悠久の時
「ここはね、
桂吾は哀しみの漂う瞳で桔梗とそして椿を交互に見た
桜吹雪は悲し気な桂吾を元気づけようとしているのだろうか、包みこむように春風に乗って吹いて彼を中心にして円を描く
「僕は牡丹ちゃんが好きだよ。牡丹ちゃんとずっと一緒にいたい。だからね、桜の世界を作ってくれて、長い間君といられて、僕は本当に幸せなんだ。でも、ほかの人や妖怪まで巻き込んで続けていいことじゃないでしょう。」
牡丹の扇子を持つ手は小刻みに震え、下唇を噛んで何かをこらえているようだ
桂吾は桔梗へ
「すべての妖怪の封印を解いてほしい。」
その言葉に重ねるように牡丹が
「だめよ‼」
と言った
「もう私だけの妖力じゃ、あなたの身体を保ってあげられないって、わかっているでしょう?」
牡丹の妖力とて無尽蔵ではない。使えばそれだけ消費され、ついには尽きて無くなってしまう
桂吾はこくりとうなずいた
「もう十分だよ。」
牡丹はかぶりを振る
「私は十分じゃないわ。だったら、あれを最後にする。あの妖怪の妖力が尽きるまで、それまでは、ねえ、お願いよ。私とずっと一緒にいてよ。」
牡丹は
「早く、あれを捕らえなさい。じゃないと、桂吾さんが、桂吾さんが遠くに行ってしまう。」
牡丹の指示に椿は弓を実体化させて構えた
強く弓の
「あなた、どういうことよ!」
椿は弓を構え母親に焦点を当てて鋭くにらむ
「それじゃいつまでだって桔梗は自由になれないじゃない。」
弓を持つ手に力がこもると同時、矢の先に炎が灯りだす
「友達だって、恋人だってできやしない。こんなところに閉じ込められて、役目だからって我慢させられ続けて、いまさらそんなものなかったなんて許せるはずがないでしょう。」
矢の先の炎が勢いを増し轟音を鳴らして火炎を上げる
「私は、あなたに認めてもらおうって必死だったの。名前すら呼んでもらえないのが悲しかったの。それなのに、何⁉お父様と一緒に過ごしたかっただけ?いい加減にしてよ。今までの努力も、虚しさも、全部返して、自由のすべてを奪った桔梗にも謝ってよ。」
それは年相応の反抗心から生まれた産物
決して本気で射抜いてやろうとしたのではない、従順に耐えて耐えて耐え忍んできたものがふいに
高ぶった口調でふるった椿の矢は目的を少し逸れて桂吾へ向かって放物線を描く
桂吾はそれを避けられないと踏んだのか、目をぎゅっとつぶっただけでその場からは動かなかった
しかし、
「桂吾さん!」
牡丹は桂吾の前に飛び出して代わりに椿の矢を受けた
矢は致命的な箇所は避け、右足のすねに矢の先が少し突き刺さった程度の怪我ではあったが退魔の呪符を被せた椿の矢は傷口から侵食をはじめ牡丹は苦悶の表情を浮かべた
「牡丹ちゃん・・・」
桂吾が心配そうに牡丹の足に触れた
長年、妖力の限界点を超えてもなお力を使い続けてきた彼女の足はすっかり痩せてこけて
かつて壮健だった様は影すらもなく、弱弱しい老婆のようだ
桂吾が心配そうにのぞき込む牡丹の顔からは色が失せていく
息は苦し気に肩を上下させて空気を取り込もうと躍起になる
牡丹は身体を抱きかかえた桂吾の藍色の着物の袖を握って顔をじっと見つめた
「どうしよう。私、痛い。」
右足のすねから黒いものがゆっくりと広がって足を埋める
牡丹はそれに恐怖をなしてぶるぶると震えた
牡丹は着物の裾から札を出して、妖力で自分の身体に治癒を施すため筆を持った
けれど、筆を持った牡丹の手を取って桂吾は静かに首を振る
「もう、やめよう。」
牡丹は桂吾の顔をじっと見つめやがて目頭から涙が滲む
光る粒となって耐え切れなくなり、頬を流れ、薄紅色の着物を濡らして濃い紅色のしみがぽたりぽたりと増えていく
「いやだ、私、桂吾さんと一緒にいたいの。まだ一緒にここにいたいの。」
