大事な人

高いところで飛行機雲が走っている秋の空の下、藤臣は桔梗と人界の街へ出かけていた

単なるお出かけではなく、刑期終了間際の妖怪が封印されているところへ向かい解呪と治癒回復を行う


長い間封印されていた妖怪たちは多くの場合妖力のほとんどを失い、洗ったばかりの洗濯物のようにへろへろしているため

空前の灯火となっている彼らの命を治癒回復させ、妖界で以前のような生活を送れるまで様子を看るというのが藤臣の仕事だ


近年の人界の発展は目覚ましく、鳥居の何倍かといわんほど高く無機質な四角の建物たちと、わんさかあふれている人だかりに藤臣は目を白黒させながら雑踏を進んだ

身分と職業によって服装が大きく異なっているのだろうか、様々な衣に身を包んだ者たちが闊歩しているが誰が何の身分と職業を示しているのかは判別不能だ


「先生、ほら、早く。呪符の効果切れちゃうよ。」

「あぁ、うん。」

桔梗に促されて藤臣は足を早めた

目的の場所に着くまで隠形の呪符を使用し人の波を空気のように漂って抜けていく


さきほどまで大勢の人でごった返していた幅の広い道も、少し曲がって狭い道に入ってしまえば寂しく静まり返っている

「これだね。」

桔梗は黒く平らな地面の一点を指さして言った


目印になるものは何もないのに、彼女にははっきりと伝わっているものがあるらしい

桔梗は袖口から呪符を数枚とって宙に浮かべた

桔梗の目線の先で綺麗に横に整列したまま浮いている呪符へ桔梗が呪文を唱えるとそれは四方へ飛び去り、やがて藤臣と桔梗だけを残して静寂に包まれた


「人払いの結界、終わったよ。先生、もう呪解してもいいかな?」

藤臣はコクリとうなずく

桔梗はさきほど指さしていた一点へ今度は手のひらをかざす。かざした地面から赤い炎が円を描くようにして燃えて桔梗の手の周りを囲んだ

かざしていた手を振って炎の上を何かの模様を描いていく


すると、何もなかったはずの地面の上にゆらりと小型犬ほどの大きさの白いキツネの獣の姿が現れた

はじめ薄く透けていて幽体のようであったそれは、何度も模様を描くうちに、だんだんと濃くなって、たちまち実体化した


怯えた目でこちらをみたキツネに藤臣は

「長い間大変だったね。君を治療して、仲間のいるところへ送ってあげたいんだけど、どうかな。」

優しく声をかけ手を差し出した

キツネは警戒を解いて「きゅんっ」と鳴き、同意をしめしているようだ

そっとキツネの腹のあたりに手を当てて、異常をきたしているところはないか、治癒にどれくらいの時間がかかるのかを把握してから

「よかった、これくらいなら、少しすれば、送ってあげられそう。」

緊急性が無いことを確かめてキツネを抱き立ち上がった


「早く終わってよかったね。帰ろっか。」

二コリと笑う桔梗の血色も良い。久しぶりの人界だったがこちらの治療も無しと判断し、桜並木へ引き返すことにする


藤臣は人払いの結界と、細い路地のさらに向こうの大通りをせわしく歩く人々の中に椿と同じ服を着た生徒を何名か見つけた

「もう椿が帰ってくる時間だっけ。」

藤臣がそう問うと、桔梗も通りを歩く椿と同じ制服姿に気が付いたようだ

「そうみたいだね。椿、ここ通るかなぁ。」

「通ったって見えないのに、どうするの。」

呪力の弱い椿には人払いの結界内にいる私たちを見ることはできないだろう

「最近一緒に帰ってきてるらしいから、気になるじゃん。」

「あぁ、彼氏?」

桔梗が珍しく年頃の女の子らしい笑みを浮かべ、期待を込めた瞳で大通りを見つめている姿を見守った


「先生はさ、昔、人間だったんでしょ?戻りたいなって思う?」

生前に残してきた未練はたったひとつだけだ

葵が人間として生まれ変わっているのならば

「戻りたいかなぁ。」


妖怪の時は長い。何百年、何千年と生きている妖怪さえいる。

