桜花一片に願いを

増田朋美

桜花一片に願いを

櫻花一片に願いを

今西由紀子が勤務する吉原駅の近隣に桜の大木があった。此木を誰が所有しているかは全くの不詳であったが、毎年毎年、美しい花を咲かせてくれるというので人気があった。その木を眺めて毎日通勤するという点で、由紀子は毎年幸せを感じていた。

今年も例年のように桜の木は、花をつける準備を始めた。また今年も例年のように花を咲かせてくれるんだな、何て由紀子は考えていた。

でも、今年は何時までも寒い日が続いた。春何て、まだまだ先では?と思われるくらい、寒い日が続いてしまった。三月になっても、とにかく寒くって、春はどこに行ってしまったんだ?何ていう言葉が、日常生活の中を飛び交っていた。

由紀子は、その日も製鉄所に行った。とにかく、駅員のしごとがないときは、製鉄所に行くのが彼女の日課となっている。そこへ行けば、一番会いたいと感じている人物に会えるのだ。と由紀子は、いつも喜んでいた。

大体その人は、製鉄所の四畳半でいつも眠っていた。薬の成分のおかげで、昼夜かまわず眠っていた。

それを見てみると、由紀子はどうしてもじれったくなってしまう。薬というのはどうして眠らせてしまうのだろう。眠らないでずっと話をしてくれればいいのになあ。なんで眠らせるという、悪い作用があるんだろうかなあ。

その日、由紀子が何の迷いもなく製鉄所に直行すると、製鉄所は異様な雰囲気になってしまっていた。

「なんだ、由紀子さんか。また来たの?」

思いをよせている、人物の世話役としてやってきている、影山杉三こと杉ちゃんが、彼女を迎え入れた。

「あの、すみません、水穂さんいますか?」

由紀子は、その言葉にちょっとムッとして、すぎちゃん、一寸入らせてもらえないかと言った。杉三はちょっと、難しそうな顔をして、こう答えた。

「入るのはいいが、本人が疲れてしまうかもしれないので、あんまり長居はしないでくれよ。」

え、まさか。と、由紀子は思った。そのまま暫く黙ってしまう。

「まあ、そういうこっちゃ。このままだと後ちょっとしか持たないってさ。」

杉三の話は、本人はにこやかにしゃべっていたが、結構残酷な話であることは疑いなかった。

「それで、今水穂さんはどうしているんですか?」

「天童先生と一緒。」

由紀子が聞くと、杉三は悪びれずに答えを出した。一体なんで天童先生がいるんだろうと、由紀子は思ったが、答えはすぐにわかる。

「それでは、天童先生を呼び出したの?」

「おう、痰取り機に頼ってばかりでは、嫌だって、みんながいうもんでな。」

「とにかく中へ入らせてもらえないでしょうか?」

由紀子は、もう一回言った。

「いいよ、ただ、あんまり負担はかけないでやってくれよな。其れだけは、頼んだぜ。」

もう一回杉ちゃんに言われて、由紀子はちょっとまたムキになって、うるさいなと思いながら、建物の中に入った。

一方、四畳半では。

「はいはい、落ち着いてね。先ずは落ち着いてゆっくり息を吸ってから咳き込んでみてね。」

天童先生がそう言っている。天童先生は、咳き込んでいる水穂さんの背をなでてやりながら、優しい声で、そういっていた。その言い方は、どこかのこもりさんのようだ。もうちょっとだからね、なんて言いながら、単に手で背中をなでてやっているだけの様に見えるのだが、そこにすごいハンドパワーなるものがあることを由紀子は知っていた。どうしてあたしには、そんなパワーもなにもないんだろう。そういうことができるのなら、あたしだって、水穂さんのことを癒してあげられる筈なのにな。

不意に三度、強く咳き込む音がする。

「よし、うまくいった。」

と、天童先生は、いう。同時に先生が、水穂の口元に当てていた布が、真っ赤に染まった。これがうまくいったということになるのか。

「水穂さん大丈夫?苦しい?」

思わずそう聞いてしまう由紀子。だか返答はなかった。天童先生がそっと水穂の体を布団に寝かせてやった。やっと眠ってくれたと、先生が、静かに言ったことを考えると、かなり落ち着かせるのに、苦労したようである。

