君想うゆえに君ありて(タイトル回収っ)
男は一枚、呪符とみられる札を左手に持ち、もう片方の手で筆を持った
「じゃあ、術をかけるから名前を教えてくれ。妖怪を封印したり使役する際には必ず
「わたしの名は藤臣と申します。」
筆の黒い先端が紙に乗ろうとしたときはた、と手が止まった
「兄ちゃん、貴族じゃなかったか。」
男は藤臣の身なりをじっと見て言った
「はい、そうです。」
「じゃあ名字があるだろう。」
あぁ、真名とはそういうことかと藤臣は合点する
俗称ではなく、本名を指していたのだ
「
「うへぇ、なっげえなぁ。相当なご身分でございましたか。」
藤臣は爽やかに笑ってかぶりを振った
「いえ、ただ生まれ落ちたところが左大臣の三男だったというだけですよ。」
「さ、左大臣さまの・・・。」
男たちは一同一斉に目を丸くして、地面にひれ伏そうとするのを藤臣は優しく制止して
「だから言うの嫌だったのに。」
と嘆いた
男がゆっくりと呪符に長い名前を刻んでいくのを藤臣は穏やかな気持ちで待った
最後の文字を書く前に男は手を止めて藤臣を見る
「あたり一面を灰と化し多くの者や人を消滅させた罪によりこれにて500年封印する。私の術が消滅して溶けるか、500年の刑期が終わるまで、封印は解かれない。だが、ひとつ忠告だ、今後一切真名を明かすな。誰であっても言ってはならない。」
さきほどの優しい雰囲気とは一転、厳しい表情だ
「それは、どうして。」
「さっきも言っただろう。封印や使役には真名が必要なんだ。この度の封印が解けたら、兄ちゃんを悪用しようという輩が出てくるかもしれん。そんな茶番に付き合わされないように、だ。早く迎えにいってやれよ。」
藤臣が深くうなずいたのを確認した男が、もう一度筆を動かし始め最後の一文字を書き終えた
藤臣の姿は一枚の呪符に吸い取られていく
不思議と痛みや不快感はなく、ふわふわと身体が綿のように軽くなり浮いているような感覚に包まれる
男たちが藤臣を500年縫い留める場所にと選んだのは、葵と出会った離宮の庭があった場所であった
藤臣は眠った
永い悠久の時を封印の中で過ごし、定められた500年後、やっと目を覚ます
もうあたりは黒い灰で覆われておらず、藤臣を迎え入れてくれたのは妖界であった
人相も容姿も全く違う者たちが街を闊歩している中をよく見て探しては見たが葵らしき人影も噂も聴けることはなく
新しく得た治癒回復術を活かして各地を巡り弱った妖怪を治療しながら、葵を探し
さらに500年の時が経った
ようやく、ようやく、手掛かりがつかめた
文机にちょこんと置かれた梅の折り紙を優しく撫でてため息を漏らす
ここまで長かった
ずいぶん待たせてしまっていることに葵は怒っていないだろうか
またわたしを愛してくれるだろうか
「好きだよ。愛してるよ。」
ぽつりとこころの声が漏れたのを誰かが拾った
「また、その人ですか。藤臣様。」
誰もいないと思っていただけに急に話しかけられて、身体がびくりと跳ねた
「びっくりした。いつのまに来てたの。」
廊下と自室を隔てているふすまからひょっこり顔を出して藤臣を見ているのは治癒術師の一番弟子として藤臣を崇拝している
左の腰に長い刀を差した袴姿、頭には立派なちょんまげが添えられており、容姿は人間の男性と相違ない
中性的で柔らかい印象のある藤臣と比べればやや筋肉質でごつい体型でまさに武士さながらといった風貌である
「女性をお求めでございましたら、何名か麗しいのを選んで持ってこさせますが。」
「いらないよ。決めてる人がいるのに。」
「ですが、そのように悲しい顔をなさっていてばかりでは、藤臣様の心労が癒えないのではと心配でございます。少し、お遊びになって忘れてみてはみてはいかがでしょうか。」
松衛門はわたしが葵を思い返しているのを見るたびに、こういう提案ばかりする
気を紛らわせてはどうか、新しい人にしてみてはどうか
忘れてみてはどうか
藤臣は意思のある強い言葉を発する
「わたしが忘れたら、だめなんだよ。」
「と、申されますと?」
「松衛門はさ、どうして妖怪が人に見えなくなったと思う?」
藤臣は松衛門のほうへ向き直って投げかけた
「愚鈍な私にはわかりかねます。」
一昔前までは妖怪は人と共にあった
伝記や、絵画などにもたびたび登場するほど身近な存在であった
しかし、今はどうだ。誰も妖怪を信じていないのではないだろうか
「信じていないから、誰も見ようとしなくなったからだよ。」
「はぁ。」
松衛門は切れ味の悪い返事を漏らす
「誰かが存在を覚えていれば、心の中でずっと生き続けているけどね、覚えている人がいなくなったら、信じる人がいなくなったら、その人は永遠に誰からも見えず、たった一人で彷徨うことになるだろう。」
人は二度死ぬのだと、昔誰かから聞いたことがある
1度目は自分の命が尽きたとき
そして2度目は自分のことを覚えてくれている人が皆死んだとき
葵のことは藤臣にしか見えなかった
つまりそれは葵のことを覚えている人が藤臣だけだということを示している
「だからわたしは唯一彼女を知る人としてずっと想っていないと、彼女は存在しなくなってしまうんだよ。」
「それが、今も待ち続ける理由ですか?」
「うん。君想うゆえに君ありて。たとえ会えなくとも忘れることなく心の中で一緒に歩みを続けたい。」
日の光が文机の上の梅の花を照らした
花弁の形がそろわず傾いて置かれたその様は不完全なまま時だけが過ぎる葵と藤臣の関係のようだ
暖かい日の光は梅の花を照らして白く優しく染めている
藤臣は朗らかに笑って続けた
「それにね、もう逢瀬のお誘いは済ませてあるんだ。明日、きっと来てくれるはずだから」
椿に渡した桃色の御守りに込められた伝言が葵に届きますようにと
藤臣は祈る気持ちで明日を待った
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