【書籍化記念SS】ソード・ワールド 蛮王の烙印 古の冒険者と捨てられた姫騎士
北沢慶/グループSNE/DRAGON NOVELS
姫騎士と、魔王と呼ばれし冒険者
森の中、二人の少女が、小柄な怪物たちに取り囲まれていた。
ゴブリン――醜悪な姿をした、人型の怪物だ。
緑色の肌と、大きな耳や目が特徴的であり、乱杭歯が並ぶその口許には、いやらしく邪悪な笑みが浮かんでいる。
アルフレイム大陸のいたるところに生息する代表的な蛮族で、その性格は邪悪にして残忍、臆病にして狡猾。
自分たちが優勢ならば好戦的になり、劣勢になるとすぐに逃げ出す卑劣な生き物だ。
「ギギギギ……ッ」
ゴブリンたちは嗜虐的な笑みを浮かべ、手に手に持った粗末な武器を構えて、包囲の輪を狭めてくる。
その姿に、村娘らしい少女が喉の奥で小さく悲鳴をあげた。
だがその前に立ちはだかるもうひとりの少女は、違う。
「――かかってくるか、卑劣で矮小なゴブリンどもよ。このヘドウィカ・デナーレ、
易々とおまえたちの好きにはさせんぞ」
小柄とはいえ武装したゴブリンの集団を前に、ヘドウィカと名乗った少女は、動じた様子すら見せなかった。
彼女が身につけているのは、全身をほどよく覆った金属鎧に、大型の盾。
右手には鉄の
それもそのはず。
彼女はデナーレ王国の王位継承権を持つ、正真正銘の姫君なのだ。
「イシャアッ!!」
しかしそんな少女の立ち居振る舞いなど気にも止めず、ゴブリンたちは一斉に飛びかかってくる。
その動きは意外に早く、ヘドウィカは後手に回っていた。口から舌とよだれを垂らし、ゴブリンは鎧の少女へと襲いかかる。
「その程度か!」
顔や鎧の隙間を狙ってくるゴブリンたちの刃を、ヘドウィカはわずかに体を動かして装甲で弾き、大型の盾で受け止める。
十匹近くいるゴブリンの中には、ヘドウィカを無視して、怯えた村娘を狙おうとする奴もいた。
だがそうしたゴブリンもヘドウィカは手にした大盾で弾き飛ばし、あるいは割り込んでその身で刃を受け、鉄壁の守りを見せる。
「“導きの星神”ハルーラよ、邪悪なる者に聖なる裁きを!」
そして、少女が手にしたメイスを掲げて神への祈りを捧げた直後。
彼女から無数の《
「ギギャッ!?」
五体のゴブリンが森の大地に転がり、そのうち三体は絶命していた。
無傷のゴブリンも無数にいたが、先ほどまでの勢いを急速に失い、まごまごしはじめる。
「さあ、次に神の威光を味わいたい者は前に出よ!」
ヘドウィカがそう叫ぶや、森の奥から大きな影がのっそりと姿を現した。
背丈は、少女の二倍はあるだろうか。筋骨隆々とした肉体を誇示し、手には人間では持ち上げられないような巨大な斧が握られている。
そしてなによりも特徴的なのは、その頭部だ。
牛――それも、大きな角を持つ雄牛の頭。その口許には、本来の牛ならあり得ない、残忍な笑みが浮かんでいる。
「ミノタウロス……っ」
ヘドウィカは、その姿に息を飲む。
蛮族の中でも、戦士種に分類される怪物。
雑兵であるゴブリンなどとは比較にならない、恐るべき化け物だ。
「――神の威光とやら、味わわせてもらいましょうか」
「!?」
しかもそいつは、人間の言葉をしゃべった。
本来知能が低いとされるミノタウロスには、あり得ない話だ。
「もっとも……粗末なものだったら、代わりにあなたを味わわせてもらうことになるけれど」
妙に丁寧な口調で、牛頭の怪物は言葉を紡ぐ。
しかしその内容は、下劣そのものだ。
「ならば、思う存分味わうがいい!」
ヘドウィカは再び神への祈りを捧げ、ミノタウロスめがけて《気弾》を放つ。
だが、その一撃は牛頭の怪物を直撃したものの、小揺るぎさせただけで、到底倒すまでは至らなかった。
牛頭の怪物はにやりと嗜虐的な笑みを浮かべ、右手を振り上げる。
「攻撃魔法の使い方がなってないわね。ちゃぁんと殺す気で撃たないと」
驚いたことに、ミノタウロスはそう告げると、空中に魔法文字を描き始めた。
それは、攻撃的な魔法が多く揃う、真語魔法を使うときの動作だ。
「ミノタウロスが、魔法を……!?」
「
軽やかな呪文の詠唱。
直後、ミノタウロスの指先から放たれたまばゆいマナの槍が、ヘドウィカの胸を貫く。