「あの、水穂さんは、」

由紀子が天童先生に聞くと、

「たいへんだったのよ。」

と一言返ってきた。

もうねえ、大変なところが多すぎて、こっちにいるのは大変なのかな?なんて天童先生は、謎めいた発言をした。つまりだよ、天童先生。もうこっちにいることは無理だという事を示しているんだろうか。

「まって、そんなことしてほしくない!」

こっちで生きてほしい、とまで言いたかったけれど、天童先生の表情が、もうそういうことは無理なのよ、という事を、示していた。でも、それを口に出していうことは、由紀子はどうしてもいやで、思わず天童先生を、憎々しげに見つめてしまった。

「どう?」

不意に台所から、杉三が戻ってきて、どうかな?という顔で、天童先生のほうを見る。

「うまく行ったけど、相当体力がなくなっちゃったのかしらね。もう体中が疲れ切ってしまっているみたいね。」

水穂は、天童先生がそう語っている傍らで眠っていた。

「そうか、やっぱり駄目か。」

杉三がそういっている。由紀子は、こんなやり取りをしている二人に対して、よく平気な顔をしていられるな!というか、なぜ笑っていられるのか、とか、本当に二人が憎たらしく見えてしまうのだった。嫉妬であった。

こうなると、もう水穂さんには、桜を見ることはもうできないだろうか。あそこまで弱ってしまったら、もう無理なものは無理か何て、由紀子は大変悲しみながら、その場にいた。

其れなら何とかしなきゃ。と、由紀子は思った。何とかして水穂さんに桜の花をみせてやらなくちゃ。今年は、例年以上に寒く、花がちっとも咲かないので、それではいけない!と何回も頭の中で、考え続けた。すぐに、桜の花を見せてやりたいという気に駆られて、由紀子はあることを思いつく。

もうこうなったら、季節はずれでいいじゃない!なんとしてでも桜の花をみさせてやらなければ。よし、ようし、もうこうしなければだめだ!

由紀子は、とりあえず形式的な挨拶をして製鉄所を後にし、そのままある有名な造形作家の下を訪ねた。名前を沢井和代さんというその人は、とても広い家に住んでいて、由紀子にはとても考えつかないほどであった。巷ではかなり有名な人で、富士市の市立博物館などで、講座もやっていると、由紀子は知っていた。

「こんにちは。」

由紀子はがインターフォンを押すと、お付きの家政婦さんが出た。

「はい、何でしょうか。」

「すみません、一寸お願いがあるんですが。」

由紀子は一度頭を下げて、そうお願いした。

「あの、今西由紀子というものですが、沢井先生はいらっしゃいますでしょうか?」

「ちょっとお待ちくださいね。」

由紀子は、家政婦さんに言われて、とりあえず中に入らせてもらった。

「どうぞ、こちらに入ってください。」

由紀子は、家政婦さんに言われて、とりあえず家に入った。家の中にはいろんな花が置かれているのだが、どれもみな作り物である。しかし、一見すると、人間が作った花であるとはわからない。それくらい、精巧に作られているのだ。材料は、革の花であると聞いたが、そのようにはどうしても見えなかった。革であるようにはまったく見えないのが不思議だった。

「先生、お客様です。今西由紀子さんとおっしゃる方で。」

「あら、新しく教室の入会希望者かしら?」

と、沢井和代は応対した。由紀子が、なぜか駅員の恰好をして、駅員帽をしっかりかぶっているのには、ちょっと変なような気がした。それより、由紀子を見てその年かっこうから、一体何を習いたいのだろうかと思った。自分の教室へ来るのは、大体中年以上の女性ばかりである。其れなのになんであんなに若い女性が、こんな教室に来たんだろうか。結婚式のブーケでも、作るつもりなのかしら。

