第2話 「『好きって言ってもLIKEじゃないよ、LOVEの方』」

 今、俺はどんな顔をしてるのだろう。たぶんキョトンが一番近いと思う。こいつなにを言ってるんだ?

 そんな俺の表情を見て

「『好きって言ってもLIKEじゃないよ、LOVEの方』」

 と付け加えてきた。そして固い表情でニコリと笑った。……からかってるのか?それってあのアニメのセリフじゃないか。

「昔、アニメのことでケンカになったよね」

 紗緒里がさらに続けて話し出す。

「わたしね、あのアニメを今でも時々、見てるの。DVDボックスで買ってね。……あ、一期も二期もだよ」

 それは……意外だった。あれは嫌いだったんじゃないのか?

「何度か見返してみてもやっぱり意味はわかんないんだよね。だけど、あのアニメは嫌いじゃないよ。面白いと思うから」

 さすがにDVDは買ってないが、俺も再放送やネット配信で何度か見返してる。

 やっぱり何度見てもあのセリフは理解できないのは俺が男だからなんだと思っていたが、女の紗緒里が見返してもわからないんだな。だけど今、聞きたいのはそんなことじゃない。

「……脱線しちゃったね。……うん、言いたいことや聞きたいことはあると思うんだけど、わたしの話を最後まで聞いてほしいんだ。もっとも、わたしもあんまり頭の中が整理できてないんだけどね。

 あ、とりあえずせっかく注文したんだからなんか飲もうか?わたし取ってくるよ。何がいい?」

 俺は

「ブレンドコーヒー。ブラックで」

 と答えた。彼女は

「ん……」

 と頷いて席を立った。


 食事をする客が増えてきたためドリンクバーも結構、列ができている。しばらくは戻ってこないか。いったい彼女はなにを言おうとしてるんだろう?


 結局、考えがまとまらないまま紗緒里が戻ってきた。俺の前にコーヒーを置いてくれる。

 紗緒里はオレンジジュースを持ってきた。グラスの中には氷を入れずになみなみとジュースでいっぱいにしてる。何度もおかわりができるんだから、そんなにいっぱいにしなくてもいいのに。

 そのたっぷりのオレンジジュースの入ったグラスにゆっくりとストローをさす。そして慎重に口にくわえて一口すする。俺もカップに注いでくれたコーヒーを一口飲む。こっちは普通に入れてくれたんだな。

「……わたしが……ね。女しか愛せないって気がついたのは、ずいぶん遅かったんだ」

 一息ついて気が楽になったのか、ゆっくり話しはじめた。

「まあ、当たり前だよね。普通の女だって可愛くてきれいな女の子は好きだし、同級生の男子が子どもっぽく見えるのなんて普通なんだろうしね。友だちが女の子のアイドルグループのことを楽しそうに話してる横でおんなじように話すことができるのに、なんの疑問も抱かなかったんだ。

 だけど、少しずつその子たちも男性アイドルの話題を持ち出すようになってきはじめて。……そうしたら、もうわたしは、ついていけないの。でも、そこでも気が付かなかったんだよね。男の子が好きになれないのは単に他の子より思春期が遅いだけなんだって気楽に構えてた。わたしもいつか普通に男の子に恋をするって信じて疑わなかった。

 ……中学三年の時にね。自分が一人のクラスメイトの女の子をずっと目で追ってるのに気がついたの。自分の行動なのにどうしてそんなことをするのかわからなかった。それが恋だと気がついた時は……ね。正直、気持ち悪かった」

 俺にも覚えがある。今、目の前にいる女性がクラスメイトだった頃、やはり俺も彼女を目で追っていた。……やっぱり自分自身が気持ち悪かった。彼女は苦笑いを浮かべながら話しているが、きっとかなり辛かったと思う。

 それなら紗緒里がアニメで吹部の顧問の先生が好きな女の子が主人公の女の子に「愛の告白」をするシーンに、どうしてあんなに怒っていたのか、なんとなくわかる気がする。

 自分は「愛の告白」なんて、することができないのに、普通に男性に恋してる女の子が女の子に向かって「愛の告白」をするのは、我慢ができないくらいの冒とくに思えたのかもしれない。


