□第一話 名前のない骸骨

 この世には、ヒーローという概念が存在する。

 悪人を倒す、世界を救う、正義を守る。

 世人の期待を背負い、個の枠を超えて不特定多数の命のために全力を尽くす希望の象徴。

 そんな力と志を持った人をこそ、諸人は尊敬と賞賛をこめてヒーローと呼び讃えるのだ。


「ま、そんなこと俺には関係のない話だがな」


 夜の豪邸で俺は独り、空になったマガジンに弾を込め直しながらうそぶいた。


 俺の名前はバッド。バッド・アーバンストーン。たった今、そう決めた。

 ……怒らないでほしい。これでも真剣にやっている。なにせ、俺には名前がないんだ。身の上話を語るには名前がないと不便だろう? だから俺は、たった今からバッド・アーバンストーンだ。これからの話でも、俺の名前はバッド・アーバンストーンとして語られる。

 腰掛けているのは年代物の執務机。椅子ではなく机の方。卓上に散らばっているのは三五口径の弾薬と特注拳銃で、足下には胸に風穴の空いた上院議員の死体が転がっている。

 そのでっぷり太った丸いものは生前、横領、収賄、薬物取引に人身売買と手広く顔広く暗躍していたのだが、その文字通り大きな顔は今ではテーブルに備え付けられた液晶モニタが流すニュース番組の灯りでわずかに照らされるのみとなっている。


『本日の事件です。夕刻ごろ、セントラル駅付近の線路で大規模な列車の脱線事故が起きました。列車は線路を外れ、大きく傾きつつホームに衝突しようとしていたところ、急遽かけつけたディライト・ナイトによって横転を回避。ホームに乗り上げる前に――』


「あっぶねえなあ、鉄道会社は何してたんだ?」


 BGM代わりに流していたテレビの音声を聞いて、俺は思わず呆れ声をあげた。

 助けが来てくれたからよかったものを、間に合わなかったら大惨事だ。死者三桁も夢じゃない……いや死者の数で見れる夢とかどんな悪夢だよって話だが。

 どうせ見るなら、もっと希望のある夢がいい。

 たとえば、そう――

『いやあ、一時はどうなることかと思ったよ』

『すごいんだよ、空からバーッとやってきて、ビューンって列車に追いついて!』

『私、実は助けられたの二度目なんですよ。いいなあ、ファンクラブ入会しちゃおっかな……』

 手当てを受けたばかりと思しき事件の当事者が、熱に浮かされた様子で口々に語る。

 ――ヒーロー。

 弱きを救い、困ったときに現れる、夢のような正義の味方。

 フィクション上の存在と笑うのは簡単だ。だがしかし、この時代この街において――ヒーローは、実在する。

 たとえば、隕石にぶつかったことにより超念動と超感覚を手に入れたミュージシャン、ヘヴンリー・ロックスター。

 自らに課したがん細胞治療研究の人体実験の果てに、火・水・金属に自由に体を変えられるようになった医療研究者、ミスター・サージェン。

 古代遺跡で見つけた腕輪の力で超人的な身体能力を発揮できるようになった元トレジャーハンター、フィフス・ジェネレータ。

 そして、 テレビの中でインタビューに一言だけ告げ、颯爽と飛び去っていくこの女――

『死者はいない? よかった……。もう、気をつけなさいよ!』

 ヒーロー・オブ・ヒーロー、ディライト・ナイトといった面々である。

 ディライト・ナイト。本名、ライト・フォーチュンテイル。

 複数の雑誌とファッションモデル契約を持ち、権威ある学術誌に何度も論文の掲載経験もある、複合大企業フォーチュンテラーの若社長。

 芸能人としても著名でありながら、ヒーローとしても自らが開発したパワードスーツと妖精にもらったというスーパーパワーで人助けを行っている、絵にかいたような完璧超人である。