「いえ、教室ではありません。あたしは、すぐに作ってほしい花があるんです。ここはどんな花を作っていただけるのでしょうか。」

率直な質問だが、あまりにも、造花のことについて知らなすぎるというか、なんというか、沢井和代は、あきれた顔をして、由紀子を見た。

「お願いします、先生。教えていただきたいことがあるんです。革の花で、桜というものは作れますか?」

由紀子は、もう一度質問を変えて、根詰めて和代にお願いした。

「桜なんてすぐに作れるわよ、革の花も単純なものから複雑なものまでいろいろあるけど、花の形が難しくなかったら、すぐにできるわ。」

和代はとりあえずの返答をすると、由紀子は大喜びした顔で言った。

「それでは、すぐに桜の花を作ってください。桜の枝を折ってきたような、そんな造花を作ってください。あたしが、近くの桜の木の枝を折ってきたような様に見せかけたいんです。お願いします!」

由紀子が、一生懸命そういうのをみて、何かわけがあるのだろうと、和代も考えついた。

「わかったわ。でも、革の花だから、すぐに本物ではないとばれてしまうと思うけど、それでもいい?」

「ええ、もうそんなことはどうでもいいんです。できるだけ本物に近づけて作ってください。あ、いや、そうじゃなくて、できるだけ本物の染井吉野に近づける様に作ってください。どうしても、染井吉野でないとダメなんです。ほら、この近くの公園には、染井吉野なんて植えられていないじゃありませんか!」

たしかに、バラ公園の桜は、山桜ばかりであることは、確かだった。

「しかし、どうしてそんなに染井吉野にこだわるんですか?」

和代は、その部分が気になって、由紀子に問いかけてみた。

「あ、いえ、他意はありません。それは単にあたしのこだわりなだけです。単に山桜とか、カスミザクラのような、そういう野性味の強い桜よりも、よくある一般的な桜といえばそれじゃありませんか。」

と、いうのが理由であるならば、どうもこだわりすぎている。そこをなぜ由紀子さんは一生懸命主張するのだろう?その部分が、和代は不思議だった。

「お願いです。あたしのお願いを聞いてくれませんか!改めてもう一回言いますけれど、染井吉野を一枝折ったような、そんな感じの桜の枝を作ってほしいんです。お願いします!」

高名な造形作家の沢井和代に、自分のようなものがのこのこ頼みにやってくるというのは、やっぱり無理だったのだろうかと由紀子は思いながら、もう一度お願いした。

「わかりました。一本お願い通りに作ってみますよ。」

「ありがとうございます。じゃあ、金額はいくらくらいに、、、。」

由紀子がそう聞くと、

「そうね、材料費合わせて五、六万程度でどうかしら?」

「あ、、、。」

そうか、そんなにかかるのか。そんなに必要だったのか。あたしはそれを忘れていた。

「それではやっぱり無理ね。」

和代はそう言い放ったが、由紀子の目に涙が浮かんでいるのを見て黙った。

「あの、お願いです、お金はちゃんと払いますから、その前に品物だけ作っていただけないでしょうか。」

と、由紀子はあきらめがつかないらしく、もう一度食って掛かるように言った。

「今西さん、一体桜の花なんか作ってどうするつもりですか。」

由紀子は、どうしても水穂さんのことについて、発言することはできなかった。もし、同和地区からきた人間にプレゼントするなんて言ったら、すぐに断られてしまうことは明確であったからだ。それははっきりしている。誰に頼むときも、これは回避できない問題である。

「誰かにプレゼントでもするの?」

由紀子はそれだけ頷いた。

「は、はい。誕生日のプレゼントに、、、。」

と、とりあえずそれだけ答えを出したが、まだ不鮮明なところがあった。でも、何か特別な人に、花をあげたいと思っていることは、和代にもわかった。もしかしたら、と思われる部分もあり、和代は、それを受け取ることにした。

