黒の荒野での選択

畳張りに白濁色の壁紙、障子、ふすま、掛け軸

妖界にある藤臣の自室は、葵と暮らしたころと変わらない風景を保っている


もう一度葵と出会えたときにあの頃と同じように暮らしたいと願い、意図して作ったものだ

容姿だって耳の形が少し横向きに尖り、髪の色が薄紫色に変化した以外はほとんど人間だったころの容姿と差異はほとんどないと言っても良い

これなら、気が付いてもらえるかな


藤臣は文机に座って、筆を持ち、今日の業務報告を記しながら

桔梗にかけられた言葉を反芻し、1000年前を回顧していた

「どうして半妖になったの。」か。


偶然の産物というべきものだった

わたしは確実にあのとき死んでしまっていたのだ

どれほどひどい詰問を受けても、葵のことを口にしないと誓い守り切った


こと切れる寸前、葵がわたしを抱きしめて泣いているような気がして

なぐさめの一言もかけてやりたかったがそれすらも叶わないままわたしの息は静かに細く少なくなっていってついに途切れてしまった

あぁ、終わったなと感じたものだ

冷たい土の上に横たわったまま、それでもひとつの達成感を感じながらわたしは定めを受け入れた


しかし、



藤臣が誰かに強く呼ばれて目を覚ましたときに入ってきた光景はあたり一面真っ黒に染まったがらんと何一つ存在しない荒野だった


さっきまでまぶたひとつあけるのでさえ重たくて断念したというのに

今は羽のごとく身が軽く空でも飛べそうなほどである

四肢は自由に動き、傷一つ見えない

わたしは夢でも見ているのだろうか

いや、地獄へ堕とされず極楽浄土までたどり着いたか

なんと慈悲深い神々だ

幸運とはまさに

と、藤臣は自らの死を受け入れて死後の世界へと向かっていた


「兄ちゃん。起きたか。」

肩を軽く叩かれて、声のしたほうを向くと、白い陰陽術師の礼服と黒袴を召した男が数人、藤臣を取り囲んで心配そうに見つめている

「悪いなぁ、極楽へ送ってやれなくて。」


極楽へ送ってやれなかったということは、わたしはやはり地獄行きかと自傷じみた笑みを浮かべた


「俺たちは悪い妖怪どもを封印する陰陽術師だ。都一面全部灰に変えちまった妖怪を追って捕らえに来たんだが、どうやらとり逃しちまったらしくなんも残ってねえ。残ってたのはお前さんだけでな、何か知らねえかと思って、起こしちまったんだ。」

男は申し訳なさそうに頭を下げ、周りにいた数名の男たちもそれに続いて頭を下げる


「あんた、キツネに憑かれてたんだってな。これはたぶんそいつの仕業だ。どういうわけかお前さんだけが灰にならずに残ってた。本来なら墓でも作って安らかに眠れるように埋めてやるべきだったんだが、話を聞ける人間がみんな灰になっちまったもんだから、悪いが半妖として一時的に生き帰らせちまった。話が終わったらちゃんと供養すると誓うから、頼む、何か教えてほしい。」

憑いていたキツネと聞いて藤臣はすぐにそれが葵のことを指していると気づいた

わたしが話せば葵が彼らに追われることになってしまう


「違う。わたしだ。これはわたしが起こした結果だ。キツネなんて憑いていない。」

「兄ちゃん・・・。心まで奪われちまってるのか、そいつに。」

男は悲し気な瞳で藤臣を見た

「違う!本当だ。キツネなど知らない。これはわたしが!」


本宮はおろか、離宮さえ、はるか遠くの水平線まで真っ黒な荒野だけが続き、時々吹き付ける風が地面に降り積もった濃く深い灰を舞い上がらせて新たな模様を描いている

人や植物、すべての生命を枯らしつくし、何もかもが無に変わって静寂と焦げ臭いにおいがツンと鼻をついた


本当に葵がこんなことをしたのだろうか

可憐で小さくて、すぐに壊れてしまいそうなほど儚い人だと思っていた

できるだけ大切に、慎重に、丁寧に扱って、それでも時々不安になってずっとわたしの手の届くところに置いていたのに

葵が、どうやって?


思い出そうとしてはみたが、空虚を掴むばかりで叶わなかった

「兄ちゃんが覚えてないなら、俺達にはなんの情報もない。そいつがどうなったのか、どこへ飛んで行ったのか、わかんねぇなら、追いかけようもねえ。俺達はかたきを討ってやりたいんだ。ここで死んでいった多くの人間たちも、殺された兄ちゃんのぶんも‼」

男たちは必死の形相で藤臣に詰め寄った


だがしかし、藤臣は「わたしがやった」と譲らなかった

守りたかった者は、死してなお守りたいと思う者は、渡さない

葵を差し出すくらいならもう一度苦しめられて殺されたってかまわない


男は藤臣のしつこさに観念したのか、あきらめたのか、大きくて深いため息をついた

「兄ちゃん、そんなにぼろぼろになって。立派だぁなぁ。ほんとに墓まで秘密持ってっちまうんだから。」

「秘密なんて、わたしにはなにも。隠しているものも、隠している人もいない。」

男はやれやれと首を振った


「わかったわかった、もういいよ。俺たちの負けだ。これは、兄ちゃんを安らかに墓に埋めてやれなかった、俺たちからの詫びだ。」

胸から呪符を一枚取り出して藤臣に見せた

封筒くらいの大きさの白い紙に模様や文字が書かれているようだが知識のない藤臣には何を示しているのかわからない


「半妖として長く生きるか、死体に戻るか、あんたが選べ。」

生きるか、死ぬかか。

だけど、葵を失った今、わたしは何を望みにして生きていけばいいのだろうか

暖かい笑顔も、待っていてくれる人もいないのにどこに向かって歩けばいいというのか

答えは、決まり切っている


「もう少し先に、離宮があったんです。ここから南の方向に。そこへ埋めていただけませんか。思い出の場所なんですよ。」


君と出会ったのも、一緒に過ごしたのもそこだった

花の揺れているのをじっと見ていた美しい妖精と出会って、偶然にもわたしなどという多くのものを持たない人間に惹かれてくれて

愛おしかった、幸せだった、これ以上ないくらいの幸福を与えてくれた

なんて素敵で、煌びやかな日々だったろうか


隣に君を感じられないのが少し寂しいけれど、わたしはそこで永い眠りにつくことにするよ

思い出がわたしを包んでくれるだろう

君との日々を思い出せるだろう

なんだ、後悔なんてひとつもないじゃないか





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