「くは……っ!?」
魔法の力は、鎧が持つ物理的な守りを無視し、彼女の肉体そのものを直撃する。
凄まじい衝撃と熱量が胸を焼き、少女の体を吹き飛ばした。
よたよたと後退し、なんとか踏みとどまる。
だが、まるで胸に大穴が空いたかのような痛みに、全身から脂汗が噴き出していた。
「へぇ……一撃で死なないなんて、なかなかじゃないの。これは、食べがいがありそうね」
ますます嗜虐的な笑みを浮かべ、牛頭の怪物は大きな斧を振り上げた。
「まずは足を切って逃げられないようにしようかしら。それとも両腕をもいだほうが楽しいかしらね?」
舌なめずりをしながら、巨漢の怪物は間合いを詰めてくる。
鉄壁の守りを誇るヘドウィカだったが、その巨大な斧の一撃を受ければ、無事ではすまない。
「おのれ……っ」
振り返れば、怯えきった少女が、全身を小刻みに震わせながら、ヘドウィカのことを見つめていた。彼女の命運も、この一戦にかかっているのだ。
だから、負けるわけにはいかない。
「やっぱり腕からにしましょう……両腕をなくして泣きながら逃げるあなたを追いかけるのって、すごくステキ」
ミノタウロスは愉悦の表情を浮かべ、大斧を振り下ろそうとした。
だがその瞬間。
いずこからか、素早い呪文の詠唱が響く。
「
銀色の輝きがミノタウロスの周囲を走り、瞬時に鋼線がその体へと巻きつく。
「ぬぐ……っ!?」
ヘドウィカへと歩み寄ろうとしていた巨漢の怪物は、全身にまとわりつく鋼線によって締め上げられ、その鋭い切れ味によって鮮血をしぶかせる。
「これは……《
動くたびに体に食い込む魔法の網を見て、ミノタウロスは忌々しげに吠えた。
そしてこれほど高度な魔法を用いる敵はどこにいるのかと、周囲を見回す。
「――そのお姫さんに死なれたら、俺の命も危ういんだ。いじめるのは、それぐらいにしてもらおうか」
どこから現れたのか。
ザリッと地面を踏みしめる音と共に、その男は怪物の前へと歩み出る。
使い古した外套をまとっているだけの、簡素な格好。
フードを目深に下ろしているため、表情や人相はわからない。
しかし防具の類いは一切身につけていないらしく、見上げるような体躯のミノタウロスを止められるようには見えなかった。
「魔術師の仲間がいたの……でも、この程度で止められなくてよ!」
まとわりつく鋼線が皮膚に食い込み、鮮血が噴き出すのも構わず、ミノタウロスは大斧を手に前進してくる。
「ゴブリンども! あの魔法使いを八つ裂きにしなさい!」
その命令に、戦いの成り行きを見守っていたゴブリンたちが、一斉に外套姿の男へと殺到してゆく。
「ゲヒッ」
群れなければ戦うこともできない矮小で脆弱なゴブリンだが、逆に自分たちより弱い相手をいたぶるのは大好きだ。
そして魔法使いは強敵だが、近づいて切りつければ反撃はおぼつかないはず――そう考えてか、嬉々としてゴブリンたちは飛びかかってゆく。
「なにか勘違いしてねぇか?」
しかし次の瞬間、男は外套を跳ね上げ、その腰から一振りの
わずかその一瞬の動作で、五体のゴブリンが血煙と化す。
「な……!?」
「目覚めたてで、装備がこれしかねぇんだよ。誤解させて、悪かったな」
男の手にある剣は、かなりの業物――しかも、魔力を帯びているのか、仄かに輝いていた。
だが、たとえその剣が優れた逸品だったとしても、一瞬でゴブリン五匹を斬り倒すことは容易ではない。
「魔法戦士……!?」
驚くべき剣の腕前。
そしてミノタウロスは、フードが落ち、外套がはだけた男の姿を見て、ぎょっとなる。
男の体からは、禍々しい瘴気が放たれており、その額には鋭く大きな角が一本、生えていた。
瘴気の中から赤く輝く眼光は、とても普通の人間のものとは思えないほどに鋭く ――その頬から首筋にかけて広がる痣は、邪悪な紋様を描き出している。
「そ、それは……蛮王の烙印!?」
驚愕する牛頭の怪物へと、男は素早く踏み込む。
「まさか、もう蘇っていたというの!?」
ミノタウロスは咄嗟に大斧を振るい、男を両断しようとした。
「エルヴィン!」
思わずヘドウィカがその名を叫ぶ。
だが瘴気を放つ男は易々と大斧の一撃をよけ、魔法の鋼糸に束縛された怪物の懐へと飛び込んでいた。
