02

 俺の名前はバッド。バッド・アーバンストーン。

 《組織》に籍を置き、ゴミのような界隈でゴミのような仕事をしている、社会のゴミだ。

 そして現在は、両腕を後ろ手に縛られた、身動きの取れない情けない虜囚でもある。


 上院議員の屋敷の一階リビング。俺が目の前の金髪女にノックアウトされて、まだ間もない頃。

 俺は正座させられた状態で、ヒーロー、ディライト・ナイトがどこかと通信している姿を眺めていた。

「ダメね、どことも連絡が取れない。コレも全部、貴方の仕業?」

 これじゃ上の死体の件も報告できないと眉間に皺を寄せながら、彼女は耳元に当てていた指を離す。

「《ゲシュペンスト》。別名、《失敗処刑人》《悪法の裁定者》《エージェント・エース》。裏社会の要人の暗殺を繰り返す、悪人の中の悪人ダスト・オブ・ダスト。半年前から追い続けてようやく尻尾が見えたと思ったら、まさかこうも簡単に本人を捕まえられるなんて」

 まじまじとこちらを見やる彼女に、俺は内心で「え、なんだって?」と聞き返した。


 《ゲシュペンスト》? 《失敗処刑人》?

 俺はまったく聞き覚えがないぞ。

 エージェント某も全くの初耳。というか、なんだそれはと言いたい気分である。正直、聞いていて背中がゾワゾワする。いろいろとこじらせすぎだろう。唯一褒められるのは最底辺ダスト・オブ・ダストくらいだ。

 とはいえ俺は口には出さない。ただただ沈黙を守るのみである。

 一向に反応を示さない俺に、ディライト・ナイトはしびれを切らしたように目を細めた。

「……だんまり、ね。流石プロって感じかしら。身じろぎ一つしないし、正直気味が悪いわ」

 当たり前だ。そんな簡単に相手に情報を与えるわけがない。


 捕虜というのは情報の塊である。

 情報というのは、相手に知られば自分の有利になる情報と、相手に知られると自分の不利になる情報の二種類しかない。この両者のバランスをうまく取り持つことを駆け引きというのだが、これがなかなか難しい。

 そこで情報戦において一番簡単な策が、絶対的秘密主義だ。相手になんの情報も与えなければ、得にはならずとも損にもならない。だから《組織》には名前がないし、俺にも名前と呼べるものはなかった。認識されなければ知られることもない。知られなければないのと同じというわけだ。


 ところが俺は現在、こうして囚われの身となっている。

 俺の正体が不明な今、彼女にとっては俺の全てが情報である。

 こうなると、俺は容易に動くことができない。言語・年齢・性別と、たとえ一言しゃべるだけでも特定できることはいくつもあるからだ。極端な話をすれば、話題に対して反応を示す・示さないだけでも背後関係や目的を推量する材料になる。


 ……そういうのを全て逆手に取って誤情報を与える振る舞いができれば完璧なのだが、生憎俺はそこまで器用なことはできない。

 幸いにして仮面も被ったままであることだし、視線だけはいくら動かしても気づかれないだろう。

 たたきのめされた時はどうなるかことかと思ったが、これで当座はしのげそうである。あとは脱出できるような機会が訪れればいいのだが。

 ディライト・ナイトは少しでも読み取れるものがないか探っているのか、真面目な顔でじろじろと俺の仮面周りを見つめている。だが、無駄だ。外見から《組織》について読み取れる情報は皆無に等しい。

 さあ。俺の背景を探れるものなら探ってみるがいい、ヒーロー!



