第3話 成人になった現実

 大学で知り合った友達とルームシェア生活をスタートさせることとなるが、同居者も同じく札幌繁華街のススキノでの勤務者である。私は高校時代に勤めていたクラブ(当時はディスコ)のバイト先は辞めていて、喫茶店で働いていた。そこの勤務先でいろいろな出会いがあり、元の職場の知り合いもたくさん出入りしていて、居心地もよく楽しく勤務していた。その当時に話題が多かったのがギャンブルであった。

私が最初にギャンブルを覚えたきっかけは、高校時代によく遊んでいた同級生から教えてもらって、よく学んでいたのがギャンブルであった。友達の父親がギャンブル好きで、幼い頃から遊んでいたらしい。高校時代は職場で話題にするために、友達から聞いた話を、主に麻雀の話題で、ほぼそのまま会話に組み込んでいた。私は高校生であったが、職場に内緒にしていて、やがて職場は離れることになり、18歳を超えてからは新しい職場で実年齢で仕事をしていた。高校時代につるんでいた仲間も全員大学生になって、一挙に勉強から開放された感じになっていて、連絡が頻繁にくるようになり、一緒に麻雀するか酒を飲む事も多かった。でも私は大学にはほとんど行かずに昼間も仕事をしていたので徐々に付き合いは薄れていってしまい、そのうちにギャンブルも友達の付き合いではなく、個人で遊ぶようになりそのまま嵌ってしまう。

雀荘に一人で通うようになった私は、その世界に通う大人達と付き合うようになり、普通のサラリーマンの方とかもいたが、時間的に合う俗にいうギャンブル好きの大人の方々と遊ぶ事が増えていく。パチスロ・競馬・花札・ポーカーいろいろ覚えた。

雀荘でスカウトされ、そのまま雀荘で仕事もしたが、もっと儲かるギャンブルと仕事があると誘われ、ゲーム喫茶で勤務する事になる。この頃に大学に行くのは辞めた。

ギャンブルに嵌っていく事を知った学生時代の友人達はみんな付き合いは無くなり、ルームシェアしていた友人も女ばかり連れ込むようになり、部屋にはほとんど帰らず仕事先の喫茶店で生活するようになっていく。他にも経営していたグループだったので勤務先の仲間も増えて、地域が違うゲーム喫茶に遊びにいくことが多く、みんなゲームに嵌っていて、お金の貸し借りも多かった。

最初は全然知らなかったが、経営者はほとんどヤクザであり、勤務先にもそれらしき客層はいて、その中の親分の仲間が偶然私が住む同じマンションに住んでいた。恐い者知らずでもあったが、超高額の賭け麻雀に誘われて親分の代打ちをしたこともあり、まるで映画のように札束が飛び交う世界を目の当たりにして、金欲が疼き楽しさを覚えていってしまい、益々博打好きになっていく。そして私は博打をやり過ぎて借金まで作るようになり、危ない馬鹿げた生活を送るようになっていて、裏社会から抜け出せなくなっていた。

