約束の香の香りと十二支の置物

葵は柊哉のカバンに入って高校へ登校している。定位置となった柊哉のカバンの外ポケットの中に体を丸めて、こくりこくり、現実と夢の世界の狭間で揺れていた

遠くのほうで柊哉やその友達が「おはよー」と朝の挨拶を交わすのをが聞こえているような、聞こえていないような

あとは夢の世界に落ちるのみといった状態でむにゃむにゃと身体が浮遊感にいざなわれていくのを待っている


柊哉はカバンを肩に下げたまま友達同士で話に花を咲かせているらしく、彼が動くたび寝床はゆりかごのように揺れる

「おぉ、草真、椿。おはよう。」

ふたり一緒に登下校するのが日課になった新婚さながらにあついカップルへ挨拶をしているのが耳に入ってきた


その瞬間ふわりと香ったのは桜の花の香の香り

朝晩はすっかり冷え込みが厳しくなり、いよいよ冬へと近づいてきた11月の半ばには似つかわしくない甘酸っぱい春の香りだ

「なんかいい匂いすんね。」

「そうかな、あぁ、これ、かも。」

柊哉の問いに返答したのは椿の声


葵はもうほとんど夢の世界に足を突っ込んでいたのを途中でやめて、現実へと引き返してきた

ー懐かしい香りのような。

そう思ったからだ


なんだったろうか。以前嗅いだことのある香りな気がするがどこで嗅いだのか思い出せない

椿は常に満開の桜が咲き誇っている家に住んでいるのだ。香りのひとつやふたつついてきたっておかしくないはずなのに

いつもとは違う違和感を感じずにはいられなかった

さくら。はる。かおる。こうのかおり。こうの・・・・


葵は飛び跳ねんばかりにカバンの外ポケットから顔を出して椿を探した

色とりどりのこうの香り

以前、藤臣と過ごしていた時も時々嗅いでいたものだ


葵が柊哉のカバンの外ポケットから顔を出したすぐ先にあった椿のカバンには昨日まではなかった桃色の御守りが結ばれていた

桃色の布地に赤色の文字で『恋愛成就御守』と記されており、中央で鳥が向き合い口づけを交わす様子が描かれている

急に現れた桃色の御守りが、椿が動くのに合わせて揺れるたび甘酸っぱい桜の香りが広がって気分を高揚させる


桜の香りに鳥の模様の恋愛御守

そして、以前西園寺の神社で購入した向日葵色の生地に藤の刺繍が巻かれた健康促進御守


もしかすると、もしかすると、わらわの気のせいではなかったのやもしれぬ


葵は雷にでも打たれたかのように、唖然と桃色の御守ただ一点だけを見つめて、湧き上がる可能性と良い方向に考えたがる思考回路を押さえつけんと躍起になっていた


しばし友人たちと会話を交わしたのち、自分の席へ向かった柊哉へ葵は声をかけた

「なあ、柊哉。椿がつけていた御守から良い香りがしなかったか。」

「あぁ、そうだね。椿まで色づきやがって、もうほんとにふたりでやってくれって感じだよな。」

柊哉はむっとした表情で頬杖をついた


「あれは、なんの香りだと思う?」

「香り?えぇ、あー、うん、なんだろう。ブランド物の香水って感じじゃなかったけど、フローラル系?ホワイトムスク・・・いやぁ、ピンクブロッサムかなぁ。わかんないけど、なんで?葵も欲しい?」

「桜ではなかったかの。」

「あー、ぽいね。たぶんビンゴじゃない。まぁ椿らしいっちゃらしいかな。」


柊哉は特に香りの種類に興味もない様子で一時間目の授業の準備に取り掛かる

机の中から何冊か教科書やノートを取り出してはしまい、取り出してはしまいを繰り返し、適当なものを見つけると次にカバンから筆記用具を取り出した

「御守に模様がついていなかったか。」

「え?模様?」

柊哉は椿が机の横にかけたカバンへ視線を向けると、目を細めてじっくりと御守を見た

「なんかとりっぽいの?あるかな。御守りもああいうカジュアルなデザインだと高校生のカバンについてても違和感ないし持ちやすいよね。オーソドックスな御守りって御守りですよ感ばりばりでさ、ワンポイントアクセントになりづらいっていうか、ねぇ。あ、葵、聞いてる?」


桜の香り

鳥の模様

これは藤臣からの逢瀬のお誘いではなかろうか


葵の頭の中で大きな鐘が幾重にも鳴り響いているかのような衝撃に飲み込まれ、息すらも忘れて立ち尽くした


「葵?葵さーん。聞いてますかー?俺はあなたに話しかけてますよー。」

柊哉が不思議そうな顔で葵を呼ぶ、その声ですら遠い気がするほど、すさまじい進展だった


鼓動の音はどくどくと強く早くなっていく

期待が沸き踊る

はやる心は今にも吹き出さんばかりだ


もしかして、本当に、そうであったのならば

藁をもつかむ思いで、形すらない香りを手繰り寄せようとする

奇跡が叶うのであれば夢幻でもかまわない、やっと掴んで霧散したってかまわない

ほんの一言。心からの「ありがとう」と「ごめんなさい」を藤臣に直接伝えなければ

いつまでたっても心は1000年前に引きずられたまま

常世とこよに身を置くことができない


あれは1000年前、藤臣がわらわに宛てて逢瀬の約束をとりつけたものと同じ。

葵は思って、平安の世を回顧した


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