「この仮面、壊せばすぐ外れそうね」



「勘弁してください」

 俺は頭を地面にこすりつけた。



「うわあ、喋った!」

 ディライト・ナイトが驚いて飛び退る。一方、俺は状況を回避するため頭をフル回転させていた。

 おいおい。この女、とんでもない脳筋だぞ! 仮にも科学者で社長だろう、なんでそんなに直接的なんだ。

 ……いや、だからこそかえって効率主義なのか。あれこれ悩みを巡らせる暇があれば力技で解決した方がよっぽど手っ取り早いっというワケか。思わず納得してしまう自分が悔しい。


 正座したまま頭を垂れる様は我ながらとても情けない。これが惨めな奴ダスト・オブ・ダストというやつか。いいなこのフレーズ。今後も積極的に使っていきたい。

「なに、そ、そんなに仮面外されたくないの? ふーん……」

 対する世の中の中心ヒーロー・オブ・ヒーロー、ディライト・ナイトは、まるで珍獣を目にしたような様子であった。珍というか怪しい獣、正しく字面通りな怪獣を、おっかなびっくり相手するような雰囲気である。


 俺は更に腰を曲げ、地面を掘らんばかりの勢いで頭を下げた。両手が縛られていないので土下座ができないのがもどかしい。

 顔はまずい、顔は。

 俺の唯一の自慢は、それなりに長くこの仕事をやってきて、一度も顔を変えたことがないことなのだ。名前も戸籍もない俺だが、慣れ親しんでいたこの顔にこんなことでお別れを告げるなんてまっぴら御免だ。


「わかったわ《ゲシュペンスト》」


 聞こえてきたのは、柔和な雰囲気の声だった。

 顔を伏せているので実際の表情は分からないが、ディライト・ナイトの様子からは、人を守る者、人の上に立つ者の余裕が感じられる。


「貴方にとって素顔がとても見られたくないものだってことは、よく理解しました」


 おっと、これは?


「貴方にも事情があるのでしょう。私も世の中が大変なものであるということは、よくわかっているつもりです」


 いける、いけるか? 俺の顔面、守り切れるか?


「私は力を持つ者。持つ者故に、人々を守る義務があると、自分で自分に常々言い聞かせています。だからこそ――」


 やったぜ、流石ヒーロー! 人の嫌がることは滅多にしない!










「だからこそ、やっぱりその仮面は外すわ」







 この女ァァァァァァァァァッッッ!!!!



 畜生っ、何がヒーローだ。夢も希望もありゃあしねえ!


 ディライト・ナイトは立ち上がり、ビームソードを展開。じりじりと一歩ずつ近寄ってくる。

「貴方を逃がすわけには行かないの。だからどんな手を使ってでも貴方の素性をあばかせて貰うわ、《ゲシュペンスト》」

 だからその《ゲシュペンスト》って誰だよ! 話も聞かずに突っ走りやがって――って、そもそも会話してないから当たり前か。


 よしわかった、こうなりゃヤケだ。どうせ一度喋っちまったしな。

「待てディライト・ナイト。取引をしよう。俺はお前の知りたい情報を教える。お前は俺を見逃す。それでどうだ?」

 正座したまま後ずさった俺を、ディライト・ナイトの蒼い瞳が真っ直ぐ射貫く。

「へえ、今度は駆け引き? そこまでして素顔を見られたくないのね。ますます興味が湧いてきたわ」

 ……しまった、逆効果だ。

 彼女を包むパワードスーツは一層輝きを増し、その眼差しは真剣そのものとなっている。

 ディライト・ナイトはヒーロー・オブ・ヒーローだ。彼女をその地位たらしめているのは、彼女の単純な強さや社会的影響力だけではない。自身が開発し身に纏うパワードスーツは複数の種類があり、救助用・戦闘用・エキシビジョン用と、活動の幅もかなり広い。汎用性が高いヒーローとしても知られるディライト・ナイトだが、本日の彼女が身につけているのは、一目で見てそうとわかる完全なる戦闘用パワードスーツである。


 ――チッ、仕方ない。


 立ち上がって腕を構えた俺を見て、ディライト・ナイトのジト目が飛んでくる。

「ふーん、やっぱり実力隠してたってワケ」

 予想が当たったみたいな顔をしてやがるが、俺に言わせれば過大評価も甚だしい。

 確かに俺は腕を縛っていたワイヤーを切断した。だがこれくらいは、事前準備でどうにかできる範囲だ。俺の装備にはなにがあってもいいように、そこかしこに脱出用の細工や仕込みが施されてある。しかしだからといって俺が自身が強いのかと言われると、それはまた別の話だろう?


