名探偵 vs 幽霊

てこ/ひかり

新米探偵・岬岐ちゃん躍動!

「幽霊よ! やっぱりこの屋敷には、幽霊が出るんだわ!」

 一〇五号室に転がった死体を前に、一人の女性が金切り声を上げてその場に崩れ落ちた。悲鳴を聞きつけて集まった数名の客たちは、皆一斉に静まり返り、部屋の中の凄惨な様子を食い入るような目で見つめていた。


 事の発端は、老舗旅館で数年前に起きたとある殺人事件だった。

 二年前は、誰も手の届かない天井にぶら下げられ、『空中浮遊』した鳶職の死体。

 昨年は、皆の見守る前でお祓いしていた寺の和尚が、突然『自然発火』して焼死。 

 そして今夜。『密室』の一〇五号室で発見されたのは、数年前に行方不明になっていた女将だった。


 およそ常識では考えられない出来事の連続に、旅館に宿泊していた誰もが戦慄した。一体犯人は誰なのか。誰を、どんな目的で被害者を狙っているのか。そもそも犯人はこの中にいるのか。情報が錯綜する中、そのうち誰かが、この不可解な殺戮を前にポツリとこんな言葉を零した。


『一連の殺人事件は、幽霊のせいに違いない』……と。


 そんな言葉が、実しやかに囁かれるようになった。何せ警察が躍起になって捜査しても、犯人が捕まるどころか、一体どんな手口で死体を『展覧』しているのかさえ分からない……といった状況なのだ。


「幽霊の仕業に決まってるわ! じゃなきゃこんな事できっこないわよ!!」

 一〇五号室に、ヒステリックな叫び声が木霊した。その場に集まった客たちが息を飲む中、一人胸を高鳴らせている者がいた。

 探偵である。

 新米少女探偵・嵯峨峰岬岐さがみねみさきは、ダメだと分かっていつつも、心がトキめいてしまうのを抑えられなかった。

(これは、幽霊の仕業なんかじゃない。きっと誰かがやったんだわ。私たちには分からないように、巧妙なトリックを使って……!)

 岬岐はおじいちゃんから孫の日に買ってもらった、お気に入りのデニムのキャスケット帽を深く被り直した。岬岐にとっては、これこそ待ちに待ったシュチュエーションだった。有り得ない状況、有り得ない出来事。常人には説明不可能な状況を科学的に解き明かしてこそ、テレビや推理小説で見た一流の探偵に近づける……そんな気がしていたのだ。もちろん殺人など起こらないよう、厳重に警戒はしていたのだが……。


(見ててね……おじいちゃん)

 岬岐のおじいちゃんは庭師だった。名探偵の家系でも何でもなかったので、誰かに名にかけることなどできなかったが、それでも自分を可愛がってくれたおじいちゃんのことを思い浮かべた。(落ち着いて。”何事も、決めつけてかかってはいけない”わ)

 人々の悲鳴が交錯する中、岬岐は心の中で、おじいちゃんの口癖を自分に言い聞かせた。一見不可解極まりないこの幽霊騒ぎにも、きっとどこかに正体があるのだ。

(まずはそれを探らなくっちゃ!)

 それから岬岐は一人小さな体を翻し、暗がりの廊下に向かって小走りで駆けて行った。

□□□


「確か……昼間来た時この辺に……」

 殺人現場が集まった野次馬と警官たちで溢れる中、少女探偵は一人旅館の裏側に位置するほとりを歩いていた。冷たい夜の北風が緑色に濁った池を波立たせ、水面みなもに映った満月を小刻みに揺らして行く。気温以上の寒さに小さな体を震わせながら、岬岐はスマホの懐中電灯アプリを片手に藪を掻き分けて進んだ。

「あった……!」

 宛てもなくふらふらと彷徨っていた懐中電灯の光が、とうとう闇の向こうにそそり立つ影を捉える。明らかに人工的にカッティングされたその石は、岬岐が探していたもの……石碑だった。少女はジーパンの裾が泥だらけになるのも御構い無しに、急いで石碑へと近づいて行った。

「やっぱり。名前は削れちゃって読めないけど……【ノ墓】って書いてある」

 岬岐の腰の辺りほどの高さの、小ぶりな石碑に掘られた文字を照らし、岬岐が懸命に目を細めた。

「【一九五六年没】……相当昔ね。ここで誰かが亡くなったんだわ。幽霊騒ぎの出所は、ここだったんだ」

 岬岐が納得したように顔を上げた、その時だった。


「しく……しく……」

「!」

 不意に石碑のすぐ近くから、誰かのすすり泣く声が聞こえて来て、岬岐は全身を飛び上がらせた。

「だ……だれ!?」

「しく……しく……」

 少女は慌てて辺りを見渡した。誰か……岬岐と同い年か、あるいは年下のような泣き声は……風に乗ってそそり立つ石碑の裏側から聞こえて来た。

「誰かそこにいるの!?」

「しく……しく……。ぐすん」

 返事はなかった。代わりに、先ほどより泣き声が少し強めに聞こえてきた。岬岐は一瞬躊躇った後、ゴクリと唾を飲み込んで、恐る恐る石碑の裏に首を伸ばした。


「ひっ……!?」

「きゃあっ!?」

 突然悲鳴が上がり、岬岐は驚いてその場に尻餅をついた。

 石碑の裏にいたのは……真っ白な浴衣のようなものを着て、頭に三角の頭巾をかぶった、青白い顔の少女だった。岬岐は目を丸くした。少女は日本人形のように長く伸びきった髪の毛を地面に垂らし、項垂れたままおいおいと涙を零していた。

