後編
七つ目の国である工芸の国は、名前通りに素晴らしい工芸品がたくさんあった。
「……これは……いいものだな」
と、適当に入った硝子細工の店で華奢なグラスを見て唸る。
こういった国の特産品は他国で結構いいお値段で売れるから、できるだけ良いものを仕入れたい。
だけどガラスは割れやすいからなと考え込んでいたら、店主のおっちゃんが声をかけてきた。
「おっ。旅人さんかい? いい目してんな」
どうも私が見ていた品は結構良いものであったらしい。
ちょうどいいので色々と話を聞いていたら、いつの間にか会話の話題が私のことになっていた。
「ほおぉ……こんな若い嬢ちゃんなのに、随分といろんなとこを旅してるんだなあ」
「いえいえ、それほどでも」
「いやいや、大したもんだぜ。それで次はどこに行くんだい?」
「そうですねえ……七つの国を巡ったら一度故郷に帰ろうかとは思ってたんですが……血筋でしょうか旅が楽しくて楽しくて……もうしばらく国には帰らず旅を続けるつもりです。まだどこに行くかは決まってないんですけどね」
七つの国を巡る、そんな目標を立てたのはそこまで旅を続ければ、それだけの時間は慣れていればさすがにあの人への思いが消えてくれるだろうと思ったからだった。
それにきっと、帰る頃にはあの人も性別を得ているだろうから色々と完璧に諦めがつくだろう、と。
だけど、三年経った今でも想いを捨てきれていないし、整理しきれてないし、性別を得たあの人が誰かの隣にいるのを見て自分が平然としていられるかわからない。
だから旅はまだ続けようと思う。
……ああ、でも故郷の食べ物が少しだけ恋しいから、誰にも気付かれないようにこっそりと帰るのもいいかもしれない。
と、そんなことを思っていた時だった。
真後ろから声が聞こえてきた。
「それはこまるなあ」
聞いたことがあるような気がする声に振り返った。
あの人によく似た化物がそこに立っていた。
「……っ!?」
その化物はあの人によく似ていた。
肉付きの薄い、余計な脂肪も筋肉もついていない無駄のない体躯。
長い髪は艶があって、肌は白くみずみずしく。
瞳は見たこともない、言葉ではうまく説明できない美しい色をしていた。
そこまでは全部同じだった、見た目は何一つあの人と変わりない。
だけど雰囲気が全然違った。
あの人から清廉さや清らかさ純粋さを根こそぎ全部引っこ抜いて、代わりに妖艶さと情欲と獣欲を根深く植えつけたような。
見ているだけで失神しそうな色香を持つその化物は、記憶にいるあの人よりも綺麗にそしてより恐ろしく見えた。
その化物が、私の顔を見る。
私の嫌いな『欲』でぎらぎらと輝く目で、強く、睨みつけるように。
――逃げよう。
これはダメだ、目にするどころか気配すら感じ取ってはいけない類の化物だ。
関わってはいけない、そんな命知らずなことをしてはいけない。
逃亡経路を確認しようとしたところで、その化物が私の名前を口にした。
「…………え?」
「なぁに、その反応。まさかとは思うけど、僕のこと忘れちゃったの?」
化物は不愉快そうに眉を吊り上げた。
え、むしろこっちが何その反応状態なんだけど。
それじゃあ、まるでこの化物が。
「……おまえ、なのか…………?」
かろうじてそれだけ言うと、化物は満足そうに口元を緩ませた。
「……え? ほんとうにおまえ? ……ふんいき、ずいぶんかわってない?」
「三年も経ったからね、仕方がないよ。君も少し雰囲気が変わったね。毒が少し抜けた気がする」
「あ、うん。それはじぶんでもおもってる」
かろうじて続いている理性ある会話の最中に、どうすれば逃げられるのか思考を回転させる。
だけど、そんな目論見はお見通しだったらしい。
白い手がこちらに伸びてくる。
反射的に逃れようと仰け反らせた身体が、捕らえられた。
「逃すと思う? 逃げられると思う?」
はっきりと是と答えられれば、そしてそれを実行できる実力者ならきっとこの後恐ろしい目にあうことはないのだろうけど。
答えは否だ。
逃げきれる気がしない。
化物のようなあの人は、その後私を抱え込んで高そうな宿屋の一室に連れ込んだ。
当然のようにベッドの上に降ろされて、この先の展開にある程度予想がついて悪寒が止まらない。
「あ、あの……なにこれ……えっと……じょうきょうが、よくわからな……」
歯の根が合わずにガッタガタだった。
怖い、この状況が怖い、化物みたいになってしまったこの人が怖い。
怯える私をあの人はクスクスと悪魔みたいに笑った。
やばい泣きそう。
「三年も、なにをやっていたんだい?」
「え……旅、だけど」
「そう……楽しかったかい?」
「うん」
「そう……君は僕がこんなにも辛い思いをしていたと言うのに……随分といい思いをしていたらしいね?」
「……え?」
いや、意味がわからない、と混乱していたら、頰に熱いものが触れた。
触れたものはあの人の指先だった。
「……っ!!?」
「無性の一族の特徴、覚えてる?」
「お、覚えてる……生まれつき性別がなくて、誰かに恋をすると性別を得る……」
それがなんだと思いつつ話していたら、途中で遮られた。
「その話、少し違うんだよね。大まかにはその通りなんだけど、厳密に言うと少し違う」
「そうなのか?」
「うん。恋をしたらそれで性別を得るわけじゃないんだ。恋をしたその後で、その想い人の一部を口にしなければならない」