 ――というか、である。


 一瞬で間合いの外から踏み込んできたディライト・ナイトの剣閃を、俺は飛び込むようにしてなんとか躱す。すると、俺の背後にあったテーブルやソファ、背後にあった壁ごと、綺麗に斜めに滑り床に落ちていく。続けざまにきた斬撃は、気づけば目の前に迫っていて、直感的に横に逃げなければ今頃は首と頭がお別れしているくらいだった。家全体からみしりと嫌な音が響いてきて、俺はたまらず喉を鳴らす。

 知ってる。知ってた。思い知った!


「この女、強すぎるだろ……!」

 ヒーロー・オブ・ヒーローは伊達じゃない。威力も早さも桁が違う。

 そして多分、今の攻撃をあと三回やられると、この豪邸は崩落する。はたしてそれまで生きていられるかすら、正直なところ自信がない。


 ……まずはその威力の高いビームソードをなんとかしなければ。

 俺は拘束のお返しとばかりにワイヤーシューターを取り出して、ディライト・ナイトの腕目がけて鋼糸を放った。ただし点状の射出ではなく、両端に重しがついての横一文字を描く軌道。分銅のような用法だ。

 ワイヤー部分はあっという間に切り払われたが、俺の目的はその次だ。分銅の重し部分が炸裂して、周囲を閃光と耳障りな破裂音で包む。

「なっ……!」

 初めてディライト・ナイトから動揺の声が上がる。

 一度防いで油断しただろう? いくら身体能力がよくても、不意の攪乱には咄嗟に対応できないものだ。

 ここで逃げるのは簡単だが、大事なのは逃げる時間をより多く確保すること。一度姿を眩ませたところで、この女なら一瞬で追いついてくるのは明白である。

 俺は閃光が炸裂したのと同時に両手を伸ばす。すると没収されて卓上に放置されていた二丁拳銃が飛んできて、吸い付くように手の平の中に収まった。続いて銃口から飛び出た弾丸がビームソードの柄を打ち抜いてはじき飛ばし、当初の狙い通り得物の無力化に成功する。

 だが、この女は予想以上に化け物だった。

 眩んだ視界が収まりきらぬ中、掌がぬっと眼前に現れる。

 彼女はビームソードが飛ばされたとわかった瞬間、素手でそのままこちらの顔面を掴みに来たのだ。


「フ、フフフ……やるじゃない《ゲシュペンスト》。焦りは……しなかったけど、ちょっとビックリしたわ」

 まるで子供向けアトラクションでも味わったかのような様子で彼女が言う。

 当然のように仮面を鷲掴みにされた俺は、そのまま頭を持ち上げられ足がだらりと宙に浮いていた。

「このまま仮面を砕くわ」

 彼女の指に力がこもる。宣言通り、髑髏の仮面からミシミシと不吉な音が聞こえてきた。加えて、指の隙間から見える相手の顔は勝ち誇った顔ではなく、今も剣呑な瞳でこちらの挙動を注視している。


 ……あれ。これ、もう詰んだのでは?


 仮面越しなので痛みはないが、指先が食い込んでくる音と、足が地に着かない不安定感が絶対的不利を悟らせる。たとえこの状態から発砲して抵抗したとしても、相手が対処する方が百倍速いだろう。

 あまりに早すぎる決着に、俺は賞賛と共に自嘲が込み上げてきた。

 はっはっはっ。わかっていたさ。わかっていたとも。

 相手は世界最高のヒーロー。俺は社会の端の塵埃ダスト・オブ・ダスト。これは当然の結果であって悲劇でも何でもない。最初から勝とうなんて思ってなかった。逃げに徹していたのにこのザマである。