「貴様……ッ!?」
「遅い」
身を退こうとするミノタウロスの足を、男――エルヴィンは手にした魔剣で叩き斬る。
怪物は深手を負い、たまらず膝をついた。
だがそれでも反撃しようと、右手を突き出し、呪文の詠唱を開始する。
しかし。
「
「そ、そんな……ッ!?」
ミノタウロスよりも遙かに素早い速度で、エルヴィンは呪文を詠唱する。
そして、その左手を突き出した瞬間、それは完成していた。
「
まばゆい光と共に、その手から稲妻が放たれる。
それは至近距離からミノタウロスの体を貫き、さらにはその背後で逃げだそうとしていたゴブリンの群れも巻き込んだ。
「グガガガガガッ!?」
牛頭の怪物は全身を痙攣させ、その余波を受けたゴブリンたちは、瞬時に黒焦げとなって吹き飛ばされる。
「すごい……」
その凄まじい威力を前に、ヘドウィカは茫然とつぶやいていた。
あれほど苦戦した相手が、あっさりと無力化される様を目の当たりにして、もはやその程度の言葉しか出てこない。
「ゲ、ガ…………ッ」
しかしミノタウロスも、多くの蛮族を束ねる強者としての矜持があるのだろうか。易々と息絶えようとはしなかった。
大斧を杖にしてどうにか倒れることを拒否し、焼け爛れた顔で瘴気をまとう男を睨みつける。
「まさか……これほどだなんて……」
荒い息を吐きつつ、巨漢の怪物はつぶやく。
「さすがは“破界の魔王”と呼ばれただけのことはあるけれど……でも、所詮私は先遣隊。私を倒したところで、本隊が到着したら、あなたでもひとたまりもないわ……すぐに、私の後を追うことになるでしょうね……」
ミノタウロスは、ぜいぜいと荒い息を吐きつつ、それでも残忍な笑みを浮かべる。
だがそれを見ていたエルヴィンは、小さく首を傾げていた。
「本隊ってぇのは、ダークトロールの部隊のことか? それなら、さっき壊滅させてきたぜ」
「な…………っ」
こともなげに告げる男の言葉に、ミノタウロスの表情が驚愕に変わる。
「というわけだから、安心して死ね」
そしてその表情のまま、牛頭はその体から斬り離され、宙を舞った。
「大丈夫かよ、お姫さん」
何事もなかったかのように、エルヴィンはヘドウィカを振り返る。
「わ、わたしは大丈夫だ」
「ったく……逃げ遅れた村人を助けに行くのはいいが、一声かけてからにしてくれ。急にいなくなられたら、驚くだろ」
「う……っ」
瘴気に身を包み、禍々しい紋様を刻まれた顔で、エルヴィンは実にまっとうなことを言い放つ。
そのため、ヘドウィカは思わず言葉を失っていた。
「だが、あんたもその子も無事で、よかったよ」
そう言って、エルヴィンはへたり込んでいる少女に手をさしのべる。
だが、極限の恐怖に震えていた村娘は、エルヴィンの凶相に、ついに精神が限界に達したのか。その場でふらりと気絶してしまった。
「あ……」
その様子に傷ついたような表情を浮かべるエルヴィンを見て、ヘドウィカは思わず「ぶふっ」と噴き出してしまう。
「ふふ……あはははは! さすが“破界の魔王”! 村娘には刺激が強すぎたな!」
「くそっ。記憶が曖昧なのをいいことに好き放題言いやがって……」
エルヴィンは剣を一振りして血払いし、鞘に収めると、気絶してしまった少女を肩に担ぐ。
「俺は魔王とか蛮王とか呼ばれる記憶も自覚はねぇんだ! さっさとこんな旅終わらせて、おまえとの詐欺みたいな《
「それは実に頼もしい」
悪びれることもなく、ヘドウィカは不敵な笑みで頷く。
「――お嬢様、ご無事ですか!?」
そんなとき、もうひとりの仲間である側仕えの娘の声が、聞こえてくる。
「ほら、ハンナもご立腹だ。おまえもちょっとは叱られやがれ」
「ふ、ふん。ハンナはわたしには甘いからな。叱られなどせんわ」
などと言いつつも、姫君の表情は少し引きつっている。
「さて……もう一部隊、潰しておくかな」
近寄ってくる仲間の気配を横目に、エルヴィンは空を見上げる。
これまでの血生臭い戦いなどなかったかのように、木々の隙間から広がる空は、青く澄んでいた。
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