涙の謝罪

桜の絨毯が舞い上がって、春の晴れ間が二人を照らした

おおきくなった葵の身体を、その者の腕がしっかりと包み込んだ


なじみのある香り、感触、温度

一瞬にして1000年前の記憶がよみがえる

かつて毎日のように抱きしめてくれた人が

待って、待って、待ち続けて、どうしても会いたかった人が

今、まさに自分を抱きしめてくれている


花のような甘い香り、細身の背中、暖かい胸の中

夢に何度みたことだろう

この夢が覚めなかったらよかったのにと何度悔やんだことだろう

いっそこんな幸せ知らなかったら

いっそ忘れてしまえたら

何度思ったことだろう

それでもあきらめきれなくて、なにを見ても君を思い出すばかりで

辛くて、悲しくて、切なくて、胸が痛んだ


「ふじ、おみ・・・。」

すでに葵の声は涙で震え肩を上下に揺らしている


「ごめん、待たせてしまったね。」

この声だ。この口調だ。わらわが愛してやまない者は

わらわがどうしてもあきらめられずに待った人だ


背中に回っていた腕が、いったん離れて今度は頭をぽんぽんと撫でる

腰のあたりに回っている腕がさきほどよりも強く葵を抱き寄せた


葵は藤臣の謝罪に首を振った

謝らなければならないのはわらわのほうだ


頭を撫でていた手が、今度は顎のあたりに触れる

「お顔見せて、葵。」

葵は藤臣の胸に顔を埋めたまま首を振った


「どうして、わたしは葵の顔が見たいよ。」

葵はさらに首を振って、震える声で答える

「あわ、せる、かお、など、ない。わらわは、ふじおみに、あわせる、かおなど、ない。」


もう十分すぎるのだ

藤臣はもう一度わらわを抱きしめてくれた

わらわの名を呼んでくれた

触れてくれた

それだけでもう、望むものは何もないのだ


「もしかして、わたしのことは、もう、」


悲し気な口調へ変わった藤臣に葵は何も答えられなかった


もう一度愛してほしいと言えるだろうか

もう一度恋人になりたいと言えるだろうか

あんなに苦しい思いをさせて、あんなに辛い思いをさせて

全てわらわのせいだったというのに

わらわはもう藤臣に好いてもらえる資格などとおに持っておらぬのだ


腰に回っていた腕が緩くなったのを感じ葵は藤臣の前から一歩後退った


「わらわは、どうしても、直接藤臣に謝りたかった。だから来たのだ。あのとき、苦しい思いをさせて悪かった、辛い思いをさせて悪かった。痛かったであろう、しんどかったであろう。わらわがいなければ、藤臣にそのような思いをさせずに済んだのに、本当にすまない。」


葵の脳裏には最後の藤臣の姿が焼き付いて離れない

あちらこちらの皮膚が割けて血が噴き出し、人形のようにだらりと四肢を投げだす

呼びかけにも一切答えず、目はうつろで意思を持っていない

体中にできた縄の跡や青紫色に腫れあがった内出血

そして、無情にも消えていく身体の暖かさ


「わらわが一緒にいたいといったせいであろう。藤臣が好きだと言ったせいであろう。藤臣があんなことになると、知らなくて、ごめん、本当にごめんなさい。わらわは藤臣からいっぱいいろんなものをもらったというのに、わらわは藤臣に何もあげられなかった。むしろいらないものばかり与えて、本当に、悪かった。ごめん、ごめんな。」


葵は深々と頭を下げた

桜の絨毯が葵の涙で次々に模様を作っていく

薄い紅色だった足元がどんどん濃い紅色に、円形状の玉を描いていく

いつまでも頭をあげようとしない葵の身体はわなわなと震え、いまにも崩れ落ちそうだ



藤臣は葵の姿を見て慌てて肩を抱き

「頭を上げて。」

と言った

少しかがんで葵の顔を心配そうにのぞき込んで肩を抱いている手に力を込めた


「わたしは今もあのときも、葵と出会って、葵と暮らしたこと、好きになったこと、君を守って死んだこと、なにも後悔していないよ。謝ってほしいなんて思ってないよ。だから、顔を上げて、お願いだから。わたしは、葵に泣かれるとどうしていいかわからなくなる。」

藤臣は懇願したが、葵はそれでも首を振って頭を上げず、ただ涙を流すばかりだ


許されるなどと思っていない

わらわが全部奪ってしまった

住むところも、好きな花も、命ですらも

わらわは大事に大事にしてもらったのに

藤臣に与えたものが苦しみだけでは、あんまりではないか











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