めでたし、めでたし

牡丹様ぼたんさまに声をかけた男性の息は少し上がっていて、どこか苦し気な雰囲気ですらある

肩を上下させながら息を吸い、引いた扉に寄りかかって立つ姿は若い男性のものとは思い難い


牡丹様は彼を見てすぐに血相を変えて駆け寄った

「出て来てしまっては妖力の効果が薄れてしまうわ。早く戻って。」


男性に駆け寄った牡丹様は心配そうに眉を下げて身体を支えようとして優しく触れる

さきほどの敵意むき出しの鋭い目つきはそこになく、長年連れ添った伴侶を見る瞳が優しく包み込む


彼は牡丹様の提案に静かに首を振って動こうとはしない

「私と一緒にいてくれるって言ったじゃない。」

「そうだよ。いるよ、ずっと。」

彼の牡丹様を見る目もまた安寧あんねいで柔らかい。身体は今も苦しげな息遣いが続いているというのに言葉はなめらかで落ち着いている


彼は桔梗ききょうを見て言った

「桔梗にも不自由を強いてしまった。だけど、もう終わりにするから。張り続けている結界を解いてもらえるかい。」


牡丹様は彼の言葉を聞いて、顔の色を失くしただただ首を振り続ける

「だめよ・・・・。そんなこと・・・・。私は、あなたと、ずっと、」


桔梗は突然の依頼にどう応えるのが良いのかわからず

「どういう意味。お父さま。」

と漏らした


彼は、桔梗と椿の父であり、牡丹様の夫である。名は、桂吾けいご

桂吾は、風に揺れて花弁を降らしている桜並木を見上げ、ゆっくりと小川が流れるように柔らかく語った


「少しだけ、僕と牡丹ちゃんの昔話に付き合ってもらおうかな。」




牡丹ぼたん桂吾けいごが出会ったのはまだ明治の年号を日本国が築いていたときである


ほとんど牡丹の一目ぼれで。いや、桂吾もまた牡丹を一目見て恋に落ちたのだ

「牡丹さん。僕のお嫁さんになってもらえませんか。」

牡丹は二つ返事で結婚を承諾したが、問題はその先だった


質素な4畳半ほどの畳張りの部屋で二人で生活をはじめ、贅沢はなくとも幸せな時間がふたりを包む

桂吾は日中、畑で作った農作物を町で売って食べものや衣服に変え、牡丹はうちで家事を担って彼の帰りを待った


「牡丹ちゃんはご飯食べないの?」

「え、えぇ。」

毎日、仕事から帰ってきた桂吾にご飯をこしらえて食卓には座るものの自分の分は一向に用意しようとせず、どこかで食べてきた様子もなければ隠れて何かつまんでいる素振りすらない


