第2話 どうぞよろしくお願いします

「君、もしかしてこの世界の人間では無いね?」


 女性のその台詞の内容がなかなか飲み込めない。世界? 何を言われているのだ?


「ああ、成る程ですカピ。このお方は動物が喋らない世界のお方なのですカカピね」


「そう言う事だろうね。異世界からの転移か。話には聞いた事があるが、いやはや、まさかお眼に掛かれるとは」


 女性は興味深げに浅葱あさぎを見る。頭の先から足の爪先までじっくりと。そして「ふぅん?」と首を傾げた。


「私たちこちらの人間と、何ら変わらない様だね。そりゃあそうか。おい君、大丈夫か? 理解しているかい?」


 問われ、浅葱はふるふると首を振った。


「まぁ、無理からぬ事だろうね。良いかい? 恐らくだが君は、君の世界からこの世界に転移して来た様だ。ここまでは良いかな?」


「異世界……転移……?」


 浅葱はオウムの様に女性の言葉を繰り返す。そこで漸く、その現象に覚えがある事を思い出す。


 本屋に行けば山と積まれているライトノベル。浅葱は余り読んだ事が無いが、友人にすすめられて借りたライトノベルが、確か主人公が異世界に転生して、勇者として無双する話だった。


 だがそれはあくまでフィクション。人の手で作り出された設定とお話だ。現実のものでは無い。


 それが浅葱の身に起きたと言う事なのだろうか。


「君は深夜、この家の前に倒れていたのだよ。そこを私が見付けて、家に入れたと言う訳さ。悪いものの様には思えなかったからね。こう見えても人を見る眼はあるつもりさ。眼を覚ます前の事は覚えているかい?」


「ええと、確か」


 浅葱は両手で頭を押さえ、おぼろげになってしまっている記憶を掘り起こす。


「確か……そうだ、仕事帰りにやしろにお参りに行ったんです。そこで御神木ごしんぼくに触ったら眼の前が真っ暗になって、気付いたらベッドの上でした」


「ふむ。と言う事はそのゴシンボク? と言うものの作用なのかな? ゴシンボクとは何だい?」


「僕も詳しくは知らないんですが、不思議な力が宿っていたりする木の事なのだと思います。神社、あ、神さまをまつってある所にあります」


「成る程ね。じゃあやはりその影響なのかも知れないね」


「と言う事は、貴方たちが僕を助けてくれたと言う事なんでしょうか」


 浅葱が言うと、女性は「ははっ」と笑う。


「そんな大袈裟なものじゃ無いさ。流石に倒れている人を放ってはおけないだろう? 転移はともかく、どうやら元気そうで良かったよ」


「本当にありがとうございました。その時の状況が判らないんですけども、もし見付けてもらえていなかったら、どうなっていた事か」


 浅葱は深く頭を下げる。


「そう恐縮しないでくれたまえ。何事も無くて何よりだ」


「それで、どうやったら帰れるんでしょうか」


 浅葱が訊くと、女性と仔カピバラは顔を合わせて首をひねった。


「済まない、それは分からない」


 女性の言葉に、浅葱は焦って眼をいた。


「じゃ、じゃあ知っていそうな方は」


 すると女性は申し訳無さげにまなじりを下げた。横で仔カピバラも眼を伏せる。


「どうだろうなぁ。正直、私たちが知らないこの手の事を、一般の人が知っている確率は低いんじゃ無いかな。本当に申し訳無いがね」


「そんな……」


 浅葱の身体から力が抜ける。絶望と言うのはこういう事なのだろうか。こんな何も判らない異世界なんてところにひとりで放り出されて、どうしろと言うのか。


「その方法は追々探して行くとして、ああ、君がこの世界にいる間の安全や生活は保証しよう。拾った責任は取ろうじゃ無いか。ロロア、あ、このカピバラの事だ。ロロアはもうすぐ独立してここを出るから、君と私のふたり暮らしとなるな」


