姫君と魔王のごく平和的な休日

「エ、エルヴィン! その……わたしと付き合ってくれ!」

 唐突に、金髪の姫君――ヘドウィカがそう告げたのは、朝食の終わり頃。

 エルヴィンが席を離れようとしたときだ。

「は……?」

 予期せぬ言葉に、歴戦の魔法戦士であるエルヴィンの動きも止まる。

「つ、付き合う……?」

 まだ年若い姫君と、推定三十路直前の自分を順番に指さし、眉根を寄せる。

「いやそのああああっ、その、じゃなくてだな! 着るものを新調したいから、買い物に付き合って欲しいのだ!」

 慌てて補足する姫君の顔は、真っ赤に染まっていた。声も、所々裏返っている。

「お、おう。買い物な。うん、いいぞ」

 邪悪で強大な魔神すら恐れない黒衣の魔法戦士の声にも、軽く動揺の色が見える。

「な、なにやら週末に祝賀会とかがあるらしいのでな! 長旅の果てのこの地では、正装するにも手持ちがないゆえ、やむを得んのだ」

「確かに」

 エルヴィンもうなずく。

 ヘドウィカ姫は“奈落の魔域”に汚染された港湾都市ラハ奪還の使命を帯び、わずかな手勢を連れてデナーレ王国の王都から旅をしてきた。

 その過程で配下のほとんどを失い、エルヴィンを仲間に加え、その力を借りて、ここラハの街を奪還することに成功したのだ。

 神官戦士である彼女もまた、その身を危険にさらして戦い続けてきた。当然、パーティに参加するような服装を持参しているわけがない。

「お、おまえのも新調したほうがよいから、一緒に行く方がなにかと都合がよかろう?」

 と、もっともらしい意見。

「いや、俺は……」

 エルヴィンは、自分の体を見下ろす。

 いまは平時ゆえ、簡素な布の服しか身につけていないが、鍛え上げられた肉体がその布地を押し上げているのははっきりとわかる。

 しかしそれ以上に特徴的なのは、その額から生えている一本の角と、顔から首筋を通り、胸まで広がった網目状の痣。

 そしてなにより、全身から立ち上る白い靄のような瘴気が、異様な雰囲気を醸し出していた。

「“破界の魔王”とか“蛮王級世界破壊者”とか呼ばれてる俺がパーティなんぞ行ったら……その、迷惑なんじゃねぇの?」

「迷惑なわけあるか!」

 なぜか姫君に激怒される。

「そなたはこのラハを救った一番の英雄だぞ!? 誰に恥じることがある! 胸を張れ!」

「あ、はい……」

 別に恥じるつもりはなかったが――単純に怖がられるんじゃないかと思ったのだ。

「というわけで、一緒に買い物に行くぞ! 待ち合わせは一時間後にロビーだ! わかったな!」

「お、おう」

 どういうわけだか、最後は恫喝されるようにして同行を同意させられていた。姫君は憤然と席を立ち、二階にある宿の寝室へと向かう。

「なんで怒られたんだ、俺……」

 茫然とするエルヴィンを、先に食事を終えていた二人の仲間――武闘家のガイと姫君の側仕えのハンナが、好奇心丸出しで見守っていた。


(うーむ……しかしこれは、デートのお誘いのようでもあるなぁ……)

 自分も自室に戻り、出発の支度をしながら、エルヴィンは唸る。

(まあ、あの堅物のお姫様に限って、そんなことはねーか)

 いや、ちょっとはあるかもしれない――などと思いつつ、エルヴィンはクロークの服を見て眉根を寄せる。

 どうしてもその風貌を隠すための服ばかりを選んできたので、どれもこれも黒を基調にした体型や装備を隠すゆったりしたローブとかマントばかり。

「確かに、パーティには参加できねぇわな……」

 どれを身につけても、よくて邪悪な魔法使い。悪ければ暗殺者だ。

「……今日のところは諦めてもらおう」

 ヘドウィカの意図がどのあたりにあるのかは判然としないが、今日は黒マントで出かける以外に服がない。フードで顔を隠すべきか一瞬迷ったが、それは姫君に会ってから考えることにした。

