桃色の御守り
無念を振り払って、藤臣は桜並木へ歩き出した
桔梗は半歩あとをトコトコと付いてくる
「先生、重たくない?抱いて運ばなくても式に変えてあげられるよ。今日はまだそんなに疲れてないし、心配ないよ。」
藤臣の腕に抱かれた小型犬ほどの白いキツネが身体の体重を藤臣の腕に預け切ってうつらうつらと船を漕ぐのを桔梗が見て言った
「いや、大丈夫。せっかく実体化できたのにまた紙に戻ってしまったらコイツも悲しいでしょ。だからこのまま妖界まで連れていってあげたいんだ。」
「そっか。」
桔梗がそれ以上突っ込んでこないことに安堵して、眠りに落ちるキツネを優しく抱きなおした
式に変化させてから桜並木に連れて行きたくないのにはもうひとつ訳がある
以前何度か、桔梗と人界で解呪をし、式に変えて妖界へ連れて行ったと思った妖怪の一部が妖界で実体化できなかったからだ
桔梗に訳を問うと
「お母さまが式のままでここに入れておきなさいって。」
と言ったというのだ
ここ、とは桔梗の守っているふすまの奥のことである
桔梗の普段使っている部屋の奥にはもう一枚ふすまがある
ふすまの前には人間の腰回りほどもあろうかという太さの仰々しいしめ縄が幾重にも巻かれ、結界の札が何十とひしめいて貼られている
桔梗がしめ縄を境にして強力な結界を張り、中にいる妖怪たちを外に出さんとしているのだ
強力な妖怪、妖力の強い妖怪はとくに実体化できずふすまの奥に隔離されることが多い
おそらくは刑期が終了した妖怪も、人間にとってまだ危険だと判断すれば、世に放ちたくない。危ない芽は小さいうちに摘んでおこう、暴れないよう妖力がしぼり切れるまで待ってから実体化させようという思惑なのだろうか
真実は桔梗と椿の母親ー牡丹様が硬く握り占めていて、中で何が行われているのかは桔梗でさえも知らないのだという
治癒術師としては一刻も早く治療をして普通の生活に戻してあげたかっただけに、苦汁をなめ続けさせれれる結果となって悔しい思いをしてきたのだ
藤臣には、自分にできることはすべてやって、妖怪と人間、どちらもが優しく生きられる世を作っていきたいという願いがある
妖怪と人間、異の者であっても共生できると藤臣はよく知っているからだ
愛し合うことだって、可能だと
帰路を辿り、桜並木へ続く石段の前に着いたがはまだ椿とその彼氏の姿は見えない
こちらが一足先だったようだ
桔梗の体調を慮りながら長い石の階段を上がった
階段を上がった先にあるのは満開の桜並木とむせかえるほどの桜の香りに春の陽気
一面を薄紅色のみに染めている世界の景色は何度見ても圧巻だ
散っても散っても咲き続け、枯れることもない桜たち
異世界と呼べるほど不思議な光景に慣れるということはおそらくないだろう
桔梗を自室へ送ったあと、藤臣は満開の桜並木が並ぶの中に一本だけある、7分咲きの桜の幹に触れる
桜の世界の出口は一本だけ散っていない桜。妖界の入り口となっているのは7分咲きの桜だ
他の桜がすべて満開を迎え、花びらの一枚一枚を風に揺らされて舞い落ちているというのにこの2本だけが他と異なっている
一見すればすべて同じに見える中、藤臣は迷うことなく7分咲きの桜の幹に触れて妖界へ向かった
桜の木の幹に触れた途端白いもやのような霧に包まれて視界が遮られた
霧が晴れてきたあとに見えるのは住居でもある妖界
妖界の文化文明は人界のものに追いつけず、建物の雰囲気や景色は江戸時代あたりで止まってしまっているが
低い平屋で道の両端に店を構え商いを行ったり、妖怪たちが買い物に来ていたりと、街は明るく栄えている
