椿の決意(私なんて、きっと、いらない)
鳥居をくぐった途端むせかえるような桜の香りが鼻をつく。
少し風が吹くたびに桜の花びらが舞い踊り白いケーキの箱にもピンクの花弁が積もる。
ー桔梗、喜んでくれるかな。ケーキってどんな味がするんだろう
期待に胸を弾ませて開けた門扉の向こうで険しい顔をした母親が立っていた。
母親とは言っても容姿は高校生の自分とほとんど変わらない
肌にはつやがあり、しわもなく、椿が生まれてからひとつも歳をとっていない気さえする
細くて長い手足、つやのある黒髪、長いまつげ、シャープな顎のライン
華やかなパステルピンクの薄手の着物を身に纏い、丁寧に塗られた化粧が美しさをさらに際立たせている
これほどしっかりと母親の姿を直視したのはいつぶりだろうか
たまに廊下ですれ違うときでさえばつの悪そうな顔をしてそっぽを向いているというのに今頃私になんの用があるというのだ
「ただいま戻りましー」
「早く捕らえたものを出しなさい。」
「え、」
「桔梗から聞いているわよ。妖怪が現れたそうじゃない。しかもあなたのクラスのお友達に憑りついているんだそうね。さすがに捕らえるくらいはできたのではなくて?」
「その・・・」
クラスメイトに説得されて捕らえるのを諦めましたとは言えない。
かといって、危害を加える気がないとのことでしたのでと言っても、それはあなたが判断することではないと言い含められてしまうだろう。
「申し訳ありません。相手が強力で捕らえることはかないませんでした。」
「へーえ。強力で、ねぇ。傷一つ見当たらないようだけど。」
「すみません。」
自分の持っている呪符では対応しきれないと判断したのは本当の話だ。戦わずしてもわかる。あれはほかの妖怪とは何か違う。本当に妖怪ではないのかもしれないと納得させられてしまうのもうなずける。
「あなたなんかが生まれたせいで桔梗の体は弱くなったのよ。素質も能力も優れたものをもって生まれてきたのに施行できないのはどうしてだと思う?」
「私がいるからです。」
「そうよ。みんなあなたのせい。体質に恵まれてさえいればもっと素晴らしい術者になれた。呪符は術者でなくとも発動さえできれば多少の効力は発揮するわ。でもね、術者が使えばさらに強力な効果を得られるのよ、今回だって桔梗が出向くことができれば失敗していなかった。そうでしょう。」
『あなたが生まれたせい』飽きるほど聞いてきた言葉だ。
少しでも認めてほしくて呪術施行の特訓を試み、桔梗の呪符をほかの術者と変わらないほど扱えるように努力し結果を出した。
けれど、かけられる言葉も向けられる視線も何も変わらなかった。
心はどんどんすさんでいって、やがて何も感じないくらいに空っぽになった。
西園寺椿なんて人間ははじめから存在しなければよかったのに
呪術もひとりでは満足に使えない、心も持ち合わせない。器も中身も無いのならそれは虚無と変わりない。
「はい、おっしゃるとおりです。」
「最近、桔梗の体調が安定しているの。このまま呪術の施行が問題なくできるようになったら、あなたなんていらないのよ。」
「はい。」
「それまで、あなたは桔梗の呪符を使わせていただいてるの。妖怪の一匹や二匹くらい、早急に捕らえて持ち帰りなさい。」
母親はそれだけ言い放つと私に背を向けて自室へ戻っていった。
桔梗の体調がこのまま安定すれば『いらないもの』はどうするんだろう。
捨てるのかな
私は生ごみのようにあっけなくゴミ箱に入れられるのだろうか
玄関に立ち尽くしたままため息が漏れてしまう
けれど一筋の涙も出そうにない
私の心は本当に枯れはててしまったんだろうな
長い廊下を歩き、きっちり閉じられたふすまをひいた
部屋の中には世話役の妖怪たちが布団の周りを囲んでいる
「ただいま、桔梗。」
真っ白な雪のような肌に、白い長髪が揺れる
「おかえり、椿」
朗らかな笑顔を浮かべる桔梗の頬はいつもより少し赤みを帯びていて体調の良さを思わせる。
「遅くなってごめん。今日はね、ケーキ屋さんに行ってきたんだ。」
「けーきやさん?」
「そう。西洋のお菓子でね、スポンジとか生クリームとかいっぱい使ったお洒落な甘味なんだよ。」
私は大切に持って帰ってきた白い箱を開いて見せる
ほんの少し甘い香りと冷気が広がった
妖怪たちも興味深そうに箱の中をのぞいたり香りをかいでみたりしているようだ
「ほら、すごく綺麗でしょ?」
「うん。食べれるの?これ。」
「そう。ショートケーキと、フルーツのタルト、どっちがいい?」
「うーん。決められないから半分こしよう。」
桔梗が屈託なく笑うのを見て椿も自然と笑顔がこぼれた
自室に閉じこもりがちな桔梗は外の世界をほとんどといっていいほど知らない。出られるのは妖怪を捕らえるか、刑期の終わった妖怪の封印を解くかといった役目のときのみで、まして、学校に行くことも友達をつくることもかなわない。
代わりに妖怪たちが世話も話し相手もしてくれるから、まったく寂しくはないと桔梗は言うけれどそれでも私だけが外を知っているのだと思うと申し訳なさでなかなか外の話はできない。
「昨日の人と一緒に買いに行ってきたの?」
「なんで?」
「椿がお土産なんて買ってくるの珍しいからさ。そうなのかなーって思って。」
「ごめん、妖怪も捕まえられなかったのに。」
桔梗は気にしていないといった風に首を振った
「ねえ、今度さ、ドーナッツっていうの買ってきてよ。」
「ドーナツ?」
「そう。ドーナッツだよね?こなき爺さん。」
「穴の開いた揚げ菓子で、美味であると噂だ。だいたい穴の開いたものが多いのだが中に小豆が入ったものやら、クリームが入ったものがあってな人間が好んで食べておるのをよく見る。」
小豆と聞いた小豆洗いが一瞬手を止めてこちらを見た
「椿はさ、真面目すぎるんだよ。私のこと気にせずに、椿はもっと楽しんでほしいのに。だから、今日はケーキ食べられて嬉しかったよ。妖怪さんたちから聞く外はさ、時代がぶっ飛んでて何が何やらわかんないんだよね。」
桔梗は大きないちごを嬉しそうに口に運ぶ
今日は一段と元気そうな桔梗を見て喜ぶべきはずなのに、自分のタイムリミットが迫りつつあることを痛感し心がざわつく
桔梗がもっと元気になったら
桔梗が自由に外にでられるほど体力がついたら
私は本当にいらなくなってしまう
妖怪をひとりで捕らえることができれば、滅ぼすことができれば
もしかしたら私への見方は変わるのではないだろうか
何度も描き続けた理想がまた頭をもたげる
期待して失墜して、もう粉々に散りはてたはずの夢物語だ
いまさら何を馬鹿らしいことをと自分でもわかっているのになぜ捨てきれていないのだろう
枯れ果てた心でもまた水をやれば花が咲くと思いたい
きっかけがあれば前に進む足を持っていると思いたい
これが最後のチャンスになるだろう
自分の力で居場所を手に入れるための一縷の望み
もう一度、もう一度だけ、私を認めてもらえるように
西園寺椿がここに存在しているのだと知って、名前を呼んでもらえうように
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます