第23話🌸不安

「森下くん!ただいまっ!」

ひかりは自分が海外ロケだったことを森下が覚えていてくれている事を祈りながら言った。

「おぉ!星野。今日は遅かったなぁ~」

残念ながら森下の答えは、ひかりの祈りに反したものだった。それでもひかりは否定せずに続けた。

「これでも急いで来たのよ♪」

ひかりが隣りに来ると森下は急に悲しい顔になった。そして、

「俺・・・おかしいんだよ。」

と呟いた。ひかりは森下を見ながら、

「何が?」

と尋ねた。森下は続けた。

「俺さ・・・アルツハイマーらしいんだ。最初は、自覚してなかったんだけど今は分かる。算数が解けないし、人の顔が分からないんだ。何にもやる気が起きないし、いつも星野が居る気がして・・・」

目の前に居る森下は間違いなく自分が知っている森下だと確信したひかりは、

「いつも・・・ってのは無理だけど今はちゃんと目の前に居るのは私、星野ひかりだよ!居る気がして・・・じゃなくて居るんだってば!ロケから帰って来たの。だからすぐに逢いに来たの!」

と森下の両手を掴みながら言った。ひかりの行動が予想外だったのか、森下はキョトンとした顔でひかりを見つめた。その表情にひかりは何故かドキッとした。森下の表情が、まるで子供のようだったのだ。ひかりは動揺に気付かれないよう平静を装って微笑んだ。正直に言うと言葉が思い浮かばず、微笑むしか出来なかったのだ。

 ひかりの微笑みに、森下は少し落ち着いたのか普段の表情に戻った。しかし、

「ロケ?それって何処?」

と真剣な顔で尋ねて来た。ひかりは戸惑ってしまった。マネージャーから多少の知識が書かれた資料はもらったものの、実際にその症状を目の当たりにしてどう対処していいのか分からなかったのだ。そんなひかりを見て主治医は病室へ入って来た。

「森下さん、調子はどうですか?」

主治医は、自然に話題を変えてくれた。ひかりは正直ホッとしている自分に気付いた。森下は主治医が来ると一変して不機嫌になった。どうやら、この主治医が苦手なようだった。

「なんの用だよ!」

ひかりが知らない森下の口調だった。しかし主治医には日常らしく特に構えた様子もなく答えた。

「回診の時間だから来たんですよ。別に用事はないんですがね。」

そして、初めてひかりに逢ったかのようにひかりに向かって会釈すると、

「こんにちは。お友達ですか?」

と尋ねた。ひかりは咄嗟に主治医に合わせた。

「はい。」

森下は、二人の会話が気に入らないのか、布団を被ってしまった。こんな子供っぽい森下を見るのは初めてだったひかりは、動揺を隠せなかった。しかし主治医は、

「そうですか。それじゃ邪魔しちゃいけないので、邪魔者は消えますね。今日は天気がいいですから外を散歩して来てもいいですよ。お友達もご一緒に・・・」

と言うと、病室から出て行った。主治医が居なくなると森下はそっと布団から顔を出した。その表情が無性に愛しく見えたひかりは、

「散歩!行かない?」

と、森下を誘った。森下もひかりにつられるように笑顔で頷いた。二人は病室を出て、病院の中庭に出て来た。外はかなり寒かったが、久しぶりに森下に逢えたひかりには気温など気にならなかった。二人でゆっくりと歩いていると、デートでもしている気分になった。ひかりはそっと森下の腕に自分の腕を絡ませた。森下も戸惑うことなく受け入れてくれた。そして、側にあった椅子に腰を下ろすと、

「星野・・・俺、怖いんだ。」

と、森下は呟いた。ひかりは森下の不安をすべて理解しているわけではなかったが今自分に出来る事は何かを考えた時、森下の話を聞く事が最優先だと察した。

「どうしたの?私で良かったら言って。」

「俺の病気って、どんどん分からなくなっていく病気なんだ。アルツハイマーなんて老人がなるものだって思ってた。まだまだやりたい事がたくさんあったはずなのに、今はひとつも思い出せないんだ。俺はどんな生活を送ってた?星野はいつから俺を知ってる?いつか星野の事も忘れちまう?」

森下は、うまく言葉をまとめられない様子で思いついたことを口にしていた。ひかりは、

「やりたい事が思い出せなかったらこれからまた考えればいいと思うよ。森下くんは、いつも私を見守ってくれてたし、私たちが知り合ったのは小学校の時だよ。小学校の時にね、森下くん、廊下の壁に相合傘を書いたの。森下くんの名前と私の名前を書いた相合傘だよ。私もその時森下くんの事が好きだったんだけど、言えなくて恥ずかしくて泣いちゃったの。そのあと、私は森下くんとは別の中学校に行っちゃって、ずっと逢えなかったんだけど去年六年生の時の同窓会で再会したの。森下くんが忘れちゃった過去で私が知ってる過去は全部伝える!思い出せなくてもいいじゃん!私が教えるから!一緒に不安材料を減らしていこう!私のこと、忘れちゃったら教えるから!何度でも何度でも逢うたびに私は誰だか教えるから!森下くんはいつでも私を助けてくれてたの。私なんて何もして上げられなかったのに。だからこれからは私が森下くんを助けたいの。一緒に居たいの。森下くんが行きたい場所が思いついたら付き合うから。過去より未来を見て欲しいよ。」

ひかりは一気に言ったあと、涙が止まらない自分に気が付いた。森下は泣いているひかりを見て、そっとひかりの肩を自分の方へと引き寄せた。ひかりは益々涙が止まらなくなってしまった。自分の方が辛いはずなのに、そんな時までひかりの事を気遣う森下の優しさが切なくなってしまったのだ。

「星野のことまで忘れたくないな・・・」

森下は呟いた。ひかりは、

「忘れても忘れても何度だって教えるもん。初めましてって言われても私はあなたの恋人です!って教えるもん。どんなに忘れられても私が大好きな森下くんに変わりはないもん!」

と泣きじゃくりながら言った。

そんなひかりを見ながら森下は、

「桜・・・桜の木の下で逢ったような気がするんだ。星野に・・・」

と呟いた。ひかりは今年の四月に小学校の桜の木の下で逢った事を教えた。そして、

「もう一度行ってみようよ!」

と提案した。森下も賛成した。そして、主治医に内緒で病院を抜け出した。

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