第22話🌸見つかった病

 異変は、森下の方だった。会社の健康診断で、要検査と診断されたのだ。ここの所、森下は体調が優れなかったが仕事は忙しく検査に行っている時間はなかった。そんな中、仕事中に突然倒れてしまった。すぐに病院に運ばれた森下は、思いがけず精密検査を受ける事になった。検査の結果は、若年性アルツハイマー病。森下はまだ20代前半だったが、検査結果ではそう診断されてしまった。仕事が忙しく、神経が休まる時間がなかったもの原因のひとつだが、調べていくうちに森下の親戚にかなりの頻度でこの病気にかかっている人が居た。もともと若年性アルツハイマー病は、遺伝がほとんどでその他の要因での発症は多くない病気だった。もちろん稀に遺伝とは関係なく発症する場合もあるが。

 森下はしばらく入院することになった。基本的には回復も完治もしない病気だが、少しひどい貧血になっていることもありその治療と若年性アルツハイマー病の経過観察のための入院だった。森下本人には特に自覚もなく、何故自分にその病名が付いたのかさえ理解出来なかったが、放っておくと進行が早くなると言われ治療を開始することになった。毎日、小学校程度の算数プリントや国語のプリントを病院から出され、それを解く。正直この事態に森下は愕然としていた。バカにしながらプリントに目を通すと、問題が解けないのだ。決して難しい問題ではないはずのものが考えられない。職場で倒れる前まではもっと難しい仕事をそつなくこなしていたはずなのに、目の前の問題が解けない現実に打ちのめされていた。

 森下は、職場から休職を言い渡された。会社としても解雇するまでの決定はなされなかったのだが、一部上司には森下の病名が伝えられていた。

「一日も早く回復して、職場に復帰しなさい。」

上司はそう森下に告げ、病院をあとにした。残された森下は、そう言われても何の感情もなく上司を見送っていた。

 森下の一日の日課は、すべてスケジュール表に記載された生活だった。病院から出されたスケジュール表を基に一日を過ごすのだ。その中のひとつに『日記を書く』と言う項目があった。夜、消灯前にその日一日の過ごし方や感じたことなどを記すのだが、最初は文句ばかり書いていた日記がいつの頃か違う内容になって行った。それは・・・


<今日は、ひかりがウチに遊びに来た。すっかりきれいになったひかりは、昔と変わらない俺を見て優しく微笑んだ。ひかりが帰る時間になった時、俺は思わず泣いてしまった。格好悪い所を見せちゃったな。>


<今日は、ひかりと一緒に映画を見た。ひかりが出ている映画だった。俺はひかりばかりを見ていて内容は覚えていない。映画が終わってひかりにそのことを伝えると、ちょっと怒っていた。なんで怒ったんだろう?>


<今日は、ひかりが・・・>


日記の内容には、その場に居るはずのないひかりの事ばかりが書いてあった。毎日その日記をチェックする主治医は、この【ひかり】と言う人物が誰なのかを家族に尋ねた。そして、今までの経緯を伝えた。主治医は、ひかりと連絡を取ることにした。森下の症状の進行を少しでも遅らせる何かきっかけになると直感したのだ。しかし、ひかりは日本に居ないことを知り愕然とした。ひかりの帰国が早いか、森下がひかりを忘れてしまう方が早いか・・・進行は思ったよりも進行が早く、主治医を焦らせた。季節は11月も半ば過ぎだった。


 12月初旬、ひかりは海外でのロケを終え、帰国の準備をしていた。何も知らないひかりは、帰国後森下に逢える事を楽しみにしていたのだ。そこへマネージャーから思いがけない事実を告げられた。

「・・・・・今なんて言ったんですか?」

ひかりはマネージャーが告げてきた森下の件を理解出来なかった。

「だから・・・事務所に森下くんの主治医から連絡があって、森下くんが『若年性アルツハイマー病』で、ひかりに助けて欲しいと言っているらしい。」

マネージャーの口は重く、とても冗談を言っている様には見えなかったので、ひかりは愕然とした。

「・・・私は・・・帰国後、森下くんの所に行ってもいいんですか?ス・・・スケジュール的に調整は出来ますか?」

ひかりは言葉を選びながらマネージャーに尋ねた。マネージャーもひかりが森下を支えに今日まで頑張って来た事を知っていたので、

「スケジュールは、調整する。今までひかりの支えになっていた森下くんの支えに、今度はひかりがなってやる番じゃないかな?って思ってる。電話ではいまいち現状が分からないから、今はすぐに行ってやった方がいい気がする。」

と言ってくれた。ひかりは、マネージャーの好意に甘え帰国後すぐに病院に行く事にした。


 帰国したひかりは、空港で軽く映画のロケ状況の報告をマスコミに伝えると足早に空港から去った。そして、そのまま森下の入院している病院へと急いだ。車内でマネージャーは、『若年性アルツハイマー病』に関する資料をひかりに手渡した。

「私が知ってる限りでは、進行を抑えられる可能性はあるけど、止める事や回復は・・・かなり難しいらしい。症状くらいは理解しておいた方がいい。恐らく、ひかりが知っている森下くんではなくなってるだろうから。」

と付け加えた。マネージャーからもらった資料に目を通しながらひかりは、この病気に森下が掛かっていると言う事実を受け入れられずに居たが自分なりに考え想像し、病院に到着するのを待った。

 しばらくして病院に到着したひかりは受付に主治医の名前を伝え、逢うことにした。病院側もひかりが尋ねてくる事は承知だったらしく混乱もなくスムーズに応接室へと通された。10分ほど待つと、応接室のドアをノックする音が聞こえた。

「はい・・・」

ひかりは立ち上がりドアの方を見た。主治医は、ドアの前で一礼すると部屋の中へ入って来た。

「わざわざ申し訳ありません。どうしてもあなたの力が必要なんです。」

と言いながら右手をソファーの前に出し、ひかりに座るよう促し、自分も座った。

 森下の日記を見せられたひかりは、今にも泣き出しそうになっていた。

「私は、森下さんに『今日あったことを書くように』と日記をつけてもらっていますが、ご覧の通りそこに書かれていることは、段々森下さんの想像になって来ています。それは進行が進んだと言うことを意味しています。現実を覚えていられなくなれば、当然想像の世界が存在して来ます。実際、最近の森下さんは一日中ベッドの上でボーっとしている事も少なくありません。」

主治医の説明を聞きながら、ひかりは尋ねた。

「私に何が出来るのでしょうか?」

現実を受け入れなくてはいけないのは分かっているが、今のひかりには何が出来るのか考える事が出来なかったのだ。ひかりの質問に主治医は答えた。

「何もしなくていいんです。ただ、森下さんの日記を『想像』から『現実』へ戻して頂きたいだけです。つまり、この日記に登場するあなたとの本当の時間を作ってもらいたいだけです。そうすることで『想像』の世界から『現実』の世界に少しでも戻って来ていただければと考えております。」

主治医の説明でもまだ理解出来ないひかりだったが、とにかく森下にあって見る事にした。病室を案内され、ひかりはマネージャーも主治医も付いて来ないで欲しいと告げ、一人で病室へと入って行った。誰かが入って来た気配を感じた森下はゆっくりと入口を向いた。その顔は、小学生から変わらない屈託のない笑顔の森下ではなく、まるで人生に疲れたような張りのない顔だったが、ひかりは出来るだけ今までの通りに笑顔で入って行った。

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