「まあ、いきなり現れて、桜をつくってというから、何だろうとおもっただけよ。でも、一生懸命お願いしているようだし、引き受けることにするわ。」

和代はしずかに笑みを浮かべた。

「じゃあ、三日後に取りに来て頂戴。支払いは、その時に相談すればいいから。」

「ありがとうございます!」

和代は取りあえず、にこやかにわらって、由紀子を外へ出した。由紀子は、やった!という顔をして、喜び勇んで和代の家を出て行った。

とりあえず、仕事場へ行き、テーブルに置いてあった牛の革を取り、桜の花を形作った。桜は簡素な花なので、すぐに作ることはできた。そして、針金を用いて枝を作り、茶色のビニールテープを巻き付ける。これで枝は完成であり、それに革で作った小さな花をたくさん接着剤でつけていく。それを繰り返すだけの簡単な作業。和代は、三日どころか、一日程度でそれを完成させてしまった。ソメイヨシノ。

そうこうしているうちに、生徒さんたちもやってきて、また和代の一日も始まるのだった。

生徒さんには、自分のことをしゃべらせるのは、絶対にさせないようにしている。その代わり和代は大作ばかり作って、その良さだけで決めようとしていた。それ以外自分の生きていく道は無いから。

そういう分けで、自分が、こんな小さな桜の木の枝を作らされるというのは、たまらなく苦痛だった。こんなちいさな仕事なんかしていたら、また貧乏たれと言われてしまうのでは無いかと思った。

三日後。

由紀子は、言われた通り、花を取りにやってきた。

「ごめんなさい、お金がたまらなくて。無理なお願いであることは知っています。でも、どうしても相手に見せたいので、先に作品をもっていかせて下さい!」

由紀子は、一生懸命そういった。

「由紀子さん、あなた一体どういうつもりなのかしら?」

「はい。本当に申し訳ないことをしてしまっていることは知っています。いくらたたかれても構いませんから、今日、もっていかせてください!」

「はあ、いったいどういう理由で?それとも、誕生日がもう過ぎてしまったとか?」

「あ、あ、あ、ああそうなんです。実は今日なんですよ。」

由紀子はそう答えたが、その発言の仕方は、どうも不自然でならなかったのであった。

「そう。それじゃあ、早く行った方がいいわね。でも、こういうことは、もうしないでもらえないかしら?どこか公共のモニュメントとか、そういう所しか私、お受けしていないのよ。その私が、こういう個人的なお願いに応えたとなれば、私の顔に泥を塗ることになるのよ。」

和代は、思わず本音を漏らして、由紀子に言った。

「ごめんなさい。それは十分わかっております。でも、私は、お願いしたかったんです。お金がたまったらもう一回来ますから、その時によろしくお願いします!」

「変な人ね。まあ、とりあえず、桜の枝は持って行って頂戴。それは、もうできているから。」

「ありがとうございます!」

由紀子は、テーブルの上においてあった。桜の枝を取って、一目散に製鉄所に向かってはしっていった。

その数日後。由紀子はまた、製鉄所を訪れた。あの時、公園の桜を折ってきたのだと言って、水穂さんの布団の枕元に置いてやった。作りものかどうかなんて、水穂さんは、何も言わなかったが、返ってそのほうがよかったのではないかと由紀子は思った。もしかしたら、偽物だとすでにばれてしまっていても、水穂さんに桜をみせてやることは、成功したのだから。私は、その偽物の桜花一片に願いを込めて!

利用者に話を聞いてみたところ、もう立つことも苦しそうだと、言っていた。由紀子は、猪突猛進に、四畳半へ向かって行った。利用者が、向こうで注意事項を言っているのも、気が付かなかった。

「水穂さんは眠っているのかな?」

そうといかけても、反応がないという事は、多分そういう事なんだろうと思った。

かといって、起こしてしまう分けにもいかず、どうしようかと迷っていると、水穂さんの目が開いた。これは丁度いいチャンスと由紀子は思った。

「水穂さん。」

あえて具合はどうか何て聞きたくもない。そんなこと今更、口に出して言われても意味がない。

「由紀子さん、あの桜ね、本当に公園の桜を折ってきたんですか。」

由紀子は、水穂さんにこんなことをいわれた。

「ええ、なんで?」

「違うでしょう。誰かに作ってもらったんでしょう?僕、いくら出せばいいんですか。ものすごい精巧に作ってあるから、これかなり高かったのではないですか?」

由紀子は、もう泣きたくて泣きたくて、顔を拭きながら、それを聞いていた。

「どうしてわかっちゃうの?」

「単に香りがなくて、代わりに革の香りだったからですよ。僕、わかるんですよね。子どものころ、革工芸で身を立てている人は、ほんとうによくいましたから。革の匂いってすぐにわかるんですよ。」