そんな状況の中で住居だけは知っていた母から連絡があったと、同居者が仕事先に知らせてきた。

『なんだ?』

最初は無視していたが、何回も連絡があって同居者が私の勤務先を教えたようで直接電話が掛かってきた。

「ユウジかい?お父さんが癌で入院したんだよ!」

「えっ?!」

「○○日に手術するからね!来れるんなら来てねっ!」

「・・・わかった」

私は手術の日に父の単身赴任先の地域の旭川の病院に行った。久しぶりに会う痩せこけた父に驚いた。こんな事が起こるなんて・・・

末期の胃ガンだったらしく、手術を見届け、無事に終わったが、その後担当医師から説明を受けた。

「意識は回復していますが、全身に転移しているため余命は数ヶ月です」

「もうこれ以上手術は無理です。今度再入院すれば、回復は難しいです」

「そして本人には胃潰瘍としか伝えていません。ご家族の方にお任せいたします」

母は父の傍で様子をずっと見ていたので、父が自分の病気に気付いている事と、余命が少ない事に母は覚悟していた様子だった。

兄も来ていて病院の片隅に連れて行かれ、あいかわらずの強い口調で

「お前と会うのは仕方なくだからなっ!またなんかあったら連絡するけどなっ!」

と言われ、さらにその後病室の外で「また連絡するから帰っていいよ」とまるで他人のようにあっさり母に言われ、とりあえず意識は戻ったがまだ朦朧とする父に会い、

「無事終わってよかったね。あとは回復するだけだから無理しないでゆっくり休んでね」

「・・ああ、学校があるのにわざわざ来てもらって悪かったな」

「また元気になったら会いに来るからね」

言いたい事はたくさんあったが、もっと話したかったが、状況的に言葉少なく選び放った言葉が、父との最後の会話であった。

そして私は先に帰った。というか帰された。

父が回復してから数日たったある日に、勤務先のゲーム(ギャンブル)喫茶に、勤務先が怪しいと感じたのか、母が突然現れて、借金まみれで生活している事がバレてしまった。借金は清算されて、勤務先を変えたが、また同じような感じの仕事を繰り返していた。職場に泊まる事が多かったが、今度は旭川の叔母(母の姉)から連絡があって、札幌の児童相談所の所長に会いに行くように説得された。といのは、実は叔母は北海道警察の婦長であった。母が叔母に連絡したらしく、まだ未成年であった私が怪しい世界にいるという話を聞いて私のところに連絡をいれたらしい。本来であればこれが私の裏社会からの脱出の手助けとなるはずである。私は所長から直接連絡もあったので、警察署までわざわざ行った。一応幼い頃からの過去の生い立ちと経歴のほとんどを話した。だが、たぶん叔母から話を聞いていたようで、婦長のほうが偉いのかしらないが、「そんな馬鹿な話が婦長の親戚に起こるわけがない!」とほとんど信じてもらえず、「お前が悪いんだろ!」って・・・なんのために話にいったんだか。

少しは期待していたが、警察なんてそんなもんでしょ。最初から頼りにしていれば、とっくに幼い頃に虐めの相談をしていた。

私が警察に不信感を持っていた理由は、母親の親戚が嫌だったのもあるが、たった一度だけ10歳くらいの時に家に帰りたくなくてプチ家出をしたことがあり、近くの公園で一人でいる時に、お巡りさんが現れて『助かった』と思ったのだが、交番に連れていって話を聞いてくれるのではなく、帰りたくない家に、首根っこ掴まれて家に強制送還されたことがあり、それ以来警察官は嫌いになっていた。

話の内容は叔母にも届き、母は偽り続け、【私が家で暴れて兄と母が出て行った】そして不良の道を歩んでいった、いうわけのわからい事になっていた。

有り得ない・・・よくそんな嘘が・・さすが世間体女だ!

両親は叔母たち母方の親族一同がいる旭川でいろいろ話をしていたらしく、それで母が叔母に相談して所長に連絡したらしい。

私にとっては【人間不信】になる出来事である。

もう親戚・親族・家族とは関わりたくない。そう思った!そしてなんとも言えない寂しさと悔しさが込みあげてきた。

 それから数ヶ月後にやがて来る時が来てしまい、兄が私の住居に現れた。

「おい、親父が再び倒れたぞ!」

「!?・・・えっ!?」

「最後くらい一緒にいくぞっ!」

「・・・わかった・・」

深夜であったが、タクシーに乗り札幌から旭川に向かった。

「わかってんだろっ!間に合えばいいが・・」

「・・・」

私は車の中では何も喋らなかった。兄も到着するまでそれ以降なにも語らなかった。

病院に到着した時に父は意識が無く生命維持装置を付けていて、母と祖母(父の母)がいたが覚悟を決めている様子だった。兄が意識の無い父に語りはじめた。

「・・親父がしっかりしていれば、こんな馬鹿な育ち方はしなかったんだ・・」

「家族を作るのは父親なんだよっ!しっかりしやがれっ!」

「みんな揃っているからなっ!家族全員いるからなっ!」

今まで思っていた事を一瞬で吐き出す感じで話していた。

そして祖母が「ユウジも最後に何か言いなさい、謝る事があるだろう」と言ってきた。私は不甲斐ない日常の暮らしと、自分を信じてもらえない悔しさで大泣きするだけであった。

