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 玄関を開けて家へ入ると、部活で使った体操着は洗濯機へ放り込み、制服はハンガーにかけて家着に着替える。

 夕飯の時間だけど、ベッドに寝転がってしまった為に体が沈んでいく気がして動かない。お母さんから家事を手伝うように声がかかるだろう。

 そんなことを考えながらも、さっき沙那恵と話していたことを振り返る。

、か」

 聞いた言葉を呟く。

 瞼が重くなり始めて、天井の照明がボヤけて見えるようになってきた。


 いつの間にか寝ていたようで、どれぐらいの時間が経ったのかは分からないけれど、徐々に目が開いていく。

「寝ちゃってたか」

 体を起こして目を擦り、周囲を見回す。そこで、違和感を覚えた。部屋の様子が明らかにおかしい。

 まず、消していなかったはずの照明が点いていない。

 ただ、これに関しては呼ばれても中々応答しない私の様子を見に来たお母さんが消してくれた可能性もある。その時に起こしてくれないのは、優しさだろう。

 でも、他にもおかしい所があるのだ。

 部屋が全体的に荒れている。

 壁や天井に小さな穴がいくつも空いて、飾っていた写真立ては一つもなくて、勉強机も見当たらない。

 床も何かを擦ったような跡で傷がついて、ベッドも埃まみれだ。

「何、これ……どうなってるの?」

 ポケットを探ってもスマホも見当たらない。そういえば、机に置いたはずだった。

 しかし、ここにはその机がない。

 ベッドの脇にあるデジタル時計を見ても、電池が切れているので表示されていない。朝はきちんと動いていたのに。

 カーテンを開けてみることにした。

 外は曇っているようで、薄暗い光が差し込む。

 いや、私が家に着いた時には外は暗かった。

「やっぱり、おかしい……ここは一体どうなってるの? まだ夢の中?」

 などとファンタジーな思想を巡らせていた時、窓の外から何か音が聞こえてきた。

 もう一度、外に目をやると、部屋から見える向かいの家の窓に何か動くものがあることに気付く。

 よく目を凝らして、それが何か確認しようとした矢先、突如として向かいの家の窓と壁が壊されると同時、何かが飛び出すのが目に入る。

 私は激しい音と衝撃で後退る途中に足を滑らせ、転んでしまった。

「な、何よ、今の!」

 あの爆発したかのような突然の崩壊現象の正体は、私の問いかけにも近い言葉に応えるようにして姿を見せた。

 窓に巨大な虫のようなものが飛びついて来たのだ。

 衝撃で窓は割れ、部屋の中に転がり込んで来たそれは、私が乗れる程の大きさをした、まるで蜘蛛のような見た目をした機械だったのだ。

 何が起きているのか、少なくとも私の脳内が処理しきれていないことだけは分かる。

 機械の蜘蛛は目と思われる部分を青白く光らせ、こちらの様子を伺っているように見えた。

 やがて、目が赤色へと切り替わると威嚇音のような鳴き声を発し、二本の前脚を掲げるようなポーズを取る。

 間違いなく、私を敵とみなし、今にも襲いかかろうとする前兆であることは明白であり、これが夢であることを切に願うことしかできない。

「これが夢なら、もう覚めてよ!」

「夢じゃないわよ」

 背にしていた部屋の扉が開かれたことで倒れこんだ私の背中と床がくっつき、扉を開けた人物を下から見上げる形になった。

「危ないから、そのまま動かないで!」

 厳しい口調で私に指示をしたその人は、顔を隠すように目出し帽にも似たマスクをして、両手で大きな銃を持っている。

 次の瞬間、鼓膜を破るような大きな音が部屋の中に響いたので、堪らず両耳を手で塞ぐ。

 発砲したことによる音だというのは、例の機械の蜘蛛が悲鳴を上げるように体と足を仰け反らせている様子から分かる。続けて、二発、三発と大きな音が塞いだ両手を抜けて聞こえた。機械の蜘蛛には大きな穴が空いて、動かなくなった。一瞬の連続で呆気に取られている私に、銃を下ろしたその人は手を差し伸べた。体を起こしてもらった私は助けてもらったお礼を述べる。