「い、いちぶって……?」
なんか物騒な話になってないかと思ったら、あの人は少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「あ、怖がらないで。一部っていっても、ほんの一口の血でいいんだ。それだけでいい」
「そ、そうか……」
「うん。それでね。愛する人の血を飲めば僕らは性器を得る。女の血を飲めば男のものを、男の血を飲めば女ものを」
「そ、そっか……それで性別を得るのか……なるほど、なあ……」
一人納得していると、あの人は「それだけじゃないんだ」と続ける。
「それだけじゃない、って」
「うん。性器を得た後に、その性器を使わないといけないんだ。使ってそこではじめて性別が完全に固定される」
「ふ……ふーん……へぇ……」
思わず目を思いっきりそらす。
これから私はあることを確かめなければならない、ものすごく確かめたくないのだけど、それでもそれは必要だった。
「なんでわたしにそのはなしを?」
「それが本当にわからないくらい君が愚かであるのなら、君はより酷い目にあうことになるだろうね」
……あ。
やっぱりそう言う意味なのか。
「僕が君への想いを自覚したのは、君が旅に出てしまったと知った後のことだよ」
あの人は私の頰をゆっくりと撫でながらそんな話をし始めた。
「その前から結構好きだったんだけどね。親愛ではなく恋情であることに気付いたのはその時だった。君がいなくなってしまった後のことだった……もう少し早く気付いていれば、こんな苦しい目には合わなかったんだけどね」
「……くるしいめって、なに?」
「無性の一族が恋心を自覚して、だけど想う人がいなくなってしまったら、どうなると思う?」
「えーっと……そのまま、なんじゃないのか? ちをのんで……その……せ…………しなければ、むせいのままなんだろ?」
「……そうだったらよかったんだけどね……そうじゃないんだよ」
と、あの人は苦しそうな声でそういった。
「君への想いを自覚した瞬間、お腹が熱くなった。全身が火照って、君のことしか考えられなくなった。君に逢いたかった……君の血を飲んで、男になって」
君を抱きたかった、そう囁かれて全身の毛が逆立った。
「……無性の一族はね、性別を得る前までは、誰かに恋情を抱くまでは性欲を全く持たない。だからなのか誰かに恋情を抱くとその反動で人並み外れた性欲を持つようになる」
君が大嫌いな、ね。とあの人の指先が私の唇をなぞる。
頭蓋骨ごと脳みそが溶けるかと思った。
「……だけど、その欲は恋した誰かにしか向けられない。普通はそれでいいんだ。だけど、君はいなくなってしまった。僕は性別を得られないまま強すぎる欲を抱えて生きていくしかなかった」
お腹が熱くて仕方がないんだ、とあの人はいう。
「……僕には未だ性別がない、この欲を発散するための部位が存在しない。だから、君を見つけるまでの三年間、僕は発散させることができないどころか日に日に強まっていくこの欲を抱えて生きてきた。普通の人である君にはわからないだろうけど……とてもとても、辛かったんだよ」
けど、それも今日でおわり、とあの人は言う。
逃げろ、と本能が絶叫したその時にはすでに押し倒されていた。
「あいしてるよ」
そんな単純明快な愛の告白とともに、服を破られた。
それでも逃げなければともがこうとしたところで、露わにされた首筋に生暖かく湿った何かが触れる。
「あ……」
漏れた声は間抜けなものだった。
全身が粟立つ、震えが止まらない、悲鳴すら上がらない。
首筋に鋭い痛みが走る、それと同時にじゅる、と何かを――私の血を啜る音が聞こえてきた。
少しして、あの人が顔を上げる。
うっすらと私の血で染まった唇を嬉しそうに吊り上げるあの人の顔は、もう性別がなかったあの人のそれとは完全に違ってしまっている。
それはとても恐ろしかったけど、自分でも意外なことにその欲に染まった顔が嫌ではなかった。
けれど、ただそれだけのことで。
現状が、そして今から自分を犯すのであろうこの人のことが恐ろしいことには何一つ変わりない。
こんな美しいものに、こんな強い情を向けられているという現状に頭がおかしくなりそうだ。
身体がいつの間にか火照っている、恐ろしくて仕方がないのに、何かを求めて逸るような――
そんな思いを抱いている自分が、嫌だった。
――ああ、そうか。
性別がないこの人が好きだった。
単純に好きであったと同時に、私は性別がないあの人のように――欲から遠く離れた純粋で綺麗な人になりたかったんだ。
今更のようにそんなことを悟った。
きっとこれも私が逃げた理由の一つ。
だって、私はあの人のことが好きだった。
誰かを好きになるということは、それ自体がもう――
ドロドロに溶けた砂糖のような声で名前を呼ばれた。
ごちゃごちゃと考えているうちにいつの間にか服が完全に剥ぎ取られていた、硬いものが自分の女として大事な場所に当たっている。
「……まって」
恐怖と期待で涙が溢れる、あの人の名前を呼んだその瞬間に訪れた衝撃に、私の正気は消し飛んだ。
性別がないお前が好きだった 朝霧 @asagiri
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