 そしておおむね一時間が経過したところで、エルヴィンはロビーに向かった。すると、ソファの背もたれ越しに、丁寧に編み込まれた金髪の頭が見える。

「姫さん、早いな」

「――いや、わたしもいま来たばかりだ」

 ヘドウィカはそう言って、ガシャリという音と共に立ち上がる。

「がしゃり……?」

 見れば、彼女が身につけていたのは――甲冑。

 長旅の間、彼女の命を幾度となく守ってきた金属製の板金製重甲冑(ルビ:コートオブプレート)だった。

「ちょ、なんで鎧着てんだ!?」

「なんでとはなんだ。正装の甲冑を新調しに行くのに、参考となる元の甲冑を着ていくのは当然だろう!?」

 どどーんと胸を張る姫君の堂々たる態度に、エルヴィンは動揺し、気圧される。

「せ、正装って、そういう意味のやつかよ……」

「これでも騎士団の団長だぞ。甲冑以外の正装があるわけなかろう」

 本気で怪訝そうに、姫君は眉根を寄せる。

「いったいなにを想像していたのだ」

「そりゃ、もう……いや、いいです。おっしゃる通り」

 十七歳の姫君に相応しい、可憐なドレスやおしゃれなアクセサリーを見繕うのに付き合わされるのだと思っていたとは、なんとなく言いがたい。

 それに、コソコソと黒マント姿で女性用の服飾店に入ることを考えれば……防具屋に甲冑を買いに行くほうが気が楽だ。

「さあ、行くぞ。今日中に採寸ぐらいは済ませたいからな」

 そしてまるで戦場に向かう騎士さながらに、ヘドウィカは堂々とした足取りで甲冑を鳴らし、宿を出ていく。

「へいへい。お供しますよ、お姫様」

 エルヴィンも頭を掻きながら、それに続く。

 そんな様子を物陰に潜んで見つめていたガイと、魔法で人形の視線から見守っていたハンナは、少し残念そうに嘆息していた。


 よく晴れた太陽の下。

 ヘドウィカは堂々と通りを歩いていた。

 その甲冑姿は必然的に目立ち、港湾都市ラハを救った英雄として知られている姫君だけに、道行く人たちの視線を集めまくっている。

「エルヴィン。堂々と道を歩いたらどうだ」

 そんな彼女が、建物の物陰に声をかけた。

 そこには、物陰に溶け込むような漆黒の衣装を纏う、“破界の魔王”がひとり。

「目立ちたくねぇからコソコソしてんだろうが。声かけんな」

 ヘドウィカに注目が集まるゆえ、エルヴィンの存在はほとんど無視されていた。なのに声をかけられると、姫君への注目が一気に自分に集まってしまう。

「まったく。胸を張れば奇異に見られることもあるまいに」

「奇異には見られないかもしれねぇが、恐怖を振り舞いちまうんだよ」

 瘴気を放つ角付きの偉丈夫の姿は、やはり異様だ。英雄たる姫君を一目見ようと足を止めていた街の人たちも、急に視線を逸らして足早に去ってしまう。

「英雄や為政者というものは、孤独なものだ。諦めろ」

「孤独なことは受け入れてるつもりだが、あんまり街の人を怖がらせたくもねぇだろ……」

 とは思うものの、ここで姫君と口論などしようものなら、本気で討伐対象にされかねない。

「ほれ、そこだエルヴィン。ハンナに聞いてきたこの街一番と評判の店だぞ」

 そんなこんなで歩いていると、姫君は一件の防具屋を指さした。

 少し山手にある立派な店で、戦火も被らなかったのか、綺麗な店構えを保っている。

 表はショーケースになっているのか、いくつもの高価そうな革鎧や甲冑が並べられていた。どうやら、元々貴族御用達の店らしい。

「いらっしゃいませ」

 入店したヘドウィカを見て、店番をしていた中年の男が、少し目を見張る。

「こ、これはこれはヘドウィカ姫! 本日は当店にお越しいただき、まことにあり――」

 そして続いて店に入ったエルヴィンに気づき、絶句する。

(うん、まあ、そうだろうね……)

 きらびやかな貴族向けの店内に、突如現れた蛮王級世界破壊者。

 それは清らかな泉に垂らされた墨のように、店内の雰囲気を侵食していた。

「ここの品揃えが一番いいと聞いてやってきた。見せてもらおうか」

 しかしあえてなのか、もうエルヴィンの存在になれているからなのか、ヘドウィカはそんな雰囲気をものともせず、さらに堂々と店内を進む。

「週末の祝賀会にも着ていくのでな。よいものを選びたい」

「そ、それでしたらお任せください! ささ、そちらでおかけになってお待ちを」

 中年の店員はエルヴィンから全力で視線を逸らし、部下の女性店員を総動員して甲冑を運ばせる。視界の端にチラチラ見える“破界の魔王”はともかく、ヘドウィカ姫は上客だ。ここはなんとしてもよい商品を身につけてもらい、パーティで目立ってもらいたいのだろう。

 指示を受けて運ばれてきたのは、どれもこれも、いかにも貴族が身につけそうな凝った装飾が施され、宝石や貴金属が飾られた高価そうなものだ。

(目くらましにはなりそうだなァ……)

