桜の世界のつくりかた
食事の際には耳まで割けあがった口がぱっくりと開かれて皿ごと食らいつくさんといわんばかりにばっくりと
はじめは、まぁ、桂吾が顔を引きつらせてはいたけれど
慣れとは恐ろしいもので、しばらくすれば日常の風景となり畏怖を示す反応もなくなった
しかし、時の流れは2人を歓迎しない
年が明けていくにつれて桂吾の身体にはしわや老いが刻まれてい行くのに、牡丹の容姿はひとつも変わることなく輝き続ける
「牡丹ちゃんは僕よりずっと長く生きるんだね。」
少女の絹のような肌の手に桂吾は畑仕事で荒れた手を重ねた
「いつまでも綺麗な嫁さんと一緒にいられて僕は幸せだな。」
桂吾は牡丹の手をぎゅっと握って、木の葉が揺れるのを愛おしそうに見つめている
手のぬくもりは本物で、今好きな人と共に生きて、傍にいられるのだと実感できる
そうか、私はそう遠くない未来でこの人を見送らなければならない
失ってもまだ長い時を過ごさなければならない
追いかけても追いかけても、妖怪には到底ついていけない速度で人は老いへ向かっていくというのにどう抗えというのだろう
「嫌よそんなの。ずっと一緒にいるって言ってくれたじゃない。」
「だけど、これは仕方ないんだ。僕は人間、牡丹ちゃんは妖怪。時間の流れは止められないよ。」
桂吾は運命を受け入れて朗らかに笑う
けれど、残される側の気持ちはどうしろというのだ
ー時が止まってしまえばいいのに
牡丹は願った。
このまま時が止まって、悠久の時間を桂吾と共に過ごすことができれば。
「そうよ。時間を止めてしまえばいい。そうしたらずっと一緒にいられる。私も綺麗なまま、貴方も死に向かわない。」
牡丹は名案を思い付いたと立ち上がって桂吾の腕をつかんだ
「行きましょう。時の進まない世界へ。」
「ちょっと、何言って・・・。」
困惑した表情の桂吾を無理やり引っ張って
もうあたりはすっかり暗くなって地面すら見えないほど闇に包まれているのに椿の目は不自然なほど金色に光ってぎろりと動く
誰も踏みしめていない
牡丹にぐいと強い力で腕を掴まれ、半ば引きづられるようにしてもつれる足をどうにか前に進める桂吾は息も絶え絶え
転ばずにいるのがやっと、乱れる着物を直す暇すらもない
「待って、牡丹ちゃん、ちょっと、ゆっくり。僕、ちゃんとついてくから、お願い、ちょっと、休憩させて・・・。」
牡丹はようやく足を止めて、彼を見る
無理矢理に紐を引っ張られたかわいそうな犬のようになっている桂吾を見てぷっと噴き出した
「あら、ごめんなさい。」
「ちょっと、ひどいよ、もう。僕の運動能力も考えてよ。」
今までだってこうして譲り合いながら生活してきたのだ
妖怪と人間。相容れない者だからこそ、他人を理解しようと努力して、できないことできることを認めあって折り合いをつけてやってきた
息も絶え絶えに、ときどき苦し気にせき込みながら呼吸をする桂吾と
かたや、涼しい顔で汗ひとつ流れていない牡丹
着物の袖から出したハンカチで桂吾の額を流れ落ちる滝汗をふき取りながら牡丹は幸せをかみしめていた
絶対この人と一緒に暮らすんだ。私が死ぬまで。置いて行くなんて許さない。だって、寂しいじゃない。私を想って必死でついてきてくれる人がいないなんて
牡丹と桂吾が夜通し歩きづつけて辿りついた場所こそ『桜の世界』である
その土地は妖力が集まりやすく、さらに牡丹にとって妖力を発揮するのに最適な土地だった
牡丹は自分の持てる妖力を使って時を止めた
春の満開の桜が咲く世界は、花が散って若葉が芽吹くことはない
いつまでも満開のまま薄紅色に世界を染めつくし保っている
その土地の妖力の一番集まっている点に桂吾の部屋を作ってさらに結界を張った
貴方の時が進まないように、と。
牡丹は美しい少女の姿のまま、桂吾は
西暦が重ねられ、年号が変わっても二人の時は進まなかった
吹き抜ける春風を一年中、いや何年も、何十年も感じながら、けれど飽きることはなく
共に恋をした人との時間を楽しみながら、何とはない日常を過ごす
ただどれだけで幸せで。何も望むものはない
今がずっと、永遠に続きますように
けれど、妖力の均衡は次第に時間の流れへと傾きだした
牡丹も桂吾も老いを見せ始めたのだ
「牡丹ちゃん。無理してるんじゃない?発動をやめたほうがいいんじゃない。」
牡丹の身体を心配した桂吾は、自分の延命を諦めてほしいと何度も願い出たのだ
けれど、牡丹はさらに意固地になって、ついには他者の妖力を吸い取ってまで延命を続けた
椿には妖怪を捕らえさせ、桔梗に妖力の強い妖怪を結界の中に封じ込めさせて妖力を吸い桂吾に流し込む
そうして時の流れに逆らって、桂吾は老いることも死に向かうこともなく現在を生きている
ー、桂吾は桔梗の肩に手をぽんとのせる
「昔話はこれでおしまい。牡丹ちゃんと僕の恋事情はどうだった。素敵でしょう。」
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