「わたしって、たぶん誰にでも分け隔てなく接する人見知りしないタイプだと思われてたかもしれないけど、そうじゃないんだ。わたし……自分の性癖がバレるのが死ぬほど怖かった。だから、女の子だけじゃなくて男子にも自分から積極的に声をかけて仲良くなっていった。

 それで、もっとわたしと仲良くなりたいって思った男子から告白されたりもしたんだけど、まあ、そういう子たちには

『陸上に力を入れたいから、今は恋愛できない』って言って断ってた。嘘じゃないけど、それだけが理由じゃないんだよね」

 そんなことがあったなんて全然知らなかった。いや、紗緒里だったらそんな話があってもおかしくないか。実際、二年生の頃に一ヶ月ほど陸上部の先輩と付き合っていたはずだ。

「……高校に入ったときも同じようにやろうと思った。絶対バレないようにしようって。そうしたら瑞奈がいたの。……わたし思った

『ああ、わたしはこの子に恋してしまう』って」

 彼女は顔を赤らめてうつむきかげんで言った。

「『ダメだ!好きになったって実るわけない。諦めなくちゃ』そんな風に思ってたのに気がついたら、わたしから声をかけてた。

 ……あの時の瑞奈は伸ばしたら腰まで届く黒い髪を無造作にポニーテールにしてた。背だって百四十なかったはずよね。小っちゃくって可愛かった。それなのに胸はかなりあるじゃない。端整な顔立ちで性格もおとなしくて、わたしとは正反対」

 当時を思い出してるのか、うっとりするような顔で語ってる。

 俺は自分の動揺が表に出てないか、それだけが気がかりだ。悟られちゃいけない。


「付き合ってる人……いたよね?」

 ごまかすために、とっさに出た言葉だった。今、この場で出していい話題かどうかわからなかったが、出してしまった言葉は引っ込められない。

 彼女は俺の顔を不思議そうに見た。そして、言いにくそうに話しはじめる。

「わたしが練習中のケガでもう陸上できなくなって部を辞める時に先輩から告白されたの。わたしもスポーツ推薦の道がなくなっちゃったし、なにより特待生で入学したから、これからどうなるんだろうって不安もあった。そんな時に優しくされたからなのかな、つい『はい』って応えた。

 それに、もしかしたら男の子と付き合ったら女の子しか好きになれないことも無くなるんじゃないかって考えたのもある。

 最初のうちは良かったの。先輩は受験があったし、わたしはまだ松葉杖だったからデートもできなかったし。しばらく経った日曜に先輩が突然うちに遊びに来たの。わたしも無下にできなかったから上げちゃったの。そうしたら……キスされそうになった」

 ドキリとした。いや、曲がりなりにも付き合ってるならそうなっても不思議じゃない。俺の表情が変わったのか紗緒里は慌てて

「されそうになっただけだからね!されてないから」

 否定した。

「……まあ、要は先輩に恥をかかせちゃったわけ。だけど、彼は怒るどころか謝ってくれてね。その時に話した。家族も友だちにも隠し通してる秘密。わたしが同性しか好きになれないって」

 それはその先輩が「彼氏」だからなんだろうな。

「わたしの方こそ謝ったよ。自分が『普通』になるために利用したんだから。彼は許してくれた。それだけじゃなくて別れてもくれた。……覚えてる、その時のこと?」

 覚えてる。俺は頷いた。

「学校に行ったらみんなから矢継ぎ早に質問されてビックリした。わたしたちってそんなに注目されてたカップルだったのかって。でも、よくよく聞いてみたら彼が別れた理由をみんなに話したみたいだった」

「結婚するまでそういう関係になれない。そう言われたから別れた」たしかそれが、その時噂になった別れ話の理由だったはず。みんな憤ってた。特に紗緒里と仲の良かった女子たちはその先輩に抗議しようって盛り上がってた。

