ……!」


 中に詰められている食材を見て、浅葱は歓声を上げた。


「こっちが冷暗庫で、こっちが常温の食材庫。どうだ、凄いだろ」


 右の冷暗庫には、肉や魚、葉物野菜に卵などが詰められていて、冷暗庫よりも小さめな食材庫には、根菜類や米、小麦粉などがぎっしりと入っていた。


「凄いです! うわぁ! あ、玉葱とか人参とかの形も僕の世界と同じだ」


 浅葱は眼を輝かせて食材を凝視する。


「へぇ? 味はどうなんだろうな。ちょっと食ってみるか?」


「あ、味はレジーナさんのお世話係さんに作っていただいたものを食べていたので、同じだって事は判っているんです。ただ、形が判らないと、下拵したごしらえとか出来ませんから」


「そりゃあそうか」


 カロムが納得した様に頷く。


 ああしかし、これだけの食材を前に、浅葱はうずうずしてしまう。料理がしたい。もう何日も食材に触れていない。包丁を握っていない。


「あ、あの、カロムさん、お昼ご飯、僕が作っちゃ駄目ですか?」


「アサギが? うーん」


 カロムは眉を潜めて逡巡しゅんじゅんする。が、やがて「うん」と声を上げる。


「家事は確かに俺ら世話係の仕事だが、錬金術師さまの願いを叶えるもの仕事だ。よし解った、お前さんに任せる。俺は手伝いに回るからよ、何でも言ってくれ」


「ありがとうございます!」


 浅葱は笑顔で言うと、またカロムに深く頭を下げた。

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