 俺の敗因? そうだなぁ、無駄に時間を使っちまったことだろう。テレビなんか見ているからだチクショウ。とっとと次に向かえば良かった。どうあがいても勝てない存在ってのに、追いつかれちまったのが運の尽きだ。

 唯一の幸運は、力の差が圧倒的なことだ。ここまで完璧に負けてしまえば、むしろかえって気持ちが良い。俺なんかのちっぽけな自尊心も傷つかない。無事だ。ノーダメージ。

 まあ、ゴミはゴミなりに頑張ったと思う。ちょっとは自分を褒めてやろう。我ながら笑いどころだとは思うのだが、ゴミがゴミでいられるには相応の理由というのがあったりするのだ。言ってしまえば、ゴミの資格という奴である。俺はそれを持っているから、ゴミであり続けていられるのだ。


「――まあ、つまり、なんだ」


 手から銃を落とす。そのまま手の平を向けて、バンザイのポーズだ。

 おっとディライト・ナイト。警戒したな? だがまだ何をするかわからない。何もしてない以上は殴れない……いいね、それでこそヒーローだ。そういうところは嫌いじゃない。


「俺は――」


 ヒーローはよく甘いと言われるが、俺に言わせれば甘くないとヒーローにはなれない。

 甘さを残せるほどに強いから、ヒーローなのさ。

 余裕がなくなったら、それこそただの自警団みたいなもんだ。


「諦めが、悪いんだな」


 ……だから、これくらいは大目に見てくれるだろう?


 俺は仮面の下でニヤリと笑うと、奥歯に仕込まれたスイッチを強く押し込んだ。



  ○



 俺は体にのしかかるものをひいひい押しのけながら、這々の体で上体を起こした。


「賭けに、勝った」


 辺りには大小様々な瓦礫と、元は家具であっただろう木片がそこかしこに散らばっている。

 火の気を避けて爆弾を設置していたとはいえ、予想以上の結果だった。火事にもなっていないし、周囲の家を巻き込むようなことにもなっていない。

 庭の無駄に広い豪邸とはいえ、破片ぐらいは飛んでいく可能性はあった。しかしぱっと見回しても騒ぎになっている気配はなく、平穏無事に事を成せたと言える。

 最悪の事態に備えて屋敷ごと潰すために事前に仕掛けておいた爆弾ではあったが、まさか仕事を終えた後に使う羽目になるとは思わなかった。

 いいや、そもそもさっきまでの状況が最悪だったのだ。そう考えれば、最終手段発動も当然の帰結と言える。


 今度こそとっとと逃げだそうと思ったが、その前に素早く四肢を確認する。驚くことに完璧に無傷だ。いくら《組織》の装備が優れているとはいえ、骨の一、二本くらいは覚悟していたのだが。

 まあダメージがない分には問題ないと、最後に仮面がちゃんとついていることを確認し、そそくさと腰を上げた――その時だった。


 すぐ傍の瓦礫の山が、ごとりと動いた。

 俺は思わず体をびくりと震わせる。

 爆破前にこの屋敷で生きていた者は、俺を除くとあと一人しかいない。

 そりゃそうだ。あの程度の爆発で、彼女が行動不能になるわけがない。

 俺は焦燥感に合わせて若干の安堵を覚えながら、再び捕まる前に急いで背を向ける。

 が、


「うぉりゃー!」


 ……うん?


 聞こえてきたのは、予想していたよりもわずかに高い声だった。


 ――ここでわずかな好奇心に負けてしまったのが、この後の人生で大きな転換点となってしまうわけだが、それはまた別のお話。


 俺がつい、少しだけ――後ろを振り向いてしまうと。


「もう、今度はさすがにあせったぞ、このバカあ!」


 ぶかぶかのパワードスーツの中で、金色の髪をした幼女が、拳を天に向けてちょこんとへたりこんでいた――

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社会最底辺な始末屋の俺が、世界最高峰の女ヒーローに告白されてつきまとわれている話。 白波迫馬 @ShiranamiHakuba

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