「すげえよなあ、スーパーヒーローって奴は」

 気づけば俺は、手を止めて画面に魅入ってしまっていた。

 先日ベストセラーを記録した自伝『世界で一番幸せな物語』の映画化が決定したばかりのスーパーウーマンは、カメラから去り際にもまるで買い食いでもするような気軽さでひったくり犯を捕まえながら画面の外へと消えていく。スポットライトを浴びるために生まれてきたような存在とは、まさに彼女のような人物を指すのだろう……スポットライトどころか、陽の光からも逃げ回っている俺とは大違いである。


「なあ、人に感謝されるってのは一体どんな気持ちなんだ?」

 弾の装填作業に戻りながら、俺はもうレポーターしか映っていないテレビに向けて話しかける。

 当然返事が返ってくるわけもなく、ニュースも既に当たり前のように別の話題へ切り替わっている。

 我に返った俺は、恥ずかしさがこみ上げてきて指の動きを速度を少し早めた。

 先日、《組織》によく餌をたかりに来ていた猫が、車に轢かれて死んでいた。そのせいか、ちょっとばかりおセンチな気分になっているのかもしれない。

 指を伸ばしてモニターの電源を落とすと、ブラックアウトした画面に俺の顔が映り込んだ。泣いてるようにも笑っているようにも見える、朱く塗られた髑髏の面が。

 さて、今日はもう一件仕事がある。装備の再準備も終わったことだし、とっとと次に向かうとしよう。

 そうやって、執務机の上から飛び降りた――


 そんな時だった。


  ○


 窓の外が、一瞬にして真昼になった。

 当然、そんなことが起きるわけがない。時刻は日付が変わる前、静寂満つる真夜中だ。

 だがそう錯覚してしまうほど、間近に落ちたは鮮烈だった。

 閑静な高級住宅街のど真ん中。

 というより俺がいるこの屋敷の正面道路に、

 ――おいおい、これはちょっと不味くないか?

 外の様子を視認した瞬間、俺は急ぎ廊下へ向かった。

 事前に入手した間取り図では、反対方向に勝手口があったはずだ。そこからならば正面道路を通さず外に出られる。

 だが俺が一歩目を踏み出すよりも、俺の耳に甲高い音が響いてくる方が遙かに速かった。


「――見つけた」


 テラスの窓ガラスをぶち破り屋敷の中に降り立ったそれは、宝剣の煌めきのような鋭くも美しい声で囁く。が、俺の耳には銃口を向けた宣言にしか聞こえない。

 俺は後ろを一度も確認することなく、廊下のドアを蹴破って階段を階下に向かって飛ぶように走り出した。

 一段、二段。俺が階段を駆け下りるよりも早く、背後で何かを強く蹴りつけるような音が繰り返し聞こえてくる。

 果たして。

 俺があと数段で一階へと辿り着こうとしたその瞬間、壁と天井を蹴って追い抜いてきたソレは、爆発にも似た轟音を立てて階段の終着点へと着地した。

「逃がさないわよ、《ゲシュペンスト》」

 砕ける床材。舞う粉塵。そよぐ衝撃波と風圧の中心には、輝く美貌を持った金髪の女が君臨している。

 力強く言い切るその姿を見て、俺は一瞬、思考が飛んだ。視界が白く、頭の中も白く。ただ目の前の金色だけが鮮やかで。

 階段を駆け下りている最中だったというのに、つい足を動かすのを止めてしまった俺は、ただただぼんやりと空中を漂ってしまった。

 だから、

「……ッ!」

 俺が女の蹴りを正面から喰らい、天井に強く叩きつけられてしまったのも、当然の結末だった。

「――あれ?」

 錆びた雨どいから落ちる水滴のように、俺は天井から剥がれてぼとりと落ちる。

 すっかり身動きのできなくなった俺を見て、女は何故か首を傾げた。

「え、あれっ、あっけなさすぎない……?」

 咳き込みたいのとあまりの言われように、口から洩れそうになった声をなんとか押し殺す。

 そして身じろぎ一つできないダメージの中、俺は聴覚だけに全霊を注いだ。

 そう、いまだに何やらぶつぶつと呟いているのは、先程ニュース映像の中で耳にしたのと同じ声。

 こうしてこの日、俺の前に立ちふさがったのは、

「あっれぇ……?」

 世界最高峰の女ヒーロー――ディライト・ナイト、その人だったのである。

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