「あ、ありがとう。何だか変な夢」

「だから、夢じゃないのよ。とりあえず、今ので他のにも気付かれたから、早く逃げるわよ」

 声や背丈から私と同じぐらいの女子だというのは分かる。

 割れた窓から外の様子を伺うとかたわらに転がっているのと同じ機械が、何機もこちらへ向かって歩いてくる様子が見えた。

 ついてくるように言われ、部屋を出た廊下から階段を下りて玄関へと向かう。荒れていたのは私の部屋だけではなく、床には壁の剥がれた破片などが散らばり、階段の手すりが途中で折れている等、挙げればキリがない程に。

 裸足で歩くのが危険なことは一目瞭然。玄関の靴入れを探すと少し汚れてはいるけど、まだあまり履かれていない真っ赤なテニスシューズが置かれていた。

 それは、私が今部活で使っているものがダメになった時の為に新しく買ったものだ。緊急事態なので、お構いなくそれを履く。

 部屋は家の二階の奥にある為、さっき見た機械の大群は裏から今も追って来ている所なのだろう。

 幸いにも家の正面には何もおらず、助けてくれた人は首元に手を当てて、誰かと話し始めた。

「燈は回収したわ。直ぐに指示された目標地点に向かうから、座標を送って」

「ちょっと……あなた、何で私の名前を知っているの?」

 面識のない相手から自身の名前が出るのを聞き逃さなかったので、質問する。彼女は「私を知らないの?」と疑問系で返してきた。

 質問に質問で返さないでほしい、と口から言葉が出る前に相手はゆっくりとマスクを取った。

 髪が少しくしゃくしゃになっていたけど、その顔を知らないはずはない。

 ついさっき(果たして本物かどうか定かではないけれど)、鴨川の土手で一緒に話をしていた親友の東方沙那恵であった。

「さ、沙那恵? うそ、一体どうなってるの……」

「悪いけど、説明している暇はないの。仲間が迎えに来てくれる所まで走るわよ」

 有無を言わせず、私の手を取って彼女が走り出す。

 家の中から先ほどの機械達が飛び出して来たのを、微かに後ろへ視線を向けたことで確認できる。

 途中から沙那恵は手を離して、自力で走るよう言葉にはせずとも促してきたので、それに応えるよう必死に足を動かす。

 いつもなら私の方が速かったのに、彼女は重そうな銃を持っていることを感じさせない程に先を行く。

「もう少しで着くわ。この先の曲がり角を左に曲がって一〇〇メートルよ」

 沙那恵が後方にいる私に向けて叫んだ。同時に背後から機械の蜘蛛の大群が走ってくる音も聞こえ始め、再び微かに後ろを見やると数えるのに苦労する程である。

言われていた曲がり角を左に曲がった所で、一部の機械はついてくることが出来ずに壁へと激突したが、未だ危険な状況は変わらない。

「沙那恵、こっちだ!」

 前方からこちらに向けて手を振る人の姿が見えた。先に沙那恵、続けて私がその人の横を通り過ぎると、機械の大群がまるでその人の眼前で壁に阻まれたかのようにその足を止めた。

「あ、あれは?」

「機械阻止用の“妨害電磁波射出壁ぼうがいでんじはしゃしゅつへき”。人間の目では確認出来ないわ。さあ、乗って」

 沙那恵は手を振っていた人の背後に停めてある大型の車に乗り込み、私もそれに続いた。

 運転席にはまだ外に残っていた人が乗り込み、エンジンをかけて発進させる。

 激しい息切れを起こしていたけれど、ようやく呼吸を整えた所で、訊きたいことを声に出した。

「沙那恵、で合ってるんだよね? 教えて、これが夢じゃないなら、一体何だって言うの?」

 彼女もリラックスするよう、座席の傍に銃や他に身に付けていた重厚そうなジャケットを置いて、大きく息を吐いた。

「そうね、簡単に言うなら『並行世界へようこそ』、って所かしら」

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パラレルワールドシンドローム 滝川零 @zeroema

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