Never Knows Best

星野 驟雨

Never Knows Best

 彼女からその誘いがあったのは、前日のことだった。


「明日一緒に星をみない?とびっきり綺麗な星を」


 群青に踊る夕闇の時分に、彼女の金髪が揺れる。

 彼女はこの辺りでは珍しい髪の色をしていて、白と鮮やかな緑を基調とした民族衣装を身に纏っていた。今の彼女は日中よりいくらか妖艶に見えたが、おそらくは沈みゆく情熱がそうさせるのだろう。


「でもなあ……明日って」


 そう、明日は約束の日。

 換えて言えば、世界最後の日だ。

 それは、僕たちの生きているこの場所で、古くから信仰されている予言者によって伝えられた。予言自体は完全に当たることはないが、半分以上は当たっているから今でも発言権が強い。その血脈の祖はすべてを言い当てたらしいが、時間というのは残酷だ。


「そう。約束の日だからあなたは逃げるのね」


 彼女のジトリとした目が痛い。成人して立派に大人になったというのに、その好奇心だけは純粋無垢な子供の様だった。


「そういう君はどうするつもりだったんだよ」

「たった一人でも見ようと思ってたわ」

 でも、と続ける。

「隣に共有できる誰かがいる方が素敵だと思うの」


 なるほどそういうわけか。

 そのお眼鏡にかなった僕が、幼き日の彼女が連れていた人形のような役割になるわけか。そう考えてしまうと、どうしてか心の奥が歪む。


「じゃあ、一つ聞かせて欲しい」

 至極当然な疑問だった。

 ――君は死にたいのか?

「いいえ。ただ、助かるかもわからない可能性に賭けるなら、誰も見たことがない景色を見ながら死にたいだけよ」


 とんだ酔狂な奴。それが率直な感想だった。

 ふと思えば彼女とは価値観などが悉くズレている。

 僕は男だから、力仕事を任されることが多かったが、彼女はよく本を読んでいた。

 たしかにこの地域では、女の子は本を読み、家庭の諸事を覚えることが美とされている。しかし、それを差し置いても彼女の読書量は異常だった。外にさえ本を持ち出し、隙あらば読書をし続ける子を他に見たことはない。

 どこかで、知識の差が一定以上あると、相互理解することが不可能だと聞いたことがある。あれはいつ聞いたのかすら忘れたが、そのことだけは色濃く脳裏に刻み込まれていた。


「助かるかもわからないってどういうことだよ」

 これまた素直な疑問だった。

「あなたは世界の終わりが何によってもたらされると思う?」

「地割れか、隕石だろ?」

「そうね、活火山はないし、海が近いわけでも川が氾濫するわけでもない。それに、地震も大きいのは起こりそうにないわ」

「それは、地震が本当に珍しいから?」

「そういうこと。だから隕石しかない」

 言われてみれば納得してしまう。

「そして隕石の場合、助かる可能性はほぼない」


 仮に直撃を免れても、その余波に巻き込まれる可能性は大いにある。

 それならば、彼女と一緒に最期を過ごすのも悪くないと感じている自分がいた。


「そういうわけだから、明日の昼過ぎにあの場所で」


 そう言いながら駆けていく。

 朱が立ち消えた道に残された埋火が燻る。

 それがいやに鮮明に彼女の髪を明るく咲かせていたのを覚えている。

 反面、僕の心はぐちゃぐちゃになっていた。



 結局、いま僕は彼女の隣にいる。

 こんなことをしているなんて、親には言えないから内緒で出てきた。

 きっと今頃大騒ぎになっているだろう。それが少し苦しかった。


「家族に申し訳ないと思う?」

 察したように彼女が口にする。

「申し訳ないと思うさ。僕たちは立派な大人なんだから」

「私は思わないわ。だって、きっと私の両親もこの空を見てるから」

「それはどういうこと?」

「私、あなたたちが言う予言者の家系だから」


 理解が追いつけないことに直面すると人間は動きが止まってしまう。

 そんなことをこの瞬間に実感するとは思わなかった。

 だが、冷静に考えてみれば何一つ間違ったことを言っていない。

 予言者という存在は深く根付いていたが、それ自体の存在を見たことがない。おそらくは長老たちがようやく会える存在だと考えれば自然だ。

 だが、そうだとしたら彼女はどうしてこうしていられるのだろう。


「いま、どうしてこんなことをしていられるのかって考えた?」

 頷いて肯定する。

「うちの家系は女の人に予知の力が宿るの。だけど、時を経るごとに力は弱まっていったわけ。お母さんでさえ半分ぐらいが精いっぱいなのに、その子供の私の的中率なんて考えなくてもわかるでしょ?」