わたしは今度こそ葵と同じ歩みができると思っていたのに、すれ違ってしまったようだから、葵を迎えに行くまでにもう一度人間に戻れないだろうか

「そんなにいいの?人間。」

人間である桔梗からそんなセリフが出るとは思わなかった

「桔梗は嫌なの?」

驚いて感じたままを口にしてしまったが、気の利かない質問をしてしまっただろうか


「嫌じゃないよ。でも、なんか、みんなといる時間のほうが長いから、私はみんなと同じような気がするの。」

桔梗のいう、みんなとは妖怪のことだ

桜の世界に住み、ほとんど部屋をでることもなく、周りにいるのは妖怪たちばかり。

そう思うようになって不思議はない


「どうしたら、なれるのかな。私も先生みたいに半妖になりたいな。先生はどうやって半妖になったの?」

藤臣の脳裏に1000年前がよぎって、視線が揺れる

「どう、だったかな。もう、忘れちゃった。」

ごまかして笑ってみたが桔梗のくりっと丸い瞳が細められて、鋭く刺さった

「絶対覚えてるでしょ。」

「いやいや、だってもう、ずいぶんだよ。忘れちゃったって、」

手をぶんぶんとおおげさに振ってみてはみたが見透かした視線は強いままだ


すると、目の前の少女とうり二つの顔をした制服の少女が通りを笑顔で歩いていくのが見えた

「あ、あれ、椿じゃない?」

話をそらず絶好の機会だ。これを逃すまいと、指をさして椿の位置を桔梗に教える

「あ、ほんとだ。てことは、隣の男の子が彼氏か。」

黒い短髪のすらっとした少年が椿の手を引きながら声をかけ、椿はそれに答えて笑っている


藤臣は椿と彼の様子を見て

「いい雰囲気だね。わたしも、」

ーああいう風に葵と歩きたい。かつてのように手を握って、肩を並べて歩きたい。

胸がきゅうっと詰まった

「先生?わたしも、なに?」

「ううん、なんでも、ないよ。」

もう少し、もう少しだから、後ほんの少しだけ待っていて、葵。


この大勢の人の群衆のなかにもすでにいるのかもしれない

早く見つけて、早く会わなければ

わたしはそのために半妖となって長く生かしてもらっている


「早く帰らないと、椿に先越されちゃうよ。」

いつまでも人の波を見つめ続ける藤臣に桔梗が声をかけて袖を引っ張った

「そう、だね。行こうか。」


もう少しだけ眺めていたら葵が通らないだろうか

椿に近しい人だと思うから、もしかしたら、見つけられないだろうか


「先生?もうちょっといたい?」

「いや・・・」

「いいよ。もうちょっといよう。こっちに。先生がそんな顔してるのに、帰れないよ。」


わたしは今、どんな顔をして街をながめているんだろう

街のなかにそれらしい人は見当たらない

1000年見つけれらなかったんだ

そう簡単に見つけられるはずがない

わかっていても通り過ぎる人を眺めるのをやめられなかった


切ない、今にも泣き出しそうな顔で街を眺めつづける藤臣に桔梗は

「もしかして、大事な人を探してるの?」

「なんで、それ。」

どうして桔梗が知っているのかと藤臣は驚いた


「椿がね、言ってたから。先生には大事な人がいるんだって。こんな優しい先生に想われてる人はきっと幸せだね、って。」

「どうだろう、わからない。」

わたしは自分の身ばかり優先して葵を幸せにしてあげられなかったんじゃないかな

「じゃあ会ってみて聞いてみないとだね。」

桔梗の言葉はわたしの背中を押した


一度近づいたと思った希望が、実はまだまだ遠かったと知って、絶望の淵で枯れかけていた

会って聞きたいことも、話したいこともたくさんあるんだ

遠いだけで無いわけじゃない


藤臣は人を眺めるのをやめて歩き出した

「帰ろうか。」







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