変な趣味で悪かったな(スマホ忘れるのって財布忘れるより致命的じゃない)
爽やかな秋風が肌を撫でる、10月初旬。
真新しい洋服を着て、跳ねる
日ごろ着用しているお気に入りの向日葵色をした着物とは正反対のフリルやレースのふんだんに使われた白ロリータ様式だ
柊哉の家のリビング中央で存在感を示している茶色の2人用くらいの大きさの机の上に小さな人形ー葵が乗り、葵の前にはいくつかのケーキが並べられて次々にそれを口に入れていく
「やはり甘いものは正義だの。柊哉。」
「うん、そうだね。」
クリームのたっぷりついたケーキをほおばる葵が愛らしくて仕方ない
一口、また一口と食べるたびに、袖の裾についたフリルが揺れる
「それでこれは何という菓子かの?。」
葵が透明なプラスチックの容器に黒、白、茶色と重ねられた洋菓子を指して尋ねる
「ティラミスだよ。」
「てら・・み・・・なんだ?」
葵は発したことのない発音に苦戦し、そして途中で放棄した
「ティラミス。イタリア発祥のケーキでね、平成の初めのころに大ブームが起きたんだって。」
ふんわりと柔らかくしゅわしゅわと口の中でマスカルポーネクリームの甘さとコーヒー生地の苦みが混ざり合い溶け合わさったところへココアの香りがふわりと香る
「へいせ?いたりあ、とな。異国の名前か?」
けげんな顔をしながらもリズムよく口の中へ放り込まれるティラミスは瞬く間に減っていき、こんな小さな容姿のどこに入っているのかと毎度感心する
「あ、ちょっと、ココアこぼさないでよ?それ新品なんだから。」
純白が売りの、レースがてんこ盛りについたロリータ衣装にココアの濃い茶色の粉が落ちないかと柊哉ははらはらしながら見守っていた
ココアというのは想像以上に取れにくいものなんだ
粉がきめ細かくて、慌てて払い落とそうとでもすれば余計に伸びて意固地になる
「だったらこのような布、着せねばよいであろう。」
「じゃあ、ティラミスもなしだね。」
悪態をついた葵をつまみあげると、葵は足をじたばたさせて怒った。
「わかった、わかったから、わらわを下ろせ。」
タレ目で大きな瞳は深い海の濃い青色はおもわず引き込まれそうになる輝き
ストレートの長髪は雅な日本人と思わしき漆黒、スマートな手足はまるでフィギアのように完ぺき。そして、麗しく大人びた顔立ちとは対照的な幼児体系。
「わかったよ。葵。」
2次元キャラフィギュアを生身化させたような美しさを持った手のひらサイズの体の彼女に笑みを浮かべた。
葵を雪道で拾ったのが1月のはじめごろだからもう10か月ほどになる。まだまだ謎の多いこの生き物は、どうやら恋人を待って1000年も眠っていたらしい。
葵の姿が見えるのも、声が聴けるのも、俺と1000年前の恋人の
せっかく着てもらった衣装も俺の目にははっきりと映っているのにカメラのレンズには反映されない。写真はもちろん動画もだ。
こんなに可愛い姿SNSにあげれば秒速でバズること間違いないのに口惜しいような、独占できて有難いような
目の保養とばかりにいろいろな服に着替えてもらっては、お礼として大好きなスイーツをご馳走している
心の栄養も満ち足りたところで、友人からのメッセージを返さなければとポケットの中に手を突っ込んだ
いつもあるはずの四角く冷たい機械の感触ースマホが無い
ズボンの左ポケットが定位置のあいつをどこに置き忘れたんだろう
電話鳴らして・・・ってだからその鳴らすもんが無いんだってば
右のポケットや胸ポケット、洗面所、トイレ、ベット、ソファー、布団からクッションからなにから全部引っぺがして探したのに見当たらない
さっきまでなんとも思わずに過ごしてたっていうのにそばにないと分かった途端、背筋をつぅーっと冷や汗が垂れてきた
「葵。たぶん学校だわ。もっかい行くよ。」