「あいたたた……。あなたはだれ?」

「え? 私?」

 岬岐の言葉に、黒髪の少女が少し驚いたようにその大きな瞳をパチパチさせた。

「あなた……私が見えるんですか?」

「見えるって、どう言うこと? 失礼ですが、あなたここで何してるんですか?」

 岬岐が起き上がり泥を払った。懐中電灯に照らされた白装束の少女は、眩しそうに目を細めた。

「あ……ごめんなさい」

「あなたこそ……一体どなた? こんなとこで何をなさっているんですか?」

 ライトの光が消えると、彼女は物珍しそうな目で岬岐を覗き込んだ。

「私? 私は嵯峨峰岬岐。こう見えても”探偵”なんです」

「まぁ。探偵さん?」

 岬岐が胸を張り、少女が口元に手をやって目を丸くした。岬岐はなんだか”決め台詞”が決まったような気がして、少し得意げになって鼻の下を擦った。


「そう。実は私、この旅館で起きた殺人事件を調査してるんです。この旅館を呪っているって言う幽霊について、あなた何か知りませんか?」

「呪……」

 岬岐が胸ポケットから革の手帳を取り出した。少女は何故か傷ついたかのように、暗闇の中で顔を曇らせた。

「別に私は……呪いなんて、決してそんなつもりじゃあ……」

「あなた、お名前は? 職業と、差し支えなければ年齢も」

「え? えーっと……」

 俯いた少女の呟きは、だが新米探偵の耳には届かなかった。岬岐は万年筆を舌先でペロリと舐め、彼女に何とか”探偵らしい”ところを見せようと、張り切って聞き込みを始めた。


「私は……”おりょう”って言います。仕事は、この旅館で昔女将をしてて……」

「まぁ! 旅館の関係者だったんですね!」

 岬岐が色めき立って大声を出した。

「ちょっと待ってくれません? 今メモしますから……」

 ペン先が走り、真っ白なメモ帳に『おりょう』、『女将/昔』と文字が書かれた。その頁の脇にウサギのイラストが落書きされているのを横目で見ながら、おりょうが真面目な顔で頷いた。

「ええ。えーっと、年齢は……忘れちゃったわ。もう大昔のことだから」

「そう、女性に年齢を聞くのは失礼ですよね。えぇ……えぇ。それで、おりょうさんは今の幽霊騒ぎについて、どう思っていますか?」

「どうって?」

「例えば、幽霊って本当にいると思いますか?」

「えーっと……」


 おりょうが少し困った顔をして岬岐を見つめた。岬岐はそれに気がつかずに、『おりょう』と『女将/昔』の文字を吹き出しで囲んで、あたかもウサギが喋ってるように線を引いていた。

「あなたは……どう思いますか?」

「私ですか?」

 おずおずと口を開いたおりょうの言葉に、岬岐はきょとんと首をかしげた。

「私は、正直分かりません。だって幽霊なんて、今まで一度も見たことがないもの。目の前に現れでもしてくれたら、そりゃ、少しは信じますけど」 

「そう……」

 おりょうは小さくため息をつき、それから遠くを見るような目で空を見上げた。岬岐も釣られて夜空を見上げた。いつの間にか風は止んでいた。夜空には満天の星が輝き、その中心にぽっかりと浮かぶ満月が、茂みの奥に座り込む二人を煌々と照らしていた。岬岐が口を開いた。


「まず最初の事件ですが……三年前、鳶職の男性が天井に宙吊りにされた事件について、何か知っていますか?」

「あれは、幽霊が運んだの。あの男の人、幽霊の姿を見た瞬間驚いてぽっくり逝っちゃって……。床に降ろそうとしていたところを、旅館の人に目撃されちゃったから仕方なく……」

「ええ、みんな『空中浮遊』だとか噂してますよね」

 岬岐が頷いた。

「次に起きたのは、旅館近くの寺の和尚が、念仏中に『自然発火』した事件」

「事故だったのよ。和尚は元々霊感の強い人で、幽霊のことも前からずっと見えていたの。あの日も私がそばにいてお手伝いしてたんだけれど……お祓いの念仏を聞いているうちに、急に眠くなっちゃって。ついうっかり足を滑らせて……それで蝋燭が和尚の頭の上に」

