夢の時間

椿は小さく

「うん、そうだね。」

と言った

きっとまだ消化するには時間がかかるだろう

でも、もうすでにどんな姿だって受け入れてくれる人がいるのだから

辛いほうへ、頑張らなければならないほうへばかり進まなくても良いじゃないか


「葵のことはあきらめてもらえた?」

「先生のお願いだから。しょうがないよ。」

春の暖かい風が張り詰めた空気を溶かして流していくようだ

がっくりと肩を落とす椿の背中を励ますように柊哉が軽く叩く


「なに、柊哉もいたの。」

「俺は見えてすらねぇのかよ。」

葵がそれを聞いて吹き出すのを

「笑うんじゃねえよ。」

と柊哉は一蹴して

さらに笑い声が上がった


「じゃあ、葵。出口まで送るから。」

藤臣に差し出された手を葵は反射的に握ったが悲し気にうつむく

「一日だけでも、だめか?」

「だめ。早くしないと気づかれちゃう。」

「じゃあ、一晩だけ。」

藤臣は首を横に振る

「じゃあ、一刻。」

葵は少しずつ条件を下げるが藤臣は首を縦に振らない


「ほんの少し。少しでよい。もう一回、抱きしめて。」

葵は腕を広げて待った

あきれた顔で、それでも腕を広げて近づいてきてくれたから

葵は恋人のぬくもりを待った、腕の中に包み込まれる幸せな時を待った


しかし、藤臣は抱きしめるよりも強く葵の胴体を抱えるとそのままむんずと掴み抱え上げる

だっこ、というよりは荷物でも運ぶように片腕で腰を支え体全体を肩に乗せて、最後にばたつかせる足をもう片方の腕で固定した


「はい、行きますよ。」

「ちょお、待った。待って藤臣。降ろして、降ろしてー。わらわは帰りたくない。」


藤臣の肩のあたりでくの字に曲がった体は自由を失い、完全に搬送物そのものだ

葵の視界に入るのは藤臣の背中と帯と、踏みしめた後の桜の絨毯

抵抗かなわず力は緩まるどころか、硬く固定され、桜の絨毯の上をざっくざっくと歩いていくのが見える


こうなってしまってはもう何を言っても降ろしてもらえないことを葵はよく知っていた

以前もわがままを言っては抱えられて離宮まで連れ戻されたものだ


さくさくと桜の花びらを踏みしめる音が増える

おそらく柊哉が横をついて歩いているのだろう

「強引ですね。」

柊哉の声が少し笑って震えているのは気のせいだろうか

「葵と付き合うならこれぐらいじゃないとやってられないよ。」

「ああ、そうですよね。」

柊哉がくくっと笑うのを葵は聞き逃さなかった

「そうですよね、ではないわ!わらわの醜態を笑いよって。」

「いやぁ、お似合いだと思うよ。」

葵は藤臣の揺れる背中を見つめながらぷくーっと膨れた


柊哉が続けて言った

「ていうか葵、大きくなれたんだね。知らなかった。」

「これくらいならいつだって可能である。柊哉が望まなかったから、しなかっただけだ。」

「じゃあ今度、コスプレしたときにやってもらおー。」

柊哉の何気ない一言に藤臣が反応する

「こすぷれ?」

「うん、なんか変な恰好をな」

柊哉は慌てて葵の言葉を遮る

「ちょ、ちょっと待って、葵、ストップ。」

「うん?」

ちょうど出口につながる桜までついたのだろうもう一度腰のあたりを掴まれて、足に地面の感覚が戻ってきた


「こすぷれについては次回、ゆっっっくりと聞かせてもらおうか。ね?」

藤臣の額に青筋が立ってないか、大丈夫か

柊哉も引き笑いを浮かべて青ざめておるが、なんだわらわは変なことを言ってしまったのだろうか


藤臣は立膝をついて葵を下から見上げた

「すぐに迎えに行く。約束する。」

藤臣は小指をピンと立てる

葵はその指に自分の小指を絡めてうなずいた

「絶対だぞ。」


名残惜しくも桜の世界に分かれを告げる

目の前には花びらの散っていない大きな桜の木の幹がでんと構えている

あとはここに手のひらを触れるだけ

それだけで向こうの世界に帰ってしまう


夢のような時間が終わってしまう気がして、決心がつかずいつまでも触れられずにいた

また会えなくなってしまうのではないだろうか

これが本当に最後になってしまうのではないだろうか

うつむいて、こぶしをぎゅっと握った


「やっぱり行けない。」

そう伝えようと振り返った

葵の目に入ってきたものは


何十、いや、何百という数の鬼の姿

赤、青、緑、土色、からだの色こそ違えど、粗末な布をまとっただけの太い胴体から頑丈な足が出ており、血管が浮き出すほど張った腕に黒く太い金棒を携えている


顔は般若のごとく恐ろしい形相を浮かべ、怒りで煮えたぎっているようにも見える

みな軍隊のように列になって重なって並び誰かの支持を待っているのだろうか

こちらをにらむばかりで向かってくる様子はない


鬼の軍の中央には鬼たちの怒気にたゆたうように立つ人影がふたり

椿とうりふたつの顔をした髪の白い少女ー桔梗と、細く白い肌の美しい女性。

高校生くらいの年齢に見える女性は桜色の着物に身を包み、手には扇、頭にかんざしを挿した豪奢な姿だ。唇には真っ赤な紅がすっと一筋引かれ、美しさを際立たせている


「桔梗、そして牡丹・・様。」

藤臣が鬼の中央で立っている人を見て言った

これが藤臣が葵を人界に早く帰したかった理由か





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