ああそうか、それか!それは絶対してはならないことであったのに。なんであたしはそれを平気でしてしまったんだろう。水穂さんんは絶対出身階級を感じさせることはしてはいけないと思っていたのに。なんでそれを、今やってしまったんだろう。

もう何も思いつかなくて、由紀子は、声を上げて泣くしかできなかった。

と、同時に。

「今西さん、こっちまで追いかけてきてしまって、申し訳ないのだけれど。」

利用者に連れられて、沢井和代が入ってきた。

「さ、沢井先生。」

由紀子は、思わず言った。なぜ、こちらがわかったのだろうか。

「ごめんなさい。あなたがなぜ、あれだけ桜の花を欲しがったのか、どうしても知りたくて、あなたのことを調べていたのよ。そこであなたが、ここに足しげく通っていることがわかったから。」

そんなこと、まるで、気が付かなかった、それを調べていたのか。

「どうしても気になったの。私、公共のモニュメントしか制作しないっていったでしょ。其れなのに、あなたがこうして、やってきたから。」

「たぶん、由紀子さんは、僕に桜の花を見せるために、先生にお願いしたのではないでしょうか。」

そういいかけて、水穂は、少しばかり咳き込んでしまった。

「そうね。あなた、前に見かけたことがあるわ。」

和代は、それを正直に言った。確かにこの人物は、和代も見かけたことのある人物である。

「あなた、あなたはもう忘れていると思うけど、私、覚えてるのよ。あなたが、立ち入り禁止の区域から出てきて、学校に通っていたこと。そして、あなたが富士駅で、神風特攻隊を見送るかの様に、区域

の人たちに見送ってもらって。」

「そうだったんですか。」

水穂は静かに答えた。

「それではいけないというわけではないけど、あなたはいろんな人から支援してもらったのね。もちろん、合法的なものじゃないでしょうけど。でもそれに対して、あなたは何も、答えようとはしないのね。ただ、自分は不幸だという、境遇に甘んじて、それだけでいる。あたしは、そうならないって、何回も思ったの。それを超えて、普通の人以上になってやるって、心に決めたわ。それは、あなたが、ピアニストとして、成功することができたから!」

和代は、水穂言い方が頭にきたようで、一寸語勢を強くしてそういった。

「でも、あなたは、あなたのしていることは、裏切りよ。あのような、いろんな人から支援してもらって、東京まで行かせてもらって、ピアニストとしても成功して、それだけの能力があったのに、今は、それを全部捨てるような真似をなぜ、しているのよ!」

「先生、もういいですから、あたしは、十分わかりました。」

由紀子はそういって、もう言うのをやめてもらうように促した。

「もう大丈夫です。あたしは、もうわかりましたから。」

「わかってなんかいないわよ。あたしは、こういう人が一番嫌いなの。人に頼って、さんざんよくしておきながら、答えようとしない人が一番嫌い。どうしてそんなに、平気なままでいられるのかしらね。」

由紀子がそういうと、和代は、由紀子を擁護するようにいった。

「あなた、本当に何もわかってないんですね。由紀子さんが、私のところにきて、こんなものを私に作らせて、プレゼントしたいほんとうの理由をちゃんと知っているが、それが何も言えないで我慢しているというところが、本当にもう、腹が立って腹が立って、どうしようもないのよ!どうして、そういう思いに気が付かなかったのよ!」

「ご、ごめんなさい。」

水穂は静かに謝罪した。

「謝って済む問題じゃないわ!彼女が、どれだけあなたのことを、思っているのか、ちゃんと考えて

あげてよ!」

「ごめんなさい。」

というだけでは、解決にはならないことは知っている。

「沢井先生のいう事は、まちがいではないのですが、あたしは、水穂さんに謝罪を求めるということはしません。そんなこと、必要ありません。水穂さんは、そのあたり、もう十分わかっていると思うんです。」