「お師匠さま、それはまずいのでは無いですカピか?」


「おや、どうしてだい?」


「お師匠さまとこのお方に間違いは無いと思うのですカピが、オリーブが面倒かも知れませんカピ。このお方はこの通りハンサムですのでカピ」


「ああそうか。オリーブは惚れ易いんだった」


 お師匠さまと呼ばれた女性は「あちゃー」と額を叩いた。


「それは確かに面倒だ。ああ、そろそろそのオリーブが来る頃だな。君、ええと、名前は?」


「……天田あまだ、浅葱です」


 浅葱は力無さげに応える。まだショックで呆けてしまっていた。


「アサギか。私はレジーナ、錬金術師だ。このカピバラはロロア。私の弟子だ。あらためて宜しく」


「よろしく、お願いします」


 どうにか細い声を絞り出す。


「錬金術師には1人世話をしてくれる人間が付くんだ。私は女だから女の子が付いてくれている。オリーブと言って、とても良い子だし料理も巧い。だがどうにも異性に惚れっぽくてね。村でかなりの浮名を流している様だ。よくもまぁ広くも無い村で器用な事だよ全く」


「はぁ」


 浅葱はそう言うしか無い。ショックがまだ残っている事もあるが、知らない女の子の話なので反応し辛いのである。


「その子がもうすぐ来る。君の世界ではどうか判らないが、この世界では君の容姿はかなりのハンサムでね。細身で背が高いというのも大きなポイントだ。オリーブの一目惚れは容易に予想が出来てしまう。君が悪く無いと思うのならやぶさかでは無いが、そうで無ければ相手にしないで欲しい。よろしく頼むよ」


「わ、解りました」


 確かに浅葱は柔らかな印象の男前である。少し癖のあるふんわりとした色素薄めの髪に、白い肌。中性的とも言える。学生の頃には告白されたりもした。今はいないが交際相手がいた頃もあった。


 どうやら美意識と言うものは、元の世界でもこちらも世界でも似た様なものの様である。


「あの、アサギさんがよろしければ、僕と一緒に暮らしませんカピか?」


「え?」


「ああ、それなら確かに安心だ」


 ロロアの提案に、レジーナはうんうんと頷く。


「僕は雄ですので、お世話をしてくれる人も男性なのですカピ。ええと、性的対象が女性の男性なのですカピ。それなら面倒も起こらないと思うのですカピ」


「ロロアは隣の村で独立する予定なんだよ。ロロアはしっかりしているし、問題無く共同生活が出来ると思うよ。どうかな?」


 浅葱に異論出来る余地は無い。レジーナもしくはロロアの庇護下ひごかから外れたら、寝る場所すら事欠くだろう。


 何せ異世界(仮)、右も左も判らないのだ。浅葱には料理と言うスキルがあるが、この世界でそれが役に立つかは判らない。と言う事は食い扶持を稼げるかどうかも不明瞭なのだ。


 先程レジーナとロロアにはさらりと礼をしてしまったが、良く良く考えてみると、異世界(仮)に飛ばされて、こうして拾って貰った事はかなり幸運だったのでは無いだろうか。


 もし放り出された所が誰も通らない様な場所で、誰にも見付けて貰えず、身動きも取れずにいたら、どうなっていたか判らない。想像した浅葱の背筋に冷たいものがはしった。


 元の世界に帰る方法が判らない今、まずはこの世界で生活の基盤を築かなければならない。


 そうすると、1番の近道はレジーナとロロアの提案に乗る事なのは一目瞭然いちもくりょうぜん。どうにかショックが和らいで来た浅葱は、ふたりに深く頭を下げた。


「お世話になります。どうぞよろしくお願いします」


 丁寧にそう言うと、レジーナとロロアは嬉しそうに微笑んだ。


 その時、ドアがノックされる。レジーナが「あ、オリーブかな。はいどうぞ」と言うと、ドアが威勢良く開けられた。


「おはようございます! 今日もよろしくお願いします!」


 そう元気に挨拶をしながら入って来たのは、ひとりの若い女性だった。


「やぁ、お早うオリーブ。今日も宜しく頼むよ」


「おはようございますカピ」


「お、おはようございます」


 浅葱もレジーナたちにつられる様に挨拶をすると、オリーブの視線が浅葱に固まる。


「あら? あらあらあら? ちょっと、凄いハンサムさんがいるじゃ無いですか! 背も高くて素敵! お名前は?」


「あ、天田浅葱です」


「アサギくんね! 私はオリーブ。よろしくね!」


 オリーブはそう言って、少しばかり膨よかな身体を添わせて来た。


「はいはいオリーブ、アサギに余計なちょっかいを出さないよ。このアサギは私たちの大切なお客人から、たった今家族になった。お前の悪い癖を出すと承知しないよ。とは言えもうすぐロロアと隣村に行くがね」


「ええ〜? そんなぁ〜」


 レジーナの言葉にオリーブは小さな悲鳴を上げる。


 また賑やかになったものだと、浅葱は眼を白黒させた。

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