性別がないお前が好きだった

朝霧

前編

 とりあえず、3年ほどかけて近隣の国を七つほど巡ってみた。

 感想、楽しかった。終わり。

 一つ目は果物の国。とりあえず初めから七つの国を巡ることは決めていたので、そのうちの一つをチョイス。

 なんとなく故郷から一番遠い国を選んだ理由は特になかった。

 ここは果物が本当に美味しかった、あと食料が豊富だから人々も温厚。

 二つ目はその隣。湖の国。

 大きな湖とそれにつながる川を中心にまわるこの国の文化は他にはあまり見られないものだった。

 三つ目は武芸の国。

 多くの実力者が集うこの国は他の国より気性が荒くて物騒だったが、嫌な国ではなかった。

 四つ目は暗闇の国。

 夜が長いこの国は天体がよく見えることで有名な国で、実際星がよく見えたし興味深い文献もたくさんあった。

 五つ目は極光の国。

 とても寒い国で、深い雪に閉ざされた国だった。時折現れるという極光を見るまで少し時間がかかってしまったけど、はじめて目にした極光はとても綺麗だった。

 六つ目は綿津見の国。

 大きな海に瀕したこの国は当然のように海産物が特産品で、美味しい魚類をたくさん食べることができたx

 そして七つ目がこの工芸の国というわけだ。

 こんな風に、七つの国を巡って、三年。

 楽しい思いも苦しい思いもして、三年。

 故郷から遠く離れて、あの人から離れて、やっと三年。

 それでも誠に残念ながら私はまだあの人のことが気になっているらしい。

 だから、もう少しだけこの旅を続けようと思う。


 今から三年前までのことを思い出してみよう。

 私が旅を始めるその少し前のことだ。

 私はどこにでもいる町民だった。

 父親はかつて旅人をやっていた魔術師で、母親はただの町娘だったらしい。

 旅人だった父親が町娘だった母親に惚れて、父親はこの国に定住することを決めたらしい。

 それから少しして私が生まれて、私が生まれて12年ほどたったある日に、二人は死んだ。

 よくある事故だった。

 親を失った私は叔母夫婦に引き取られた。

 父のことをよく思っていなかった叔母夫婦は私にきつく当たったけど、それでも引き取って面倒を見てくれるだけありがたいと思っていたから、特に反抗はしなかった。

 叔母も叔父も好色な人で、そういった問題がしょっちゅう起こっていたけど、その好色が自分に向けられることもなかったので、まあ悪くはない環境だったのだろう。

 それに、歳をとるにつれて割と優秀だった父親に地味に似た私がそこそこ強い魔術師として成長していくと、報復を恐れたのか次第に嫌味も言われなくなっていった。

 腫れ物にでも触るように扱われた。

 私があの人に会ったのは、そんなどうしようもない17歳の、星降る夏の夜だった。


 その日は流星群の日だった。

 だから家を抜け出して、星がよく見える丘に一人で登った。

 その丘には少々厄介な魔物が出るものだから、力の持たない一般人は寄り付かない。

 だから、一人静かに落ちゆく星々を見られる――そう思ったのだけど。

 同じ発想の人間が一人だけいたのだ。

 落ちる星を見て、いつか聞いた父親の話を思い出していた時に後ろから誰かが私に声をかけてきた。

 それがあの人だった。

 彼とも彼女とも呼ぶことができないあの人だった。

 だけど、その時の私はそんなことを知る余地もなく。

 彼なのか彼女なのかと悩みながら、ただ綺麗な人だな、と。

 その人は不思議に美しい人だった。

 肉付きの薄い、余計な脂肪も筋肉もついていない無駄のない体躯。

 長い髪は艶があって、肌は白くみずみずしく。

 瞳は見たこともない、言葉ではうまく説明できない美しい色をしていた。

 美しい人だとは思ったけど、同時に人間ではないのではないか、とも思った。

 その美しさが人間離れしていたからだ、雰囲気も、普通の人間とは明らかに違っていた。

 だけど、化物だとは思わなかった。

 化物と呼ぶにはその人は清廉として、澄んだ気配を持っていた。

 ただ存在するだけで、その場にあるきたないものをゆっくりと浄化して消していってしまうような、そんな雰囲気。

 自分は何なとんでもないものと向き合っているのではないかと内心ひやひやしながら、それでも性格がねじくれていた当時の私は何事もないかのようにその人と話をした。

 その人は私と同じような理由でその丘に星を見に来たらしい。

 先客がいるとは思わなかったよ、とその人はやんわりと微笑んだ。

 自分がなんといったのかはよく覚えていないけど、予想はなんとなくつく。

 当時の自分のことだ、どうせ憎ったらしい嫌味を一つ二つ言ったのだろう。

 それでもあの人は笑っていた、にこやかに、楽しそうに。

 今でも不思議なのだけど、当時の私はその人のことを不気味だとは思わなかった。

 きっと自分は結構ひどい暴言を吐いていたのだと思う、それでもあの人は笑っていた。

 穏やかに、清らかに。