藤臣はキツネを弟子の治癒術師に託して、自室に用意してあった桃色の御守りを掴んだ
願いを込めて着物の袖に御守りを入れて、もう一度桜の世界へと戻った
「ただいま。」
桔梗の部屋のふすまをゆっくり開く
中には何名かの妖怪と椿が桔梗を囲んで座っていた
皆は藤臣に気が付いてちらと見上げたが、すぐに直って視線を椿に向けた
「で、で、今日はどんな話したの?一緒に帰ってるの見ちゃったんだよねー。すごいいい人そうだったじゃん。」
前のめりで話を聞きだす桔梗の目が輝いている
「別に、普通に、世間話だよ。何も、ねぇ。」
言葉を濁す椿へ砂かけ婆も追撃をする
「話して、手つないで、そのあとは、どうじゃ、まだか。」
「あとって、、、いや、そんな。」
「なぁんだ、まだかいね。若い男の魂は甘いぞー。」
砂かけ婆はしわの深い顔にさらにしわを深く刻み、口がさけるかと思わんほどに口角をにぃと上げて笑った
それに桔梗がぴしゃりと一喝
「だめだよ。ばあちゃん。魂すすっちゃ。」
「ほいほい、何も椿の想い人のものを奪うような野暮なことはせん。他の者に、」
「ばぁちゃん!」
桔梗のお叱りに砂かけ婆は口を尖らせ「ちょっとなめるだけじゃあ。」と白々しい態度で反抗している
「わたしもそろそろ次に進んでもよいかと思うけど。」
藤臣が椿の背中に声をかける
「先生までそんな、」
振り返った椿はすがる者を失くしたと眉尻を下げて情けない顔だ
「でも、草真くんは私のペースでいいって言ってくれてるし。」
「いや、入り込めないくらいの守備を固めてそうだけど。」
桔梗のはっきりとした一言に皆がうなずくのを見て椿の顔はさらに情けなさを増した
「そんなつもり、ないんだけどなぁ。」
藤臣は服の袖から桃色の御守りを取り出して椿に差し出す
「恋愛成就の御守り。カバンにでもつけて学校に持って行って。きっと距離を縮められますよ。」
桃色の生地に、濃い赤色で『恋愛成就御守』と記されたそれは少し甘い香りがして、中央で小鳥が口づけをしている様子が記されている
恋する椿のためにと藤臣が用意した御守りだ
「かわいい。ありがと、先生。」
藤臣の広げた手の上に乗った桃色の御守りを受け取ろうと椿が腕を伸ばした
その腕を藤臣が優しく引いて、引き寄せた
椿は急に腕を引かれて重心を崩し、藤臣の胸に体重を預ける
すぐに藤臣の腕は椿の背中に回り支えたと同時、反対の腕を椿の顔の輪郭近く持ってきたかと思うと長く細い綺麗な指が頬を撫でて、そのままくいっと顎を上に向けさせられる
「ど、どわぁぁぁ、先生、近いよ。な、な、なに、急に。」
椿は目をぱちくりとさせて、藤臣の腕の中でもがき突き飛ばした
「練習だったんだけどなぁ、次の段階の。ほら、守備が堅いっていうのはそういうとこだよ。静かに目を閉じて、待つのが正解。ね、それ持って、頑張って。」
「は、はい。」
椿は不整脈でも起こしたのかというほど胸を強く抑え、顔を真っ赤にして畳にへたりこんでいた
もう少し、もう少しできっと、葵を腕の中に抱けるはずだ
好きな女の子の前ではかっこつけていたい。腕がなまっているのではないかと不安になって、椿を実験台代わりにしたことは黙っておこう
と藤臣は静かにうなずく
いや、でもあの反応は初めての葵に口づけしたとき以上だったぞ。大丈夫かな、椿と椿の彼は。前途多難そう。
先は長そうだが、頑張れよ。
藤臣は椿の彼と御守りにエールを送った
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