灰に変わる街並み(愛しい人を失った訳)

*暴力描写あり *残酷描写あり です。

苦手な方はまばたき多めでご覧ください


葵は身体の大きさを人間の女性ほどのサイズに変えた

ぽんっと軽い音がして少しだけ身体の周りを白い煙が覆うとともに人間と差異のない美しい容姿が現れる

藤臣から貰った向日葵色の着物も、紅色の履物も、身体の大きさに合わせて大きくなった


身体を大きく変えた葵はうなだれるだけの藤臣に覆いかぶさって身体を力いっぱいに押した

昨夜葵を抱きしめてくれた細身の体は今日一日でさらにやせ細ってしまったような気がする

縄で締め付けられた藤臣の身体は打たれた達磨落としの角材のように横へ転がり、一直線に振り下ろされた鋭い長刃は空間だけを切り裂いて勢いそのままに地面に突き刺さった


「なっ‼」

男たちは急に現れた少女の姿を見て驚き浮足立った

が、しかし、祈祷師の男の一人が

「キツネだ。ついに姿を現したぞ。」

と叫び男たちの鋭い眼光が一斉に葵に向かって光る


或るものは腰から剣を抜き、或るものは呪符の張り付いた棍棒を両の手に高く掲げ、祈祷師は仰々しく数珠を構えなおして葵に立ち向かわんと腰を低く構えた


「おまえらの狙っているキツネはわらわである。ではわらわを斬るがよい。藤臣には在らぬ罪を着せるでない。」

葵は男たちと藤臣の間に割って入り大きく両手を広げた


「ぐぅ・・・」

葵が護る背後からくぐもった声が漏れた

「藤臣‼」

松明の明かりは転がった藤臣が苦し気な表情を浮かべるのをぼんやりと照らしている。葵は自身が狙われているのさえ忘れて駆け寄った


顔の色は失われ、うっすらあいた瞼からのぞく目は白目を向いて、唇も紫色にうっ血している

「縄、ほどいてやるから。どうしたらいい?藤臣。わらわは藤臣が教えてくれたものしか持っておらぬのだ。お前が教えてくれなくては、わらわは何もできん。しっかりしてくれ、藤臣。」