 普通だったらそれを不気味だと思うはずだ、ねじくれていた当時の自分ならなおさら。

 暴言を吐く私にそんな態度を取っていたから、という理由だけではない。

 そもそもその丘はとても危険な場所だったのだ。

 私だって、1時間ほど苦労して、あちこち擦り傷を作って疲労困憊になって、ようやく登ることができた場所だったのだ。

 だけど、その人は無傷どころか疲れた様子すらなかった。

 あの丘に、そんな状態で平然と存在していることそのものが異常だった。

 それなのに、私はその人のことを不気味だとは思わなかった。

 恐ろしいとは思ったけど、おぞましいとは思えなかった。

 その事実だけが、その人を不気味だと思えない自分のことだけが不気味だった。

 よく覚えていないけど、私はあの時あの人にこう問いかけたはずだ。

 お前は何者だ、と。

 人間なのか、と。

 あの人はこう答えた。

 自分は人間だ、と。

 だけど、普通の人間ではない、と。

 自分にはまだ性別がないのだ、と。


 あの人のことを思い出そう。

 あの人には、性別がなかった。

 今はどうかは知らないけど、少なくとも当時のあの人には性別がなかった。

 そういう種族であるのだとあの人は言った。

 私は父がかつて話していたことを思い出した、遠い国に存在する無性の一族と呼ばれる人の話だ。

 無性の一族の人間には生まれつき性別がない。

 成長して、誰かに恋をしたその時に、恋したその人と別の性別を得る。

 そんな話を聞いたことがあると言った私に、あの人は少しだけ驚いたような顔をしていたような気がする。

 旅人だった父の話をうっかりしてしまったせいで、父の話に興味を持ったあの人にそのあと星を見ながら色々な話をさせられた。

 不思議なことに嫌な気はしなかった。性格がひん曲がっていた当時の私があんなに素直に会話をしていたという事実が今でも少し信じられないけど。

 夜通し話をして、朝日が昇る前に私達は丘を下りた。

 あの人と別れた後に、なんだか奇妙な体験をしてしまったと思いながら、私は帰路に着いた。

 あの人とはそれきりだと思っていたのだけど、何故か再会してしまった。

 流星群の夜から一週間ほど経った頃だったと思う。

 ひょっとしてあの人はこの世に実在しなくて、疲れ果てた自分が見た幻覚か何かだったのではないかと疑い始めた頃だった。

 買い物帰りに偶然、あの人の姿を見つけてしまったのだ。

 陽の光の下で見るあの人はやっぱり綺麗で、現実味がなかった。

 うっすらと彼そのものが発光しているような、妙な存在感と異物感があった。

 でも、夜に見るよりもその存在は確かなものだった。

 声をかけるか逃げるか迷っていたら、その前にあの人から声をかけられた。

 話を聞くと、その人の友人がこの辺りに住んでいるから、その人を訪ねに来たらしい。

 自分がなんと返したのかも、実は覚えていない。

 けどまあ、なんか嫌味っぽいことを言ったのだろう、当時の自分ならまずそういう言動をとる。

 あの人のことは思い出せるけど、あの人といる自分のことはよく思い出せない。

 理由はきっと二つ。

 単純に色々と未熟だった当時の自分を思い出したくなくて、思い出さないようにしているうちに忘れてしまったというのが一つ。

 もう一つはただ単純に、あの人の前にいるといっぱいいっぱいで、自分のことすらうまく把握できていなかったからだろう。

 だから、どういった話をして、どうしてそうなったのかはよく覚えていないのだけど。

 その日以降、あの人はちょくちょく私の元を訪ねるようになった。


 あの人は、少なくとも一月に一度は私の元を訪れた。

 間隔が短い時は最短で確か二日ほどだったはずだ。

 どんな話をしたのかはよく覚えていないけど、多分父の話をよくしていた気がする。

 あの人は、話を聞くのが異様に上手かったのだと思う。

 あの人に話をしていたらいつの間にか夕暮れ時になっていた、というのがしょっちゅうあったから。

 当時の私は性格がねじ曲がっていた上に、会話というものが本当に本当に嫌いだったから、当時の私にそれだけ話をさせたあの人には相当の才能があったのだろう。

 あの人からもたまに話を聞いた。

 あの人は、自分の友人のことをよく話していた。

 私のうちの近所に住んでいるらしい例の友人の話だ。

 その友人は、横暴で我儘で、強くて誇り高い青年であるらしい。

 あの人は、本当に楽しそうにその友人の話をしていた。

 その話を聞いていた私が、きっとこの人は女になるのだろうな、とぼんやりと思っていたことは思い出せる。


 認めたくないし、否定すべきことではあるのだけど、はっきりといってしまうと私はあの人のことが好きだった。

 いや、今でもきっと好きなのだろう、情けないことに。

 だってあの人は美しい、清らかで、人間でないかのように綺麗で。