 

 普通、力というのはその血が濃い方が維持しやすいはずだ。しかし、それらの諸問題を回避するために取った選択が、結果として零落に繋がった。


「だから、お母さんは私を普通の子として育てるって決めてたらしいの。お父さんもそれに賛成してたって成人した日に教えられた。何故かって、言わなくてもわかると思うけど」


 そういう家系では、子供が箱入りになる。

 話を聞く限り、今の予言者が彼女の母親だから、自分が出来なかったことを子供にさせたかったのだろう。自分が知らない世界で、彼女が幸せになることを夢見たのだろう。それが、予言者であり母であったその人の唯一の願いだったのだ。

 しかし、そう考えるとやり切れない。

 これからが華だというのに、それを知ることなく僕たちは死ぬのだ。

 僕たちはまだしも、親の気持ちを考えると胸が苦しくなって目頭が熱くなる。


「たしかに、親の気持ちを考えると涙が出てくるわ」

 普段は朗らかな彼女の表情が悲しげに笑う。

「でも!だからこそ私は隠れもせずに世界の終わりを見届けるって決めたの」

 

 遠い空の果てを見上げて、力強く微笑む彼女の横顔を微風が慈しむ。

 梳かれた黄金の髪がそよそよと揺蕩う。

 どこまでも女性的でありながら、とても気高いその姿に思わず見惚れる。

 それは多分、数瞬の出来事。どこまでも日常的な感動がそこにあった。


「実はね、私、世界の終わりを予知したの」

「お母さんじゃなくて?」

「うん。読書の途中で空を見上げた時に、いきなり映像が始まったの。それはすごく綺麗な空だった。次にこの場所のイメージ、それから私たちの町が見えたけど、綺麗に消えてたわ。それは絶対悲しいことなんだけど、私はそれ以上に、その空を見続けたいと思ったの」


 彼女曰く、彼女の予知というのは自発的に見れるものではなくて、唐突に映像が流れるものらしい。それを止めることも出来なければ、すすんで見ることも出来ない。

 とても不便なものだけど、悪いものでもない。そう笑って見せる彼女のかんばせは晴れたものではなかった。困ったような笑顔が、どうしようもなくもどかしい。


「それでね、そのことをお母さんに伝えたらお母さんも同じものを見たって。それがちょうど一週間前ね。それから昨日あなたに伝えた後も考えたわ」

「自分はどうするべきかって?」

「うん」


 それっきり彼女は黙ってしまった。

 きっとまだ答えなんて出ていないのだろう。もしかすると、僕はその為に呼ばれたのかもしれない。そんな烏滸がましい考えに至るくらいには、彼女に惹かれていた。それとも、元々僕はこんなロマンチストだったのだろうか。

 小高い丘には青々とした生命が咲き乱れている。その絨毯に僕たち二人は座り込んで風に吹かれている。背後を木々に囲まれていて、一見しただけではわからないこの場所は彼女が僕に教えてくれたものだ。