「いいえ、謝ってもらわないと!由紀子さんがなぜ、私の所を訪ねてきて、なぜ偽物の桜の枝を作らせて、それをあなたのところへもっていったのか。それを理解して謝ってよ!由紀子さんは水穂さんに、良くなってもらいたくて、それで私に作らせたのよ!」

和代は、静かに言ったつもりであったが、結構な荒々しい言い方になってしまった。どうして、この人に、由紀子さんの気持ちを伝えてやったのに、なんで何も伝わらないのだろうか。

「水穂さん、本当に謝ってよ!何か言って御上げなさいよ!由紀子さんの気持ちを考えてあげてよ!」

和代は、なぜ彼女を擁護してしまうのか自分ではわからなかったけれど、どうしても怒りがこみあげてきて、激しい口調で話しかけた。

「あたしは、すきな人はいたけれど、すきになってはいけない人ばかりだったのよ!そしてあたし自身が、すきになることは絶対に許されなかった!そんなことが平気でできてしまうなんて、憎らしいにも、ほどがあるわ!」

そうか。沢井先生も、そういう事情があったんだ。

由紀子は、初めて知った。

「ほら、この人に何かいって御上げなさい。あなたの気持ちとか、思いとか、そういうことをいってやりなさい。もっと怒ってしまってもいいと思う。そうしてやりなさい!」

「いえ、彼も事情を抱えてますから、それはしかたないことです。」

由紀子は、仕方ないとそういう。由紀子には、どうしても水穂さんが、抱えている事情を話すことはできなかった。水穂さんが、どうしても可哀そうでならないから、というより、愛しているから。

「由紀子さんは、どうして何も言わないのかしら。あたし、それがじれったくて!」

和代は、そこを強調して、もう一回それをいうのだが、水穂さんもせき込んで、中身を出しているのを見ると、

「ごめんなさい。ちょっと言いすぎたわ。」

と、あらためて、頭を下げた。

「大変だったのね。あなたも苦労して。」

すぐに、由紀子は、水穂さんの背をたたいたりさすったりして、喀出を促してやっている。その彼女のしぐさとか、和代は本当にじれったかった。ある意味、自分にはできないことを成し遂げた水穂を、心から憎んだ。

「いえ、僕は大したことありません。すべて悪いのは、自分です。僕たちは、何をしたとしても、自分のせいとして生きていかなくちゃならないんです。」

水穂さんはそういうだけの事であった。

やっぱりこの人も自分と同じ事情を持っていると、考えながら、

「あたしは、大丈夫。もう、この桜の枝についての代金はいただきません。どうか、一日でも長く生きていただけますよう、あたしも、その桜花一片に願いを込めます。」

和代は、静かに言った。

「水穂さん、体を大事にしてね。そして、由紀子さんの気持ちに少しでも、答えてやれるようにしてやってください。」

和代は、自分にはできなかったことを、水穂さんが成し遂げてしまったことについて、少しばかり嫉妬した気持ちもあったが、いつのまにか、別の気持ちに変わってしまったような気がする。

和代は、料金をいただかないで、そのまま自宅に帰ってしまった。半分

呆れたようなところもあった。製鉄所を出て歩いた。由紀子と水穂さんは、今頃幸せにやっているだろうかと思いながら、、、。

あの例の桜の木は、まだ花をつけていない。この寒さでは、まだ花をつけておくという気になれ無いのだろう。もしかしたら、花をつけるのは永久にあとになってしまうかもしれない。由紀子は、あの桜の

枝を作ってもらって、今よかったと思っている。だってあたしは、それをしてやることができたのだから。もう二度と桜を見ることができない水穂さんのために、あたしは、行動を起こすことができたのだから。それは、ハンドパワーに頼っている天童先生とは、また違う。それは、あたしの、あたしだけが持てる、唯一の感情なのかもしれなかった。

駅の周りに暖かい南の風が吹いてくる時期なのだが、今年はまだ、それが来そうにない。

その寒い中、偽物の桜の木は、見事な花をつけているのだった。



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桜花一片に願いを 増田朋美 @masubuchi4996

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