言葉とは裏腹に侵食は留まることなく進みやがて左足、腰、腹回りと埋め尽くしていく
初めに刺さった右足はすでに塵状になって桜の花と共に春風に舞う
牡丹は必死に桂吾の袖をつかんで首を振った
食い込まんばかりに桂吾の腕をつかむ細い指
小刻みに震える肩は小さく、捨てられた猫のように必死になってしがみつく
「嫌よ、もっと。ずっと一緒って言ったでしょう?」
「牡丹ちゃんは
桂吾は桔梗を振り返って
「結界を解いてくれる?僕のことも牡丹ちゃんと一緒に解放してほしい。」
桔梗はゆっくりうなずくと、着物の袖にしまっていた呪符をすべて呼び出して宙へ広げた
桔梗の周りを囲むように円形状となって呪符が整列して浮かびあがる
一枚一枚に文様と妖怪の名前が記されており、封印されていた妖怪の札を桔梗は一気に
一枚の紙から成る呪符は、その身を下から順番に霧へと変えてゆっくりと春の空へ昇っていく
濃い霧が晴れるように霧散して呪符は天へ
あたりに白銀の濃霧が立ち込めて神秘的な幻想に包まれている
桂吾は牡丹の細い肩を引き寄せて、身体を優しく包み込んだ
「僕のために力を尽くしてくれてありがとう。牡丹ちゃんと一緒になれて僕は本当に幸せだよ。桜の世界へ来たときに言った言葉覚えてる?」
「えぇ。ちゃんと、ついていくから。って」
桂吾は牡丹の瞳をまっすぐ見つめてうなずく
「来世でも、僕でいいかい?」
牡丹は優しく語りかける桂吾の胸の中で大きくうなずいた
見つめ合ったまま愛しそうに白く細い指で桂吾の顔を撫でて涙で頬を濡らした
「お願いこのままでいて。離さないで。ずっと私を抱きしめていて。桂吾さん、私、あなたのことが、心から好き・・・」
やがて桂吾が抱きしめていた牡丹の身体は黒いものに侵食されて消えていく
砂塵のようにさらりと風に吹かれて、粉塵の粒は桜の中へ誘われていく
高く高く昇って、やがて人の形を無くしていく
足も、手も、顔も。最後に髪のてっぺんが塵状と化して風に揺れたのを桂吾は必死につかんだが、
でも叶わなかった
牡丹の身体はみな空高く舞って、髪の一本すらも残らない
ぬくもりと形を失くして、桂吾はがっくりと膝をついた
牡丹が消えた途端
みるみるうちに、桂吾の身体にしわが急に増えだし髪は白へ変わる
「僕も早くいってあげなくちゃ。牡丹ちゃんに怒られちゃう。」
桂吾は天に昇って行った黒い塵を、もうそこにはないのに見あげて、光を探しているようだ
しわは濃く、深くなり、筋肉質だった体つきもあれよあれよという間に老体へ
桂吾の身体に時が戻って早送りされているかのように着々と老人へと向かう
桂吾は自分にあまり時間が無いことを悟って、藤臣に向き直った
「身勝手ですみません。椿と桔梗を、あなたにお願いしてもよろしいでしょうか。」
「はい。謹んでお引き受けいたします。」
藤臣は軽く頭を下げて会釈する
それを見た桂吾は安堵の笑みを浮かべ
やがて筋肉が衰えて膝から崩れ落ちたかと思うと、しゅーっという音と共に皮膚が溶けて骨が見え始め、瞬く間にその骨すらも蒸気となり消えていった
秒針が1周し終わらないうちに桂吾の身体はその場から消失し跡形も無く、そこにはただ春のあたたかい陽気だけが残って柔らかい陽がふわふわと桜の世界を照らしている
桔梗はさきほどまで隣にいた人を想ってぽつりと言葉を落とした
「
藤臣は呆然としている桔梗に声をかける
「あちらでも出会えてると良いね。いや、きっともう会ってるかもしれない。」
「うん。そうだね。」
藤臣の一言に張り詰めていた気が晴れたのか、桔梗の口角は少し緩んだ
そこに、ひゅっと冷たい秋の風が吹き込んで桔梗の髪を撫で上げた
術者を失くした桜の世界の崩壊がもうすでに始まろうとしている
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