 ここは、僕たちの町から少し下りたところにある。上の方にも同じような場所があって、そちら側が主に使われていたから本当に穴場だった。

 あまりにも長い沈黙が続きそうだったから、素直に思っていたことを話す。


「正直さ、怖いんだ。死ぬこともそうだけど、きっと痛いんだろうなって」

「そうかしらね。死ぬ時は気持ちが良いみたいだけど」

「それはどうせ五体満足だった時だろ?」

 くすくすと彼女が笑う。

「そうだと思うわ。でも、私たちは誰も死んだことがない」

「そうだな、誰も死んだことはないからわからない」

 少しの間を置いて、いつもの彼女がこう問いかける。

「じゃあ、逆に、どんな瞬間が生きてるって実感できる?」


 それを答えるのにはいささか時間を要した。

 自分の生きた時間が短いのもある。

 しかしそれ以上に、いざそう問われるとあまり考えたことのないことだったから。

 どう生きるか、どう生きていくかというような問題は仮に考えることはあっても、生きている実感というのは、考えるのではなく腑に落ちるといった印象だった。


「自分のやりたいことを自由にやれている時かな」

 辿り着いたのは至極自然な解答だった。よく使われる表現だ。

「私は、こういう瞬間かな」

「こういう瞬間ってのはどういうものを言うんだ?」

「好きなことを自由にやれる時って私は生き急いでると思うの」

「ああ」

「だから、こうして立ち止まったりした時、過去を思い返したり未来を描いてみたりする時間が、生きているって実感だと思う」

「詩人だな」

「ロマンチストって言ってもらいたいわ」

「女の子だし」

 そう軽口を挟めば彼女は少し照れくさそうに笑った。

「だからね、私、いま最高に生きてるって実感してる」


 底抜けに明るく振る舞う彼女は、いつもと違って見えた。

 それはほんの些細な違和感だったが、案外にわかってしまうものだ。


「でも、こんな時だからこそ本当のことを聴きたい」


 心のうちに隠しておけばいい言葉も、口を吐いてしまう。

 きっとこれも世界が終わるせいだと嘯いてみても虚しさが残る。

 それは、僕の隠していた、危惧すべき本心でもあった。

 ――そしてやはり、彼女の表情は歪んでしまっていた。

 ただその光景は刹那のもので、すぐにいつもの彼女に戻っていた。


「本当のこと、ね――」


 

 私は彼が好き。

 どうしてかって言われると、上手く答えられないけど。

 でも、それを言葉にするのが怖かった。

 予知できてしまうからこそ、いつか結ばれない未来を見てしまうのではないかと。

 すべてが的中しないと言っても、絶対に的中しないわけじゃない。

 その不確定要素が、一層私を不安にさせる。

 だから、私はこの立ち止まる時間を、生きてる実感のするものと考える。

 そして、彼を誘ったのは、臆病な私の生き急いだ勇気だ。



「私ね、好きな人がいるの」

 

 その言葉に胸がきゅうっと締め付けられる。

 呼吸が浅くなって、溺れそうになる。


「でも、私ってコレがあるからさ」


 そう言って彼女は自虐的に自分の瞳を指す。

 その美しい瞳が、彼女の足枷となっていたのをここに来て知った。


「だからさ――」


 その言葉は――たとえそれが驕りであっても――僕から言わなければいけない。

 言い淀む口を懸命に動かそうとした、丁度その時だった。


 空を切り裂いて、エメラルドの閃光が煌々と頭上高くに瞬く。

 鮮やかな茜の果てに群青が滲んだ世界を、一筋の光が天輪を伴い染め上げていく。

 この光景を真っ二つに切り裂かんとする終焉に、世界が騒めき立つ。

 それは幼い頃見た物語たちの様に、僕たちの網膜に焼き付いて離れない。

 心まで丸裸にされてしまって、瞳が焼かれていく。

 今まで大切に隠していたものが曝け出され、溢れ出しそうになる。

 二人してただ見惚れるばかりで、それでも僕は彼女の手を探した。

 どこまでも切なくて、怖くて。傍にいたくて、傍にいてほしくて。

 そうしてお互いに触れあうと、安堵ゆえか、どちらともなく指を絡めた。


「僕は、君が好きだ」

 

 とうとう堪えきれなくなって言葉にすると、隣から万感の溜息が幽かに聞こえる。

 そちらを向いてしまうことが憚られたのは、おそらく僕がこの光景を前にしてようやく思いを伝えられたからだろう。


「私も、あなたが好き」


 その返答が、死を前にしても、この絶景を前にしても、何よりも満ち満ちていた。

 人に想われることが、こんなにも喜ばしいものだとは。

 充足のさなか、仄かに家族の事や、これからの進展がない事がほろ苦く残る。

 だが、それすらも人生だと嘯けるほど、僕たちは若く、幸せだった。

 他から見れば破滅的なエンディングかもしれない。

 しかし、人生とは自分しか歩けないものだ。

 そんな言葉が不思議な実感を伴っている。

 嗚呼、今日は死ぬには絶好の日だ。

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