肩を優しく揺らして問いかけても、返答はなく、言葉にすらならないうわごとが風に乗って消されていくばかりだ


「わらわは藤臣を助けたいのだ。誰か、手を貸してくれぬか。見ておるのなら、何か教えてはくれないか。」

葵の目から大粒の涙がこぼれ落ちて、着物が濡れる

せっかくここまできたというのに、わらわは縄のほどき方ひとつ知らない

他に人はいるというのに、誰も藤臣を助けようとはしてくれない


「わらわのことは後でどうにでもしてくれて良いから、早く、手当てを、」

葵は男たちに訴えた

涙ながらに、藤臣を助けてほしいと

声は届いているはずなのに、葵の懇願する姿は今、見えているはずなのに

誰一人一歩も動こうとせず葵を鋭く見つめるだけだ


「キツネを捕らえよ‼」

男の一人が叫ぶと同時、周りにいた男たちが葵に詰め寄った

刃の切っ先が松明の赤い炎に反射して赤く染まる

藤臣の血で赤くシミを作った呪符付きの棍棒が振り下ろされる

祈祷師たちの白い衣服にも血吹雪が飛んで新しい水玉模様を作っている


お前らはこんなにも藤臣を傷つけたのか

物や服が血に染まるまで何度も藤臣を殴ったのか

さぞ痛かったであろう、さぞ苦しかったであろう、さぞ辛かったであろう

わらわはまだ藤臣にもらった抱えきれぬほどの温情をひとつも返しておらぬのだ

ここで失うわけにはいかぬであろう


「先に藤臣を助けよと、わらわは申しておるのだ!」


男たちの振り下ろした刃と棍棒を振り払った

宙を払った左手からあふれる赤黒い光りに触れた途端、光は敵意にまとわりついて侵食して溶けてやがてぼたりと地に落ちる前に灰となり秋風の中に舞っていく

男たちはさきほどまで長い刃がぎらついていたところが空虚になったのを見て畏怖の色を示し、鞘だけになった刀をもつ両手は大きく震えだした

「ひぃぃっ。」

すでに切りかかる敵意は失くし腰が引けてているのに手に収まった鞘は手にひっついて離れないと言わんばかりに硬く握りしめられたまま、情けない声をだすばかりである

先ほどまで威勢はどこへ置いてきてしまったのだろう。目の前の見たことのない力の波に飲まれているように、男たちはじりじり後へ下がっていく


葵は離れていく男たちを追って声をかける

「待て、待たれよ、早く藤臣を・・・」

悲壮な思いは男たちに一寸たりとも届かず、一定距離をとった男たちは今度は一斉に背を向けて本宮へ駆けだした

「敵襲‼敵襲‼応援を願いたく。」

男たちは口々にそう叫びながら本宮の中へ消えていくのを見た葵は協力を求めるのをあきらめて藤臣のところへ駆け寄った


「藤臣、ごめん。みんな行ってしまった。わらわは藤臣を助けてほしかっただけだったのに」

声をかける藤臣の表情は苦悶に満ち、険しいままだ

葵は藤臣の胸に耳を充てて弱弱しくもまだトクントクンと脈打っている鼓動を確認して縄をほどきにかかる

藤臣を失ってしまうのではないかという恐怖で手が震え、視界がぼやける

葵は腕で何度も涙をぬぐいつつ、縄のむずび目と対峙した

ゆっくりだが着実に緩くなってきている

「もうちょっとだ、藤臣。もうちょっとだけ我慢しててくれ。」

藤臣の身体は葵が力を込めるたび、ふらふらと揺れる。時々漏れていた苦悶の声はこんどはひとつも漏れず、身体を砂利に横たえたままだ

ようやく硬いむずび目がほどけた


次に身体を幾重にも巻いている縄を丁寧にはがしていく

縄をほどいた細い腕や足には回された縄の跡がくっきりと残って、葵の胸を締め付けている痛みがそこに示されてあるかのようだ

縄から解放された藤臣の身体は砂利の上にだらんと垂れた

横顔にも砂や血の塊がたっぷりついて、日ごろの花のような美しさを微塵も感じられず、別人になってしまった恋人の尊い姿が悲しくて、手や着物が汚れるのも構わずに砂をぬぐった


「ごめん。ごめん藤臣。どうして言わなかったのだ。わらわが傍にいては困ると。どうして教えてくれなかったのだ、わらわが近くにいては自身の身が危ないと。」


さっきよりも少し安らいだ表情の藤臣の頭を、正座した膝にのせてゆっくり撫でた

葵の目から涙があふれて藤臣の顔にぽたりぽたりと落ちる


「言ってくれれば、わらわは身を引いたのに。お前の身と引き換えにしたわらわの幸せなどいらなかった。」


藤臣の瞼は固く閉じられたままぴくりとも動かない


「ごめんな、こんな痛い思いをさせて。わらわがお前を好きだと言ったからであろう。一緒にいたいと言ったからであろう。わらわが藤臣を苦しめたのだな。ごめん、本当に、すまない。一番大切な人をこんなに傷つけて、どうして報いたら良いかわからぬ。」


藤臣の手を握る

昨日までわらわに触れてくれた手は、今、冷たく、血色を失って、もう握り返してはくれない


背後から砂利を蹴る人の足音が鳴って、近づいている

「いたぞ、あれだ‼」

葵は声のしたほうを振り向くとそこには

何十という男が武装した格好で、手に弓や刀を持って葵を狙いすましている

祈祷師が一斉に大きな声で呪詛を唱えだした

松明が木を燃やしていく音だけだった広場はたちまちけん騒に包まれ男たちの咆哮が渦を巻いて葵を捕らえんとしている

にじり寄る男たちの目に映っているものは葵のみ、誰も藤臣を助け出そうという者はいない


男が矢を放った

矢は葵の傍を金属が空間を断つ重い音を立てながらまっすぐ飛んで、背後の砂利を突き刺した


一本の矢が皮切りになり、矢の雨は横殴りに葵を打ち付けようと強い勢いで吹き荒れた

葵は左手を高く掲げて降り注ぐ矢の全てを黒いすすに変え霧散させていく


葵が護りたいもの、それは自身の身体ではなく背後に横たわっている藤臣だ

もう一本たりとも傷をつけさせない

もう一筋たりとも血を流させない


葵の強い思いは赤黒い物体となって足元からマグマのように流れ出す

葵を中心に流れ出したそれは松明の根本に当たり、松明はマグマに取り込まれるようになぎ倒されて次第に黒い灰へ姿を変える

侵食は止まらず、いや、むしろ勢いを増して男たちの群衆の前まで流れ着いた

男の一人がマグマに飲まれた


「ひっ」

と短い叫び声を残しただけで後に残った灰は宙に舞って夜空へ消えていった

反撃の一矢は葵の姿をかすめもせず、大きな負の力によって溶かされかき消されていく

砂利も、本宮も、人も、物も、あたり一帯、なにをかもをも呑み込んでも赤黒い物体の勢いは止まらない


消えて、なにもかも消えてしまえばいい

藤臣に優しくない世界なんて灰になってしまえばいい

護りたい人、ひとりすら護れない自分なんて消えてしまえばいい


葵はやりきれない思いを空に向かって叫んだ


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