柊哉はケーキに舌鼓をうっている葵を乱暴につかむとカバンの中に突っ込んで、慌てて家を飛び出し自転車に飛び乗った
ひんやりとした風が柊哉の冷汗を撫でて吹き抜けていく
学校へ着くと自転車の鍵をかけている時間さえ惜しく感じて、そのあたりに立てかけ教室へ走った
ガラリと教室の扉を引いて中を覗くとそこには誰の姿もなく、しんと静まった教室を沈みかけている太陽がオレンジ色に染めているばかりである
柊哉は今月の席替えにて獲得した自分の席へ一目散に向かい机の奥へ右手を伸ばした
何冊かの教科書が乱雑に差し込まれているその上に、冷たい機械の感触が右手の人差し指に触れた
「よかった、あったぁ。」
机の中でひっそりとなりをひそめていたワインレッドのスマートフォンを無事回収し柊哉は安堵の嘆息をついた
いじり倒していたスマートフォンを何気なく机の中に突っ込んで、そのまま忘れて家に帰ってしまったというわけだ
いや、普通もっと早く気付くでしょうよと間抜けな自分にあきれる
先ほどまでの冷汗は、全速力で自転車を漕いだ勲章とばかりに暖かい汗へと変わり額からあふれだした
HRもとおに終わった人気のない教室で俺はスマホへほおずりしたくなるほど喜んでいた
教室に差す日差しで濃い橙色に燃えているような机達
時々運動部の発する気合いの掛け声が遠くのほうに聞こえる以外はしんとしていて、普段人の多い教室にひとりぽつんと立っていると心細い気すら感じる
焦りと不安という心理的な要素に全速力で自転車を漕いできた身体的な要素が加わりずいぶんと乱れた息を整えていた柊哉へ
「それひとつで、なんとなさけないの。」
声はカバンの外ポケットからだった。ちいさなふくらみがもぞもぞと動く
「だってこれがないとなんもできねぇもん。」
「そんな大げさな。」
「マジだって。」
「もうよいか。はやく帰るぞ。わらわのおやつが待っておる。」
小さなお人形のような葵ががむくむくっとポケットから飛び出して柊哉をうながした
至福のおやつタイムの途中で無理やりひっつかんできたのをまだ根に持っているらしい
「はいはい。」
片手にはスマホ、片手には葵を握りしめて向きを変え今来た道を帰ろうとドアへと向かった
そのとき
柊哉が慌てて教室に入り、開けっぱなしていたドアから人影が現れた
「え。」
驚きの声を漏らしたのは柊哉ではなく、今まさに教室に入ろうとした少女だ。少女の足はぱたりと動きを止めた。少女は誰もいないはずの教室に誰かがいたから驚いたのだろうか、大きく瞳を見開いて少し後ずさった
艶のあるストレートの黒髪に切れ長の瞳、淡雪のような白い肌、薄い唇、細い手足。化粧っけはないのに肌も整っていて綺麗だ。
なじみのある少女の顔は同じクラスの
「あぁ、驚かせてごめん。ちょっと忘れ物して。西園寺も忘れ物?」
「う、ううん。ご、めんなさ。」
言い終わらないうちから怖いものでも見たかのように後ずさり、逃げるようにして走り去ってしまった
何か用事で来たんだろうに悪いことしてしまったかもしれない、と思いすぐさま退散することにする
「じゃあ、帰ろうか。」
手の内の人形に微笑みかけて声をかける
しかし、笑い返してはくれなかった。神妙な面持ちでなにか考えているように黙りこくったまま俺を見上げている
「どうかした?」
「いや、さきほどの者と目が合った気がしての。わらわを見て驚いておったような。」
「気のせいじゃないの。葵の姿が見える人間にあったのは俺で1000年ぶりなんでしょ?そうそういるもんじゃないって。」
葵はまだなにか言いたげだったが、無理やりカバンの中に戻して教室を後にした
この時、まだ俺は10月のさなかに
満開の桜を眺めることになるとは考えもしていなかった
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