「確かに和尚は死ぬ直前まで、自分には幽霊が見えると言い張っていましたね。何か確証があったのでしょうか……最後に、今日起きた『密室殺人』」

「あれも幽霊の仕業よ。可哀想に彼女、旅館の幽霊騒ぎのせいで客足が途絶えて、それを苦に……。人目のつかない山奥でひっそり死んでいたのだけれど、それじゃあんまりだから、この間やっと死体を見つけて幽霊が運んできたのよ。誰にも弔ってもらえないんじゃ、可哀想でしょう?」

 おりょうが憂いを帯びた目に一杯涙を浮かべた。


「やっぱり幽霊なんて、いるべきじゃなかったんだわ。幽霊のせいで……大勢の人に迷惑をかけてしまった。最初はただ、この旅館の助けになればと思っていただけなのに……!」

 石碑の裏に再びおりょうのすすり泣く声が木霊した。岬岐は白いメモ帳の上にウサギの胴体を書き込みつつ、訥々と言葉を漏らした。

「私は……私はこの事件、幽霊のせいだとは思いません」

「え?」

「どんなに不可解に見える怪奇現象にも、必ず科学的根拠に基づいた裏があるはずなんです。巧妙に仕掛けられたトリックが……じゃなかったら、探偵がいる意味がないじゃないですか」

「岬岐ちゃん……」

「それに、本当に悪いのは幽霊を悪者にしてる犯人の方ですよ。こんな言いがかりをつけられて、幽霊だってきっと裏で迷惑してると思います。私のおじいちゃんがよく言ってました。”何事も、決めつけてかかっちゃいけない”って。幽霊だからって、みんながみんな悪いことするって決めつけたらそれこそ可哀想ですよ」

「えぇ……えぇ、そうね」

 岬岐の描いたムキムキのウサギの絵を見ながら、おりょうは指先で涙を拭いてくすりと笑った。

「ありがとう……岬岐ちゃんとお話しできて、なんだか少し心が軽くなったわ。私、もう逝くわね……」

「え?」

「オォーイ!」

 すると、ほとりの向こうから岬岐を呼ぶ声が聞こえてきた。岬岐が振り返ると、彼女の叔父の茂吉が畔の向こうで大きく手を振っていた。

「おじさん!」

「岬岐ちゃん……大変だ。幽霊騒ぎの正体が分かったんだよ!」

「えぇ!?」

 駆けつけてきたおじさんを前に、岬岐が目を皿のように丸くした。茂吉が肩で息をしながら大きく頷いた。

「軒下から、この旅館の創始者の白骨死体が見つかったんだ。”涼子さん”って、この旅館の初代女将の……」

「本当ですか!?」

「ああ。なんでもその涼子さんってのは、女手一つで旅館を切り盛りしていたんだが、大昔に強盗に遭って、失意のうちに殺されてしまったらしい。それ以来、従業員の間では度々目撃されていたんだと。白装束に三角頭巾を被った、女の幽霊が夜な夜な台所や廊下を歩いているのを……」

「でも、なんでその幽霊は、わざわざそんなことをしたんでしょう?」

「なんでって?」

「……もしかしたらその女将の幽霊は、みんなのことが心配だったのかもしれませんね。自分が経営していた旅館がちゃんと上手くやれているか、死んだ後も見回りに来ていたのかも」

「そんなバカな。幽霊のやることなんて、驚かして怖がらせるために決まってるさ」

 茂吉が豪快に笑い飛ばした。

「ここから本題だ。とにかくその涼子さんのことはみんな今まですっかり忘れていたんだが、、遺骨が急に出て来て突然思い出したらしいんだよ。これ、どう思う? 名探偵」

「さぁ……? 全員が口裏を合わせているのか……」

「ところで岬岐ちゃん、こんなところで何をやってるんだい?」


 口元に手をやり、何やら考え込む仕草を見せた岬岐に茂吉が尋ねた。

「何って、幽霊騒ぎの裏を取りに……ってあれ?」

 岬岐はそう言いながら、振り向いて目を見開いた。

 さっきまでそこにいたはずのおりょうが、いつの間にか忽然と姿を消していた。

「確かここに女の人が……先に戻っちゃったのかしら?」

「僕たちも戻ろう、岬岐ちゃん。ここにいたら、風邪を引いてしまうよ。もう一度、みんなから証言を取らなきゃ」

「そうですね」

 岬岐は時々誰もいない後ろを振り返りつつ、茂吉と一緒に旅館へと急いだ。

「それにしても……」

 暗がりの夜道を駆け足で戻りながら、茂吉が少し疲れた顔をして苦笑いを浮かべた。

「ここまで不可思議な現象が起きると参ってしまうね。流石に僕も幽霊の存在を、信じてしまいそうになるよ」

「何言ってるんですか、おじさん」

 茂吉の口ぶりに、岬岐が隣で呆れたようにため息をついた。


「そりゃ幽霊が目の前に現れて、自分で超常現象自分のやったことを説明してくれたら、流石に信じないわけにも行かないですけど。何事も決めつけてかかっちゃダメですよ。幽霊の仕業だなんて、今目の前で起きている現象をしっかり見ずして、探偵がそんなことでどうするんですか……」

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