 窓から差し込む日の光を浴び、並べられた甲冑たちはどれもこれもきらびやかに輝いている。

「いかがでしょう? こちらの商品など、お体のラインを美しく演出しつつ、高貴さと動きやすさを兼ね備えた素晴らしい作りになっており――」

 ひとつひとつ商品の特徴やヘドウィカとの相性を説明されるものの、ヘドウィカの表情は気むずかしいままだ。

「……お気に召しませんか?」

「一通り説明してもらった後で大変申し訳ないのだがな……そなた、勘違いしておらぬか?」

「と、申しますと……?」

 困惑する店員の前で、ヘドウィカはガシャリと立ち上がる。

「こういう豪華絢爛な甲冑を好む貴族がいるのはわかる。だが、わたしが欲しているのは、もっと実用性の高いものだ。これでは、魔神どもの攻撃を防げぬではないか」

 コンコンと、装飾過多な甲冑の胸甲を叩く。装飾用の鎧だけに、その音は実に軽い。

「い、いや、ですが、姫様――」

「おーい、姫さん。これなんかいいんじゃねぇか?」

 なるべく存在感を消し去ろうと、店の片隅に潜んでいたエルヴィンだったが、あまりにかみ合わないやりとりに声をかけた。

「ひ……っ」

 その存在を思い出した店員たちが喉の奥で悲鳴を上げるが、ヘドウィカは気にしない。

 いや、むしろエルヴィンが指し示している、店の一番奥にひっそりと置かれていた鎧の姿に、目の色がキラキラと輝き出していた。

「おお! ちゃんといい物があるではないか!」

「は、はい……?」

 ヘドウィカはきらびやかな甲冑たちを押しのけ、鈍い銀色に輝く鎧へと歩み寄る。

「しかし姫様、それはあまりに重すぎて誰も身につけられなかったもので、とても高貴な方がまとわれるようなものでは――」

「そなた、わたしを見くびっておるのか?」

「い、いえ、決してそのようなことは――」

 ヘドウィカの本気の視線で睨まれ、かわいそうな中年の店員はすくみ上がる。

「そういじめてやるなよ」

 くっくと笑いながら、エルヴィンは棚から銀色の甲冑を下ろす。その表面に触れ、ヘドウィカはうっとりする。

「こ、これは……」

「そう。ミスリル銀製だ。しかも、魔法による強化が施されてるな」

「これほどの品があるとは……」

「姫さんも旅の間に腕を上げてるし、重さもいま着てる鎧とそう変わらねぇしな。ちょうどぴったりなんじゃなねぇか?」

「ちょうど、ぴったり……!?」

 エルヴィンに面と向かって言われ、姫君の胸の奥がどきんっと高鳴る。

「似合うと思うぜ」

「ほ、本気でそう思うか!?」

「……? ああ。もちろん」

「よし、これを買おう!」

 突然振り返り、宣言する。そのやや奇矯な動きに、中年の店員はビクッと震えた。

「あ、ありがとうございます……」

「しかし、長いこと売れ残ってたのか、ちょっと古ぼけた感じだな。これ、綺麗にできるか?」

「も、もちろんでございます……っ」

 瘴気を放つエルヴィンに近づかれ、中年の店員は必死に逃げ出すのをこらえた。

「やっぱ姫さんの晴れの舞台だからな。いまの甲冑と同じデザインに手直ししてくれ。騎士団の正式な様式のほうがいいんだろ?」

「う、うむ! そうだな! そのほうがよいな!」

 ヘドウィカはぶんぶんと首を縦に振り、喰い気味に店員を振り返る。

「祝賀会までに出来るか!?」

「で、できます! お任せくださいっ」

 かわいそうな店員は、他に返す答えを持っていない。

「ふふふ……よい店じゃないかエルヴィン! こうなれば、今度はわたしがおまえの鎧を見繕ってやるぞ!」

「い、いや、俺はいらねぇよ。動きが鈍るからいまのままで――」

「そう言うな! なにか掘り出し物があるかもしれんぞ!」

「お、おいおい」

 ヘドウィカは強引にエルヴィンの腕を取り、店内を見て回る。その様子は、さながらショッピングを楽しむ若いカップルのようだ。

 そんな二人を物陰から見ていたガイと、彼の胸ポケットの人形越しに見ていたハンナは、密かにほっこりした表情を浮かべていた。


 後日。

 完璧なまでにデザインを整えたミスリル製の甲冑が、ヘドウィカの元へ届く。

 鎧職人の腕は確かなものだったらしく、その完成度に姫君は大いに喜んだという。

 そしてこの甲冑こそが、彼女のその後の旅の、大いなる助けとなるのだった。


              〈本編へ続く〉

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【書籍化記念SS】ソード・ワールド 蛮王の烙印 古の冒険者と捨てられた姫騎士 北沢慶/グループSNE/DRAGON NOVELS @dragon-novels

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