散々泣いている時に様態が悪くなり医師が現れた。

到着後2時間くらいで父は他界した。享年51歳である。

その後に葬式はおこなわれたが、私は通夜の後

「お前のせいで早死にしたんだっ!もう二度と顔見せるなっ!」

いわれもない罵声を母方の親戚から浴びた。翌日には、荼毘に付された父を見届けてから一人で札幌に戻った。

ショックっていうよりも、家族的な感情がほとんど存在しない私は、人間として一般的ではない、有り得ない他人感情が存在していた。でも私の【理想の現実化】のために、父とのある【約束】があり、回復は願っていたが私は何もできなかった。

もう半分家族とは無縁で自由に生きる事を選択した時点で、人間的にはマイナスなのかもしれないが、『生きる』事に関しても己は『なんのために生きている』のか、意味がわからなくなっていた。

幼い頃から妄想していた発想の中に『お金持ちになる』『社長になる』と考えて、夢を描いて楽しんでいた時期が長く、あまり豊かではない家庭環境の中で【お金】に対する執着心が異常であったかもしれない。ギャンブルに嵌っていったのは早くお金がたくさん欲しいという短絡的な考えが大きかった。世の中そんなに甘いわけがない。

人間的にも生活的にも堕落していくのは自分でも感じていた。

 将来大人になり、生活が落ち着いたら親父とゆっくり酒を飲みながら、大人の男の話をしたいと思っていた。兄は父の事を嫌っていたが、私はただ厳しくて怖いという感情から少しずつ変わり、仕事に一生懸命だった父を少しは尊敬していて、一緒に暮らしている間は話す余裕が無かったので、そのうちゆっくり話がしいと思っていた。

実は一度だけ16歳の時に、父が旭川に行く前の帯広の単身赴任先に、母がいない間に遊びに行ったことがある。生まれて初めてふたりきりで話をした。ふたりきりは人生においてこの時一度だけである。未成年であったが父の社宅で酒も一緒に飲んで鍋をつつきながら初めて話をした。私が実家で一人暮らしを始めて間もない頃であり、私は一人前の男になった気分でいたので、一度でいいから父にこれからの将来の事を話したかったために訪れたのだ。

話の内容は他愛の無い話がほとんどであり、私的には『家族と初めて』話ができる貴重なひと時であったので、現実の世界で始めて感じる家族との最高の至福の時であった。突っ込んだ話はあまりしなかったので、私の事は勘違いされたままで少し悔いが残ったが、私が20歳を超えたらまた会ってゆっくりと本音で話す【約束】をした。私は父の闘病中に20歳になっていたが、ずーっと思い続けていた唯一家族の和解の糸口を、大人になったらできると現実的に考えていたが、結局叶う事はなかった。

 マイナスの妄想は基本することはなく、将来生きていく中で、若いときに辛い時があったって、みんな歳を重ねればいつか和解されると信じていたが、父の早い死は正直想像すらしていなかった。恐怖を感じる程厳格で真面目な父であったので、家族みんなが大人になれば、全てが過去の話となって、余生を送る頃には家族みんなをまとめてくれると信じていた。自虐生活を送る私にとって、心の隅で誰かに救いを求めていたことが叶わなくなってしまい、現実からの逃げ道を失ってしまった。

先の人生の楽しい妄想をほぼ失ったような心情になり、投げやりな気分で再びギャンブル仲間とギャンブル漬けの日々を過ごしていき、性格もますます怖いもの知らずになっていった。酒にも溺れほぼ毎日飲んだくれて、外見もだいぶ変わりヤクザの世界にも誘われることもあった。ヤクザになると将来が潰れてしまうことの意識は強かったので、遊びで付き合う連中はいても、自らその世界に入ることは避けた。

付き合いのある連中は年齢は近くて、幼い頃からの家庭環境が似たような境遇が多く、その当時は居心地がよかったのである。幼い頃に思い描いていた【自由】とは違うが自由を手に入れたと勘違いして、やみくもになんの目的もなく、ただ生きているだけの人生を、成人になって過ごしていることに、もはや自己責任ではあるのに、他人のせいにする被害妄想が起こりはじめていく。

現状を抜け出すきっかけを探し始めるが、もう運命には逆らえないと思い、今後起きる出来事には身をゆだねることになる。

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コロチニタ~今はまだ咲かないサクラ~ 色無蕾 @imawamada-sakanaisakura

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