 俺もなんて奴だと思ってた。結婚するまでプラトニックを通したいと思ったっていいじゃないか。そうみんなと一緒に怒ったのを覚えてる。

「……もうわかるよね。それって彼がわたしの秘密を守るために言った嘘だったの。わたしもそれがわかったから、その嘘に乗っかることにした。おかげでわたしのイメージは『清純』になっちゃった」

 動揺を隠すためにした質問がかえって戸惑いを助長する結果になっちまった。いまさらそんな真相を聞かされても困ってしまう。


「まだ陸上やってる頃、練習を見てた瑞奈に休憩の時に近づいていって

『なにやってんの?』って聞いた」

 ああ。

「そうしたら左右の目尻を指で引っ張って言ったんだよ。

『その格好をエッロい目で見てた』って。もちろん冗談だってわかる。

『通報するぞ、エロ親父』ってわたしも応えたし。

 ……たいした思い出じゃないと思うかもしれないけど、わたしにとってはすっごいドキドキだった。わたしのことそんな目で見てくれてたんだって。その夜、妄想までした。……とんだ『清純』だよね」

 顔を真っ赤にして一言ひと言を思い出しながら嬉しそうに話してる。俺はどんな顔をしていいかわからない。もう空っぽのコーヒーカップを口につけて表情を隠そうとするので精一杯だ。

「わたしやっぱり瑞奈のことが好きなんだ。それは高校だけのことじゃなくて今でもなの。現在進行系、真っ最中」

 彼女はまっすぐ俺の顔を見つめ直してくる。

「……仕事」

 俺はポツリと呟いた。またとっさに出てきた言葉だ。

 紗緒里はハッとした顔をしてから、しばらく考え込む顔をした。やがて、

「去年三年のクラス会があって滝沢がね。わたしに近づいてきて言ったの

『お前の友だちの秋山に相手してもらったんだ』って。なんのことかと思って聞き返したら……そういうお店で働いてるって」

 ……。

「……信じられなかったから電話したの。そうしたら『お金が必要だから』って言われて。……それから電話できなくなった」

 ……やっぱり。

「今日、メールで送ってきたのって……」思い当たることがあったから聞いてみた。

「うん、本当はメールに書こうと思ったの。……だけど、考えがまとまらなかったし、なにより会って話したかったから、そのまま『会いたい』って書いたの」

 そうだったんだ。

「……わたし陸上やってた時、髪を切ってたじゃない。それは走るのに邪魔だからっていうのもあるんだけど、男の子っぽくしたら相手をしてもらえるんじゃないかって考えたからっていうのもあるの。

 だけどね、違うの。わたしは男に……『彼氏』になりたいんじゃない。女として、浅霧紗緒里を愛してほしいって思ってる。秋山瑞奈に愛されたいって思ってる」

 紗緒里が残っていたオレンジジュースからストローを抜いてグラスを持ってグイッと飲み干した。

「……だから、お金が必要なら、ふた……!?」

 紗緒里の言葉が止まった。戸惑っている。理由はわかってる。俺の目から涙がこぼれ落ちてるからだ。さっきからなんとか涙を流さないように努力してきた。だけど、もう限界だ。

 店内の雰囲気が変わってきたのがわかる。そりゃ止めどなく涙を流してる人が店内にいたら、いたたまれなくなるだろう。だが、そんなこと知ったことか!

 どうして、そんなことを言うんだ?そんなこと言われたらなにも言えないじゃないか!手術のことも。そのためにあんな思いまでして働いてきたことも。

 俺が紗緒里のことを愛していることも。俺だって、ずっと紗緒里に愛されたいと思っていたことも。

 言えない、言えるわけがない!

 俺がなぜ泣いているのかわからない紗緒里は困惑しながら小声で言った。

「どうしたの?大丈夫?瑞奈」

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ずっとキミに愛されたいと思ってた 塚内 想 @kurokimasahito

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