 おまけに当時の私みたいな性格のねじ曲がった駄目人間にも穏やかに接してくれる人間だ、あんな会話嫌いを何時間も話させるような特異な気質の持ち主だ。

 好きにならないはずがない、恋せずに済むわけがない。

 だからこそ、その思いを自覚した私は頭を抱えた。

 どう考えてもあからさまに吊り合っていないとかそういった理由ももちろんあったのだけど、一番頭を抱えた事案はそれではなかった。

 私は、あの人のことが好きだ。

 だけど、なんで好きになったのかという理由を突き詰めてしまうとその一番の答えは明白だった。

 彼の穏やかな気性や、美しさもその理由ではあったのだけど、一番ではなかった。

 そのどちらかが一番の理由であったのなら、きっともう少し自分のことをまともだと思えたのだろうけど、現実はそうではなかった。

 私があの人を好きになったのは、あの人に性別がなかったから。

 それが一番の理由だった。


 それが一番の理由になったのは、きっと私が育った環境が起因だ。

 叔母も叔父も好色な人間だったから、私はあの人たちに引き取られた時から、そういった性の穢らわしさを見て育ってきた。

 女も男も醜くみえた、どちらも欲に溺れて欲に浸って、自分勝手に自分本位に。

 だから私は人間が嫌いになった、だからあんなに性格がねじ曲がった。

 女はきたない、きれいなふりをして男に媚びへつらって自分に都合が悪いことが起きれば醜く泣いて相手の情を誘おうと小賢しく振舞う。

 男はきたない、強いふりをして立派なふりをして自分よりも弱い女に言うことを聞かせてそんな自分に酔って都合が悪いことが起こると自分に都合が良くなるようにやたらめったらあたりに怒り散らかす。

 だけど、あの人には性別がなかった。

 男でも女でもない、性の醜さから遠く離れた人間だったから。

 清らかで純粋だった。

 だから好きになった、だから恋をした。

 それに気付いた瞬間に、私は自分の醜悪な面をもう一つ知ることになった。

 だって、あの人を好きな理由が、あの人に性別がないことなら。

 あの人が性別を得たその瞬間にきっと、私はあの人のことが好きではなくなるのだろう、と。

 当時の自分はひねくれていた、ねじくれていた。

 だけど、自分が抱え込んだ恋心がとても不誠実なものであることは理解できた。

 きっとあの人は女になるだろう、あの人がよく話す例の青年に恋をして。

 私はその時あの人を好きでいられるだろうか?

 恋心云々関係なく、あの人のことを好ましく思えるだろうか?

 もしもあの人が男になったとしよう、見ず知らずの心がきれいな女の子に恋をしたとしよう。

 恋心云々関係なく、あの人のことを好ましく思えるだろうか?

 万が一どころか億が一もないし、世界がひっくり返ってもあり得ないことではあるけれど、あの人が私のことを好きになってくれたと考えてみよう。

 私のせいで男になったあの人のことを、私は好きでいられるだろうか?

 答えは出なかった、でも、それにはっきりと是と答えられない時点で、自分が抱え込んだこの想いは否定しなければならないものだ。

 醜いどころの話じゃない、醜悪どころの話じゃない。

 自分が抱え込んだ感情の中で、これは最悪なものだろう。

 そこまで結論付けても、私はその思いを捨てることができなかった。

 それどころか自覚したせいで更に悪化した。

 誰にも恋なんてしないでほしい、ずっとそのままでいてほしい。

 女になったあの人の隣に立つ男であろうが憎かった。

 男になったあの人の隣に立つであろう女が憎かった。

 あの人に好かれるような人間なんて、みんな死んでしまえ。

 そんな自分勝手な感情と、醜悪すぎる嫉妬心に、ねじくれまくった私はとうとう耐えきれなくなった。

 それが今から三年前。

 自分の醜悪さに我慢ならなくなった私は、とうとう逃亡を企てた。

 昔からの夢を理由に、あの人から離れることにした。


 旅人だった父親のように旅をしたい。

 そんな私の話に、叔母夫婦は、あっそうお好きにどうぞと薄っぺらい反応をした。

 それどころではなかったのだと思うけど、都合は良かった。

 トントン拍子で私は旅に出る準備を始めた。

 何も言わずに、というのもアレだったので最後に別れを言いにいったら、あの人は例の友人と長期間に及ぶ化物退治に行ってしまっていたので、仕方がないので手紙だけ残して、私は国を発った。

 父親がくれた才能のおかげで私はそこそこ強かったし、その才能で結構稼いでいたから路銀もしばらくは気にしなくてもよかった。

 故郷を出て一人になって、綺麗なものや普通に優しい人たちに出会ううちに、ねじくれまくった私の性質も徐々に解けていった。

 あれだけ人と会話することが嫌だったのに、今はそうでもない、楽しいと思うことすらある。

 三年かけて、様々な国を巡って。

 とりあえず、当面の目標だった七つの国を全てを巡った。

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