このままでは死んでしまうのではないかと桂吾は心配し、牡丹に食事を勧めた

「でも、少しは食べないと。なにか口に合わない?それとも、気を病んで食が進まないのかい?」

「いえ、あの・・・。今日は、ちょっと・・・。」

「今日はって、結婚してからずっと食べてないじゃないか。」


牡丹と二人で暮らしだしてからもう一週間になる。顔色や肌艶は変わらない美しさを保ってはいるものの、ここまで食事を拒否されれば不安は募るばかりだ


牡丹は視線を畳に落とし、口をつぐむばかりで食べない理由は話してはくれない

「わかった。無理に理由は聞かないでおくけど、何か困っているならいつでも相談してほしい。いいね?」

「はい。」

桂吾は小さく返事をした牡丹の細い肩をそっと抱きしめた


次の日ー

「仕事で夕方まで帰らない」と牡丹には伝えておいてそっとお昼ごろに家の中をのぞいてみた

すると、家事をひと段落させた牡丹が外へ出かけていくところに出くわしたのだ


桂吾はそっと彼女の後をつけて様子を見守る

牡丹は山の奥へ、奥へと入って行き、やがて人の通らないような獣道けものみちへ足を踏み入れると、その音に驚いて出てきたたぬきを見つけてにやりと不敵な笑みを浮かべた

口は大きく割け、目は妖狐のように吊り上がり、蛇のような細長い舌でべろりと舌なめずりをする


牡丹は目にもとまらぬ圧倒的な勢いでその狸を素手でガッシリ掴み、そして、耳まで口が裂けた大きな口で生きたままの狸にかぶりついた


割けた口からは狸の鮮血と、あふれ出るよだれが混ざりあいながら滴って次第に狸の身体をすべて食らいつくしていく

骨の砕ける咀嚼音と、ごきゅごきゅと音を立てながら食道をモノが落ちていくのが良く見える


桂吾は信じがたい光景に目を丸くしたまま立ちすくんだ

細くか弱い日ごろのイメージとはあまりにもかけ離れた姿だっただけに開いた口をあんぐりと開けたまま

硬直した体で声も出ず、足は地に張り付いているかのように棒立ちになったまま動かない

息すらも忘れて狸の身体が割けた口に飲まれていくのをただただ眺めていた


桂吾の気配に気が付いたのか、それとも食事に満足し、ただ来た道を戻ろうとしたのか

牡丹がゆっくりと振り返る

目を見開いたまま硬直する桂吾と、まだ大きく割けた口の周りに獣の茶黒の毛と鮮やかな赤い血をべっとりと付けた牡丹の目が合った


牡丹は桂吾に見られたことに気が付いて、目は大きく見開かれ、そして顔色を失っていく


桂吾を捕らえた目には涙があふれ出し、口の大きさはゆっくりといつもの人間と変わらない容姿に戻っていった


「あぁっ・・・」


今この時、夢幻むげんこくはは終わったのだと牡丹は察しただ一言、悲壮ひそうな声を漏らして走り去る

一瞥もくべず、けれど悲しみに暮れる細い肩は小刻みに震え今にも泣き、叫びたいと


牡丹を桂吾は呼び止めた


「牡丹ちゃん!待って!僕にちゃんと相談してって言ったでしょ。決めるのはそれからでも遅くないんじゃないかな。」


桂吾の懇願こんがんに、牡丹はひたと足を止めたが振り向かず、じぃっとうつむいたまま大粒の涙を地面に落とす


山の中はしんと静まり返って鳥の声ひとつ聞こえない

ただただ牡丹のすすり泣きだけがこだまする中、桂吾は言葉を探した


「牡丹ちゃんは、もしかして、その・・・人間じゃない、の、かな。」

「ごめんなさい。」

肯定を示す謝罪は涙を加速させた


「もしも、もしも、それでもかまわないって言ったら、まだ夫婦でいてくれる?」

桂吾の問いかけに、牡丹はくしゃくしゃになった顔をあげた


驚嘆きょうたんを宿した表情で牡丹は桂吾の顔を一時、時が止まっているかのように見つめて、重力に耐え切れなくなった涙だけが頬をつーっと伝って流れている


「一緒にいてもらえない?」

「でも、わたし・・・」

今だ信じられない様子で口もとだけが弱弱しく動いた


「僕は、牡丹ちゃんが好きなんだ。君がどんな姿であろうとも、一生傍にいたいって願って、一緒になってもらった。その言葉に二言は無いよ。」

「私も桂吾さんと一緒に、いたい。」

力強くはっきりと、牡丹は桂吾の目を見つめた


妖怪と人間。決してじりあうことのない恋ごころがざってひとつになっていく


「じゃあ。帰ろうか。」

桂吾は牡丹の手をひいて自宅へ戻る


恋の軌跡は2人をつなぎ、いつまでもいつまでも幸せに暮らしました、とさ。


そう、なるはずだった。

なればよかった。

でも、現実はそう昔話ほど甘くはない

ふたりはそれでめでたしめでたしだったのに、世はふたりを許さなかった


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